太刀銘守家

たちめいもりいえ


国指定工芸品 1口
大正8年4月12日指定 所在地 徳川美術館(寄託) 所有者 定光寺
文化財 長さ68.1センチ 時代 江戸時代中期

尾張藩九代藩主宗睦が藩祖の所縁の定光寺に寄進したもので、守家は備前国畠山派の名工である。刀身は鎬造(しのぎづくり)で庵棟(いおりむね)となっており、磨(すり)上げのため反(そり)は浅くなっている。鍛えは杢目(もくめ)肌、刃紋は大丁子乱(おおちょうじみだれ)に足入りである。太刀の先端部分の切っ先は焼詰めとなっており、棟に一ヶ所切り込みがある。茎(なかご)は磨上げで、目釘孔は2個ある。長さ68.1センチ、反1.5センチ、元幅2.9センチ。
附属に糸巻太刀拵えは総金具、赤胴魚子地金色絵で葵紋散らし、鞘(さや)は梨子地に蒔絵と金具の丸に葵紋散らし、柄と渡巻は白地金襴包み花色糸巻きである。縁金具と大切羽(おおせっぱ)に「尾州住安藤信時(花押)」の切附銘がある。

太刀銘守家
太刀銘守家柄

猿投灰釉短頚壺及び平瓶

さなげかいゆたんけいこおよびへいへい


県指定考古資料 各1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 短頸壺高さ23.6センチ、平瓶高さ13.6センチ 時代 平安時代

名古屋市守山区の小幡緑地公園で、昭和35年造成工事の際に発見された。木炭が敷き詰められた中に完器の短頸壺が、壺の近くには酒などを入れた平瓶(へいへい)や供え物を盛り付けたと思われる坏身(つきみ)も出土している。短頸壺は宝珠形紐の付いた蓋を伴い、中には火葬骨が納められていた。つまり蔵骨器であり、平安時代の墓が偶然発見されたものと考えられる。短頸壺と平瓶のみが現存している。
短頸壺は肩が大きく張り、径の広い高台をもつ。平瓶は扁平な把手が体部の上面に付いている。共に器の上部には濃緑色の自然釉が明瞭に掛っており、猿投窯で生産された原始灰釉陶器であることが分かる。

灰釉短頚壺
平瓶

猿投灰釉多口瓶

さなげかいゆうたこうへい


国指定工芸品 1口
昭和50年6月12日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ21.5センチ 時代 平安時代初期

愛知県三好市の黒笹36号窯からの出土品で、いわゆる猿投窯の製品である。高さ21.5センチ、口径6.5センチ、胴径15.9センチ、底径8.9センチ。
長頸口の周りに4個の小口頸を付けた器形で、多嘴瓶(たしへい)とも称する。やや外開きの口唇は縁帯状に整形され、丸味のある胴部の肩から4個の小口頸が付き、それぞれの基部は面取り整形されている。付高台の中央部は焼き割れて欠損しているが、ほかは良好である。全体に暗褐色を呈するが、口縁から肩にかけて厚く灰釉が掛り、自然釉との区別が難しいので原始灰釉と呼ばれる。

猿投灰釉多口瓶

陶製狛犬コレクション

とうせいこまいぬこれくしょん


県指定有形民俗 210躯
昭和59年3月30日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 時代 室町時代~大正時代

陶製狛犬は瀬戸・美濃の窯業生産地を中心に、神社などに奉納されたものである。瀬戸市域の窯跡での出土例から13世紀末には製作されていたことが知られている。一方、神社などに伝わる陶製狛犬としては、室町時代以降のものが見られ、瀬戸の氏神深川神社の重要文化財灰釉狛犬などが挙げられる。
この狛犬コレクションは古瀬戸の研究者であった故本多静雄氏の収集資料であったが、愛知県陶磁資料館に寄贈されたものである。根津美術館蔵の千利休愛用香炉転用灰釉狛犬と同型のもの、江戸時代の瀬戸村の名工春丹・閑陸・早梅亭など、現多治見市小木村景定の銘をもつものなど多様な資料が含まれている。

陶製狛犬コレクション

渥美灰釉芦鷺文三耳壷

あつみかいゆうあしさぎもんさんじこ


国指定工芸品 1口
昭和51年6月5日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ39.3センチ 時代 平安時代末期

渥美半島にはおよそ500基ほどの中世窯があったと推定されており、瀬戸窯・常滑窯に次ぐ大規模な窯業生産地だった。この渥美窯の製品は碗・鉢・壺・甕などの日用雑器だったが、広口瓶・短頸壺・経筒外容器などの特殊器種もあり、それらには蓮弁文・袈裟襷文などの文様が施されたものもあった。
本品は口径16.5センチ、胴径34.0センチ、底径13.5センチで、12世紀に製作されたものと推定され、埼玉県出土と伝えられてきた。肩の部分の袈裟襷文と全面に描かれた芦の生えた川辺に戯れる鷺の絵からこの名称が付けられた。国宝の渥美秋草文壺と並び絵画的にも高く評価されている。

渥美灰釉芦鷺文三耳壺

一里塚本業窯

いちりづかほんぎょうがま


瀬戸市指定建造物 1基
昭和50年7月21日指定 所在地 瀬戸市一里塚町
所有者 水野雅之
文化財 全長16メートル・最大幅9メートル
時代 昭和25年再建

「本業窯」は連房式登窯の一種で、江戸時代以降専ら陶器本業製品を焼成する窯として使用され、磁器製品を焼成した「丸窯」と共に瀬戸を代表する窯炉であった。
本窯は昭和25年に東洞町に在った13連房の奥洞窯の窯材を使用して再築したもので、胴木間・捨間・四の間までの焼成室、煙室(コクド)など以前の構造をよく残している。昭和50年に文化財指定を受けるまで、火鉢・水甕・擂鉢などを年3回ほど焼成していたが、擂鉢だけなら約1万個を焼成することができたという。昭和63年に、窯鞘(屋根)の葺替工事を実施している。付属するツク・タナ板などの窯道具類も指定に含まれている。

一里塚本業窯

陶製五輪塔

とうせいごりんとう


国指定工芸品 1口
平成7年6月15日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ37.5センチ 時代 平安時代(久安二年銘)

灰褐色陶胎、やや砂質の焼締陶製五輪陶容器である。五輪陶とは地輪をかたどる台座、水輪をかたどる身、火・風・空輪をかたどる蓋から構成され、経塚造営の際の経塚又は経塚外容器と考えられるものである。
本器内外には多くの銘文が刻まれ、「久安二年(1146)七月廿八日 申時造了 清原重安造之」、「願主沙門良忠持範房」、「遠海新所之立焼(現湖西市新所湖西窯)」など作者・製作年代・製作地が判明する稀有な例であり、また五輪塔形経容器としても平安時代の貴重な作例である。浜松市浜北区根堅勝栗山出土と伝えられている。

陶製五輪塔

直入橋

ちょくにゅうばし


瀬戸市指定建造物 1橋
昭和58年6月1日指定 所在地 瀬戸市定光寺町
所有者 定光寺
文化財 石造、長さ9.4メートル、幅 2.6メートル
時代 江戸時代前期(承応二年)

応夢山定光寺の参道入口の池に架かる橋で、「直入橋」という。『尾張名所図会』の中では「下馬橋」と記されている。この橋は尾張藩二代藩主徳川光友が、時の奉行熊谷政実に命じて架設させた石橋で、承応二年(1653)2月に着工し、同年5月に完成している。
直入橋は全て花崗岩製で、その構造は池両岸の石積みに長さ6m以上もある3本の橋桁を渡し、その橋桁に主な橋部を組み合わせている。江戸時代には、池に蓮を植えたり、参道に桜並木を作るなど、橋と良く調和した風景であったため、定光寺における優れた景勝である「応夢山十境」の一つとされていた。

直入橋

瀬戸の陶磁器の生産用具及び製品

せとのとうじきのせいさんようぐおよびせいひん


国指定有形民俗 3,943点
昭和49年2月18日指定、同50年9月22日追加指定 
所在地 瀬戸蔵ミュージアム 所有者 瀬戸市  時代 平安時代~昭和

 瀬戸市では昭和38年から陶磁器を製作するために使用する生産用具とその道具を
使った作られた陶磁器製品について調査・収集を行ってきた。収集された資料は、採土・製土・成形・乾燥・絵付・施釉・焼成の各工程に関する資料と製品、さらに製品の運搬道具や仕事着まで及んでいる。戦後の急速な機械化によって失われつつあった窯業関連の民俗文化財について一貫して収集されたこれらの収蔵品は、昭和49年に国の重要民俗文化財に指定され、瀬戸市歴史民俗資料館で収蔵・展示を行ってきた。
 平成17年からは、新たに瀬戸蔵ミュージアムの生産道具展示室にその機能を移し、20世紀の窯業が機械化されてゆく過程を含めた幅広い展示を行っている。

石燈籠(神明社)

いしどうろう


瀬戸市指定建造物 1基
平成4年2月21日指定 所在地 瀬戸市落合町
所有者 神明社(境内)
文化財 総高196センチ
時代 江戸時代前期(明暦四年)

神明社は旧下品野村の氏神であり、その由緒には「社伝明らかならずも、本朝元中七年(1390)後亀山天皇の御世創設」とある。
長い石段を登った本殿前にある六角円柱型の石燈籠(花崗岩製)は、瀬戸市内に在るものの中で最古の記年銘をもつ。総高196センチ、宝珠と笠の部分が一体化し、特別な装飾をもたないシンプルなものとなっており、保存状態も良好である。竿の銘文に「奉壽進御寶前 明暦四年戊戌林鐘吉日 下品野村村上長次郎寄進」とある。村上長次郎は、品野窯を再興した加藤新右衛門系譜にある人である。そのため、藩政時代の下品野村における窯屋の由来を知る歴史性も有している。

石燈籠(神明社)