御深井釉木瓜形水盤

おふけゆうもっこがたすいばん


県指定工芸品 1口
昭和57年3月31日指定 所在地 瀬戸蔵ミュージアム(寄託)
所有者 定光寺
文化財 高さ24.2センチ、口径55.7×77.2センチ 時代 江戸時代前期

本器は横木瓜(もっこ)の形をとり、側面を縄簾(のれん)の貼花文で飾り、底部には大型3足を付け、全体を卯の斑釉掛けした水盤である。
寺伝によれば、徳川義直公の儒教式祭典のため、要門和尚が朋友の陳元贇に依頼して新調したといわれ、水盤は2個焼いて内1個は建中寺にも蔵したという。
明治時代になって尾張徳川家から定光寺に渡されたもののようで、「定光寺什物帳」に書き加えられている。このように寺伝には陳元贇作とあるが、その証左となるものは見当らない。しかし、盤の形態・釉調などから江戸時代前期に焼造された初期御深井(おふけ)焼である。

御深井釉木瓜形水盤

陶製牡丹文経筒外容器

とうせいぼたんもんきょうづつがいようき


県指定工芸品 1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ33.9センチ 時代 平安時代後期

いわゆる猿投窯の焼成品で、高さ33.9センチ、口径21センチ、胴径24.2センチ、底径25.2×25.2センチ、11世紀末から12世紀前半ころに比定されている。蓋は円筒形で大型のつまみが付き、外側に二重条文が施される。胴部も円筒形で上・中・下段に二重条文が施され、上・中条線の間に太いへら彫りで牡丹文様が巡らされていて、底部は隅切の四方板となっている。
この深く太い線彫りの牡丹文様の陶片が東山105号窯(名古屋市東山植物園内)から出土おり、猿投窯東山地区特有の良質な陶土が使用されていることからも、猿投窯製品と断定することができる。

陶製牡丹文経筒外容器

猿投灰釉短頚壺

さなげかいゆうたんけいこ


県指定工芸品 1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館
所有者 愛知県
文化財 高さ22.9センチ 時代 平安時代中期

いわゆる猿投窯焼成品で、9世紀後半に比定される。岐阜県高山市で出土し、蔵骨器として使用されていた。高さ22.9センチ、口径9.4センチ、胴径24.1センチ、底径12.6センチ。丸味のある胴部は灰白色に焼き上がり、淡緑色の灰釉が口頸から肩に施され、幾条かの流れ落ちた釉溜りが景色を作っている。平安時代中期白瓷(しらし)の代表的な製品である。
この種の製品は、正倉院御物中の薬物用容器として使用されていたことから、通常「薬壺(やっこ)」と呼ばれ、本来蓋も伴っていた。本器のような火葬蔵骨器として発見される例も多く、本器も蓋があったと伝えられている。

猿投灰釉短頚壺

鉄釉巴紋瓶子

てつゆうともえもんへいし


県指定工芸品 1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ26.7センチ 時代 鎌倉時代後期

いわゆる古瀬戸の代表的器種であり、全盛期の製品である。高さ26.7センチ、口径3.5センチ、胴径17.4センチ、底径9.7センチで、13世紀末から14世紀前期に比定される。
口頸には突帯が付けられ、肩は張っているが丸味があり、寸胴の直腰のいわゆる「梅瓶(めいピン)型瓶子」である。器体は紐作り成形され、丁寧にへら削り整形されている。頸部に7個、肩から胴にかけて五段各11個の巴文様が押印され、全体に鉄釉が施されているが、二度掛けで濃淡が認められる。
なお本器は昭和12年の輸出禁止を目的とした「重要美術品」に認定されたものである。

鉄釉巴紋瓶子

御深釉唐草文双耳水甕

おふけゆうからくさもんそうじみずがめ


県指定工芸品 1口
平成4年2月28日指定 所在地 瀬戸蔵ミュージアム(寄託)
所有者定光寺
文化財 高さ40.8センチ、口径58.4センチ 時代 江戸時代中期

元は定光寺開山堂に在って、開山覚源禅師に対する早朝行事に使用する水容器であったという。寺伝では帰化明人陳元贇作となっている。
胴の上下に二重の丸彫沈線を施し、その間に丸彫唐草文を配している。また左右に柏葉形の双耳を付けた大型の水甕である。
18世紀前半に比定され、現在知られている御深井焼水甕の中でも最も古いもので、大きさにおいても類例がなく、よく完好な形をとどめており資料的価値は極めて高いものがある。

御深釉唐草文双耳水甕

猿投灰釉短頚壺及び平瓶

さなげかいゆたんけいこおよびへいへい


県指定考古資料 各1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 短頸壺高さ23.6センチ、平瓶高さ13.6センチ 時代 平安時代

名古屋市守山区の小幡緑地公園で、昭和35年造成工事の際に発見された。木炭が敷き詰められた中に完器の短頸壺が、壺の近くには酒などを入れた平瓶(へいへい)や供え物を盛り付けたと思われる坏身(つきみ)も出土している。短頸壺は宝珠形紐の付いた蓋を伴い、中には火葬骨が納められていた。つまり蔵骨器であり、平安時代の墓が偶然発見されたものと考えられる。短頸壺と平瓶のみが現存している。
短頸壺は肩が大きく張り、径の広い高台をもつ。平瓶は扁平な把手が体部の上面に付いている。共に器の上部には濃緑色の自然釉が明瞭に掛っており、猿投窯で生産された原始灰釉陶器であることが分かる。

灰釉短頚壺
平瓶

陶製狛犬コレクション

とうせいこまいぬこれくしょん


県指定有形民俗 210躯
昭和59年3月30日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 時代 室町時代~大正時代

陶製狛犬は瀬戸・美濃の窯業生産地を中心に、神社などに奉納されたものである。瀬戸市域の窯跡での出土例から13世紀末には製作されていたことが知られている。一方、神社などに伝わる陶製狛犬としては、室町時代以降のものが見られ、瀬戸の氏神深川神社の重要文化財灰釉狛犬などが挙げられる。
この狛犬コレクションは古瀬戸の研究者であった故本多静雄氏の収集資料であったが、愛知県陶磁資料館に寄贈されたものである。根津美術館蔵の千利休愛用香炉転用灰釉狛犬と同型のもの、江戸時代の瀬戸村の名工春丹・閑陸・早梅亭など、現多治見市小木村景定の銘をもつものなど多様な資料が含まれている。

陶製狛犬コレクション

木造阿弥陀如来立像

もくぞうあみだにょらいりつぞう


県指定彫刻 1躯
昭和34年1月16日 所在地 瀬戸市下半田川町 所有者 同文化財保存会
文化財 高さ98センチ、肘張り28.3センチ 時代 平安時代後期

この阿弥陀如来立像は観音菩薩立像と共に、瀬戸市下半田川の氏神八釼神社境内の観音堂に安置されていたが、現在は昭和48年11月25日建造の文化財収蔵庫に安置されている。檜材の一木造りで上品(じょうぼん)下生の印を結び、柔らかな慈眼と小さく整った鼻・口・唇が面相をはなはだ穏やかな表情にしている。
衣文の線条やや両袖の手法にはやや類型的な傾きも見えるが、総じて藤原様式の特色を示している。
側面から見るとやや薄手に感じられるが、全体として形容の美しい像である。手足先や踏割蓮華座は後補のものである。

木造阿弥陀如来立像

木造十一面観音菩薩立像

もくぞうじゅういちめんかんのんりつぞう


県指定彫刻 1躯
昭和34年1月16日 所在地 瀬戸市下半田川町
所有者 同文化財保存会
文化財 高さ111センチ、肘張り31.9センチ 時代 平安時代後期

この観音菩薩立像は阿弥陀如来立像と共に、瀬戸市下半田川の氏神八釼神社境内の観音堂に安置されていたが、現在は昭和48年11月25日建造の文化財収蔵庫に安置されている。像は檜材の一木造りで、作者は不明であるが藤原前のもので、笠覆寺(笠寺観音)の観音像と共に当地方では珍しい古様をとどめている。
丸味をもった可憐な表情の面影、いくぶん外方に開くかに見える宝冠台、耳にかかった宝髪の一部、右足を多少浮かせた姿勢、衣文の流れや線条の彫刻も自然であり、全体としてすっきりした佳作である。台座や持ち物は後補である。

木造十一面観音菩薩立像