オオサンショウウオ

おおさんしょううお


国指定特別天然記念物  所在地 瀬戸市下半田川町

現存する世界最大の両生類である。1952年(昭和27年)に国の特別天然記念物に指定されている。成体は全長60~80cm程度のものが一般的であるが、120cmを超えるものも確認されている。頭部と口が大きく、口を大きく開けるとその身が裂けたようにみえることから、「ハンザキ」とも呼ばれる。前足は4本、後足は5本の指を持つが、足は短く小さい。
西日本を主な生息分布域としており、瀬戸市はその東限とされている。瀬戸市では北部を流れる蛇ヶ洞川で生息がみられ、現在までに54個体が発見されている。生息環境保存のため、2002年の河川改修工事の際には人工巣穴が設置され、そこでの産卵も確認されている。また瀬戸市では2010年に「日本オオサンショウウオ大会」が開催され、地元の下半田川町に全国からオオサンショウウオ研究者や保護活動家が訪れた。現在は人工巣穴清掃や夜間観察会、河川清掃などの保護活動が瀬戸市と瀬戸オオサンショウウオの会(下半田川町)により毎年行われている。

オオサンショウウオは現存する世界最大の両生類で、昭和27年に国の特別天然記念物に指定されている。その棲息範囲は瀬戸市以西の本州・四国・九州の一部とされ、現在のところ瀬戸市が分布の東限と考えられている。
瀬戸市では下半田川町地内を流れる蛇ヶ洞(じゃがほら)川や日向(ひおも)川に棲息しており、調査によってこれまでに53個体が確認されている。最大の個体は全長102センチあり、平均75センチ前後の個体が最も多く見つかっている。オオサンショウウオは夜行性のため、日中は川の中の岩陰などに隠れてその姿を見ることはできないが、夜間に餌を求めて出現する。8月から9月頃が産卵期で、10月から11月頃に孵化した体長5センチ程度の幼虫が広がる。
下半田川町には河川工事に伴って設置された人工巣穴があり、その繁殖を願って毎年7月頃に人工巣穴の清掃が行われている。

蛇ヶ洞川のオオサンショウウオ

石造鳥居(八幡社)

せきぞうとりい


瀬戸市指定建造物 1基
平成5年2月19日指定 所在地 瀬戸市八幡町
所有者 八幡社(境内)
文化財 高さ308センチ、幅386センチ
時代 江戸時代前期(延宝五年)

延喜式神名帳の山田郡19座の中の「小口神社」は山口神社とされ、地域の総氏神として崇敬されてきた。境内には多くの末社が合祀され、棟札も多数残されている。
神社鳥居は近世以前その殆どが木造であり、明治以降順次石造鳥居に造り替えられてきた。瀬戸市内38基(平成4年現在)の石造鳥居の内、近世以前に建立されたものは、本件と赤津の大目神社(宝暦五年銘)の2基のみである。
鳥居は、花崗岩製・明神鳥居で、やや小型ではあるが均整がとれていて姿は美しい。「延宝五年丁巳閏十二月吉日 尾州愛智郡山田庄山口村氏子(以下判読不明)」とあり、瀬戸市内最古の鳥居である。

石造鳥居(八幡社)

定光寺本堂

じょうこうじほんどう


国指定建造物 1棟
大正15年4月19日指定 所在地 瀬戸市定光寺町 所有者 定光寺
文化財 一重裳階(もこし)付・入母屋造・柿葺 付宮殿1基
時代 室町時代後期

定光寺は建武三年(1336)平心処斎によって開かれた禅宗寺院である。その後火災や地震等の災害を受け、現在の本堂も天文元年(1532)の火災後、同三年に再建されたものである。
本堂は桁行5間・梁間5間の正方形で、裳階が付いているため、2階建てのように見えるが、実際は一階建てである。昭和12年の解体修理の際に、禅宗様の入母屋屋根を架け、上層部を復元した。屋根は厚さ3ミリの薄い柿葺きである。組物や桟唐戸、本尊が納められている厨子などは典型的な室町時代中期の禅宗様式である。

定光寺本堂

源敬公廟

げんけいこうびょう


国指定建造物 7棟
昭和12年8月25日指定 所在地 瀬戸市定光寺町 所有者 徳川義崇
文化財 源敬公墓(周囲石柵付)、唐門(平層門・銅瓦葺)、焼香殿(単層・寄棟造・銅瓦葺)、宝蔵(単層・寄棟造・銅瓦葺)、龍の門(四脚門・入母屋造・銅瓦葺)、築地塀(延長71間・銅瓦葺)、獅子の門(四脚門・切妻造・檜皮葺) 付参道・殉死者の墓・石柵4所
時代 江戸時代前期

慶安三年(1650)に没した尾張藩の藩祖徳川義直(源敬公)の廟で、その遺命により定光寺に築かれた。廟は帰化明人陳元贇(げんぴん)の設計により、儒教式廟建築形式をとった。同四年に山腹を3段にならして墳墓と石標を造り、翌承応元年1652)に門・焼香殿(祭文殿)・宝蔵(祭器庫)・築地塀などを完成した。

焼香殿・宝蔵
源敬公墓
唐門

馬ヶ城水源地・浄水場

うまがしろすいげんち・じょうすいじょう


瀬戸市馬ヶ城町
 瀬戸市街地の中央を流れる瀬戸川沿いに、尾張瀬戸駅から多治見方面へ10分ほど車を走らせ、右折して山あいに入ると緑豊かな風景に変わる。「馬ヶ城浄水場」と縦書きの表札が見えてくる。
 資料によると、昭和6(1931)年に着工、翌年に竣工している。同8(1933)年に給水を開始している。設計者不詳、施工者石川鎌吉他4名、事業費約69万円。広大な敷地に管理棟・濾過地・貯水池堰堤などが配置されている。管理棟は木造洋小屋平屋建で間口7.5間、奥行き4間の長方形のシンプルなプランである。屋根半切妻屋根(ドイツ破風)、スレート菱葺、換気用飾り窓を設けている。近年、屋根は銅板葺に替え、旧寄宿室は展示室に改修されたが、創建当時の雰囲気は失っていない。
 三つの濾過池は石積み造で今でも現役である。1日最大5200立方メートル、瀬戸市内野約1割の水を供給している。水の濾過には創建当時から緩衝濾過方式を採り、濾過池は下から玉石・砂利・濾過砂の順に積み上げ、濾過速度は1日3~6メートルと遅く、微生物の働きと自然の浄化機能を利用して濾過することから水がおいしいという特性がある。反面、大量の供給水のためには広大な敷地が必要とされ、戦前はともかく現在は濾過速度が速くて敷地面積が少なくて済む、薬品を用いた急速濾過方式が一般的になり、本浄水場の方式は全国の5%たらずという。
馬ヶ城貯水池の総貯水量は24万立方メートルである。(『保存情報Ⅱ』)