平成?年?月?日、山手特定土地区画整理事業にあたり町名を設定。1~3丁目がある。
→山手特定土地区画整理事業
カテゴリー: 町名
矢形町
やかたちょう
昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。町名は江戸期には矢形,(島)と記し、弘安年間現在の本泉寺境内に山田泰親が築城した山口城の別称矢形,(館)の城に由来する。
→山口城
→古墳・山口八幡社古墳群
南菱野町
みなみひしのちょう
昭和54年12月1日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。江戸期の村絵図の「権洞寺洞」「前田洞」と料雨池からの引水による「卯新田」「アラ田」の開田が見られる地域。
→古窯・大草古窯跡群
東赤重町
ひがしあかしげちょう
昭和60年4月27日、町名の設定。1~2丁目がある。もとは瀬戸市赤重・幡野町・菱野の各一部。
→古窯・釜ヶ洞古窯跡群
本郷町
ほんごうちょう
昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中水野・下水野の一部。江戸期水野川右岸にあった集落が、明和4年の洪水で海老づるヶ根のふもとに移転したのが本郷である。昭和56年十軒町・小田妻町と境界変更。
深川町
ふかがわちょう
松山町
まつやまちょう
昔、このあたりに大きな松山があったので、この松山の東側を東松山町、西側を西松山町と名付けた。ところが、西松山町が急激に発展してきたため、昭和58年にこの町をそのまま西松山町として残し、中央部は旧西松山町の北側に当たるため北松山町と名付け、残りの一町は、この町内に国鉄バスの停留所「上松山」があったため、これをとって上松山町と名付けたといわれる。
上松山町:昭和59年5月1日~現在。もとは西松山町・小田妻町Ⅰ~2丁目の各一部
北松山町:昭和59年5月1日~現在。もとは西松山町・小田妻町Ⅰ~2丁目・さつき台Ⅰ~5丁目の各一部
西松山町:昭和32年7月1日~現在。昭和59年からはⅠ~4丁目がある。
同年一部が北松山町1~2丁目・上松山町1~2丁目・東横山町・さつき台Ⅰ~5丁目となり、山手町の一部を編入。
東松山町:昭和32年7月1日~現在。→上松山町→東松山町→西松山町→北松山町
三沢町
みさわちょう
昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中水野の一部。1~3丁目がある。昭和56年一部を川平町・内田町に編入。
前田町
まえだちょう
昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字前田の一部。かつて蓮田といったが、蓮田でもあるまいと地元の有志が有力者の桜井林蔵氏の桜の一字を借りて桜町と名付けたが、昭和15年戦争が激しくなると県のほうから桜町天皇が居られるので遠慮するようにとの通知があり前田町になったと伝えられ。
東寺山町
ひがしてらやまちょう
昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。慶昌院とその南側は小高い山(丘)となっており、この一帯を寺のある山という意味で寺山と呼ばれていた。
→寺山町