緑町

みどりまち


昭和38年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは菱野の一部。昭和60年からはⅠ~2丁目がある。菱野団地の南西に隣接し、今は住宅地域となっているが昔は小松がうっそうと茂り、溜池(青池)などもあり、緑地であったそうで、そこから緑町と名付けられたと伝わる。一部が昭和53年原山台1~8丁目、同55年八幡台1~9丁目、同60年白山町1~2丁目となり、同年赤重町・幡野町・山口と境界変更。
→古窯・釜ヶ洞古窯跡群

東赤重町

ひがしあかしげちょう


昭和60年4月27日、町名の設定。1~2丁目がある。もとは瀬戸市赤重・幡野町・菱野の各一部。
→古窯・釜ヶ洞古窯跡群

白山町

はくさんちょう


瀬戸南部土地区画整理事業にあたり、昭和60年4月27日に町名を設定。江戸期の菱野村村絵図にはカマカ(釜)洞池北山上に白山宮が描かれ、『尾張徇行記』には「白山権現洞境内東西五十間、南北八十間」とある。
→瀬戸南部土地区画整理事業
→古窯・釜ヶ洞古窯跡群

幡野町

はたのちょう


昭和38年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは菱野・本地の一部。明治22年10月、本地村と菱野村が合併し村内の八幡社と熊野社の一字ずつをとって幡野村と呼ぶこととした。さらに明治39年5月、幡野村と山口村が合併して幡山村となり、そして、昭和30年2月、瀬戸市に合併し町名設定する際、昔の八幡野村の名を残そうということでこの地を幡野町と名付けた。昭和60年一部が東赤重町1~2丁目、赤重町となり、同年緑町と境界変更。幡野村:明治22~39年の愛知郡の自治体名。菱野・本地の2か村が合併して成立。村名は八幡社と熊野社の社名の各1字をとったものといわれる。
→古窯・菱野団地古窯跡群

原山町

はらやまちょう


昭和38年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは本地の一部。昔は愛知郡幡山村大字本地原山の飛地であった。昭和30年2月瀬戸市と合併し、町名設定する際に大字名のうち原山をとって原山町とした。昭和53年一部が原山台1~8丁目となり、同60年東権現町・萩山台1~9丁目の各一部を編入。
→陶原小学校御大典記念陶碑

赤重町

あかしげちょう


昭和38年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは菱野の一部で、江戸期の菱野村村絵図には「赤シケ洞」「アカシゲ」の地名が見られる。一部が、昭和53年菱野町、同60年東赤重町1~2丁目・緑町Ⅰ~2丁目・福元町となり、同年幡野町の一部を編入。