松山町

まつやまちょう


昔、このあたりに大きな松山があったので、この松山の東側を東松山町、西側を西松山町と名付けた。ところが、西松山町が急激に発展してきたため、昭和58年にこの町をそのまま西松山町として残し、中央部は旧西松山町の北側に当たるため北松山町と名付け、残りの一町は、この町内に国鉄バスの停留所「上松山」があったため、これをとって上松山町と名付けたといわれる。
上松山町:昭和59年5月1日~現在。もとは西松山町・小田妻町Ⅰ~2丁目の各一部
北松山町:昭和59年5月1日~現在。もとは西松山町・小田妻町Ⅰ~2丁目・さつき台Ⅰ~5丁目の各一部
西松山町:昭和32年7月1日~現在。昭和59年からはⅠ~4丁目がある。
同年一部が北松山町1~2丁目・上松山町1~2丁目・東横山町・さつき台Ⅰ~5丁目となり、山手町の一部を編入。
東松山町:昭和32年7月1日~現在。→上松山町→東松山町→西松山町→北松山町

東松山町

ひがしまつやまちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上水野の一部。
→松山町
→マメナシ・瀬戸市指定天然記念物

東横山町

ひがしよこやまちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中水野の一部。水野村の時はこの地を南山と呼んでいたが、同26年に瀬戸市と合併することとなり、町名設定の際、名鉄線路をはさんで北側を北横山町、南側を南横山町とした。現在の名鉄新瀬戸駅は当時横山駅と呼んでいた。その後、南北が合併することとなり、東横山町と名付けられた。同59年西松山町・小田妻町1~2丁目の各一部を編入。

西追分町

にしおいわけちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部。明治38年瀬戸自動鉄道名古屋瀬戸線が開通、追分駅(現瀬戸市役所前駅)・横山駅,(現新瀬戸駅)周辺で商業区として発展してきた。

西松山町

にしまつやまちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。昭和59年5月1日からはⅠ~4丁目がある。同年一部が北松山町1~2丁目・上松山町1~2丁目・東横山町・さつき台Ⅰ~5丁目となり、山手町の一部を編入。
→松山町

苗場町

なえばちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中水野の一部。町名は県の苗場が所在したことによる。

北松山町

きたまつやまちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。昭和59年5月1日から1・2丁目がある。もとは西松山町・小田妻町Ⅰ~2丁目・さつき台Ⅰ~5丁目の各一部。
→松山町

水南町

すいなんちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中水野の一部。水野村は面積が広いため南北に分けて北側を「水北」、南側を「水南」と呼んでいた。水南町は、当時の水野で最も南部にあたるところから水南町と名付けた。