東寺山町

ひがしてらやまちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。慶昌院とその南側は小高い山(丘)となっており、この一帯を寺のある山という意味で寺山と呼ばれていた。
→寺山町

西寺山町

にしてらやまちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。慶昌院とその南側は小高い山(丘)となっており、この一帯を寺のある山という意味で寺山と呼ばれていた。
→寺山町

寺山町

てらやまちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。慶昌院とその南側は小高い山(丘)となっており、この一帯を寺のある山という意味で寺山と呼ばれていた。
→東寺山町
→西寺山町

共栄通

きょうえいどおり


昭和27年11月28日、大字名を廃止し町名を設定。1~7丁目がある。もとは今の一部。大正末期、今村に「共存共栄」をモットーとする産業組合が設立され、多くの住民によって育てられてきたことから「共栄」の言葉が使われ、町名になった。
→今村城