東光寺

とうこうじ


瀬戸市三沢町1-429
薬王山 東光寺。臨済宗妙心派。本尊観世音菩薩。開創は永正元年(1504)9月 雪心宗白によって開山されたが、それ以前に奈良時代に行基によって水野山中の老桧から作られた薬師如来像が難病、不運に霊験があると言われ善男善女遠近より多く人が参詣したという。殊に東光寺薬師如来は眼疾を患う人には効果があり今日でも眼疾をなおすためのお参りの人が多く、お薬師(薬師如来命日)は10月8日、10月12日の両日となっている。他に行事のなかでは8月第4日曜日の地蔵祭りがある。

東光寺
東光寺
東光寺

興龍寺

こうりゅうじ


瀬戸市仲郷町73
城見山 興龍寺。高野山真言宗。本尊は千手千眼十一面観世音菩薩。開基は不祥、開山は快導和尚。本尊は千手千眼観世音菩薩立像。寺宝として釈迦如来座像・毘沙門天立像・不動明王立像・弘法大師尊像四体(入定大師三体・鯖大師一体)。年中行事は節分厄除け星供養(2月)、お彼岸写経会(3月)、弘法大師正当御影供(旧3月21日)、弘法大師御誕生青葉まつり(6月)、お盆施餓鬼法要(7月)、お彼岸写経会(9月)、冬至弘法大師(12月)。この寺は、旧市街を一望出来る小高い山上に有り、その名城見山と号す。名古屋城天守閣を望む事から由来し、その眺望の良さから大正・昭和の始め頃は花見遊山の人で賑わった様である。山上には大正時代の銘の有る弘法大師八十八ヶ所霊場が奉祀され、約190体程の石像が点在する。往時の弘法大師信仰の盛んな様子が偲ばれる。通称弘法山は「願いがかなう弘法様」「利益あらたかな弘法様」で古来親しまれてきた。

興龍寺

金剛院

こんごういん


瀬戸市東拝戸町5-1
日本世界山 金剛院。高野山真言宗。本尊は聖観世音菩薩、脇佛に弘法大師、不動明王。開基は浅井法導師。現住職 第四世、水野鉦法。当山は大正末期に弘法堂として弘法大師信者の教化育成を目的として教義を広めた。昭和の初期に和歌山県高野山、高野山真言宗総本山、金剛峯寺依り、寺号金剛院を賜わり金剛峯寺の末寺として現在に至る。宗祖弘法大師を尊信し、密教会興隆、衆生済度、手に印を結び、口に真言を唱え、心三摩地に済す三密修行の聖業に精進し、又、日本世界教祖の佛法の教えである因縁因果、因果応報の道理を悟し、人間自ら心の罪を悔い改め懺悔をして善行を行ない自分自身の精神修養の修行を目的としている。古瀬戸から赤津に向う道沿い左手にあり、名鉄バス金剛院前の停留所がある。行事としては、新年大祈禱、二月節分会、春秋彼岸大法要、各種御祈禱、水子供養、十一月三日には豊穣大祭が盛大に執り行われる。

金剛院(参道)
金剛院

西光寺

さいこうじ


瀬戸市西脇町182
大澤山 西光寺。真宗大谷派。年中行事としては報恩講・春秋永代経・お盆会等。沿革としては大澤治郎左ヱ門と言う人を始めとして4名が菱野村に住み、その人達が美濃国鵜沼城にあった春日仏師の作である本尊阿弥陀如来を迎え祠ったのが西光寺の事の始まりと言われている。また元禄4年(1673年)に本堂を建立した記録がある。本尊は前出の阿弥陀如来である。

西光寺

順慶寺

じゅんけいじ


瀬戸市熊野町20
春日山 順慶寺。真宗大谷派。大正初期以来布教道場があったが、昭和7年(1931)に真宗大谷派公認布教場として権現説教場となり、その後春日山順慶寺の寺号で開山し、念仏聞法の道場として知られている。本尊としては阿弥陀如来を祠り、寺宝としては阿弥陀如来御木像、親鸞聖人御影像、中興蓮如聖人御影像等があり、年中行事としては正月元旦の修正会、春秋彼岸会法要、孟蘭盆会法要、報恩講等がある。

順慶寺

新神明社

しんめいじんじゃ


瀬戸市定光寺町1313
 社伝は明らかでないが、正徳6年(1716)に再建されたとされる。祭神は伊弉諾尊、伊弉册尊、菊理姫尊を祀る。境内に山神社、津島社が鎮座する。

陶彦社

すえひこしゃ


瀬戸市深川町11
深川神社に摂社として鎮座する。祭神は窯神ともいわれる陶祖の加藤四郎左衛門景正を祠る。陶祖藤四郎が深川神社に参龍した折、御夢霊験により社の辰己に当る祖母懐の土を得たと伝えられている。陶祖の藤四郎の作と伝えられる古瀬戸の灰釉狛犬が宝物館にある。鎌倉時代の作といわれており、現在重要文化財に指定されている。

陶彦社(全景)
陶彦社(本殿)
陶彦社(拝殿蟇股意匠)

曽野稲荷大明神

そのいなりだいみょうじん


瀬戸市曽野町1873
曽野稲荷大明神縁起記によれば「上水野曽野郷、稲荷山に鎮まります正一位稲荷大明神は、太田左太彦命を主神とし、権太夫大神を守護神として奉祀して、城州(京都)深草の里、荒神ヶ峰田中の社より御分身給える御社なり」とある。由来を求めると今から約120年程前、荒神ヶ峰のふもとにある稲荷総本宮愛染寺の別当盛淳上人が諸国を遍歴した折、この地をたずね農家を仮宿をたのんだところ、主人が快くむかえいれた。その折別室で婦人が叫喚する声を聞いた。理由を聞くと白狐が出てなやますのだと言う。上人がおまじないでこれを直した。それ以来ここに稲荷を祀ったのがはじまりといわれる。

曽野稲荷大明神(参道)
曽野稲荷大明神

八王子社(曽野町)

はちおうじしゃ


瀬戸市曽野町1582
祭神は成務天皇、応神天皇、神〓皇后、大山祗命である。社伝は明らかではないが、延宝4年(1676)12月20日、尾張藩主2世の光友の時再建した。また大正6年(1917)9月28日に同じ水野村にあった山神社を合祀した。例祭日は毎年10月15日の直前の日曜日に行われる。

八王子社(曽野)(鳥居)
八王子社(曽野)(拝殿)

八王子神社(共栄通)

はちおうじじんじゃ


瀬戸市共栄通5丁目64
祭神は須佐之男命の八王子(八柱獅子)が祀つられている。創建は1473年(文明5年)。文明5年(1473)この地の城主、松原下総守広長公が城外の浮地を選んでこの社を勧請造営した。広長公が文明10年(1478)に戦いに敗れた後は矢野氏が維持修繕をしている。?尾州誌志には「八王子の社、今村に有り。5男3女神を祀り天照大御神素盞嗚尊を配享す」と記されている。社伝に文明5年(1473)9月松原下総守広長が造営したといわれる熊野三神及び天照大御神の末神がともに祀られている。

八王子神社(共栄通)(鳥居)
八王子神社(共栄通)(拝殿・本殿)