東福寺

とうふくじ


菱野1829
旧菱野村東福寺は天台宗の寺院で、寺伝によれば12世紀に開かれ永正13年(1516)火災により全焼。翌14年(1517)の菱野熊野社棟札銘には「別当・東福寺秀海」とあり、東福寺の僧侶が熊野神社の別当を務めていたことが分かる。昭和25年(1950)に無住となり、廃寺となった。

東福寺
東福寺

平等庵

びょうどうあん


瀬戸市東町
洞の東町の奥に平等庵がある。平等庵は名古屋の熱田の旗屋町にある登和山青大悲寺の末寺で御本尊は阿弥陀如来である。この寺は修業寺で、住職は本元の青大悲寺で厳しい修業をした尼さんが派遣されてくる。修業寺であるから日課は大変厳格に守られている。朝3時に起床、3時から5時30分まで座禅、5時30分からおつとめ、7時に食事、7時30分から座禅、また食事は参禅するとだされる質素なものである。この寺に檀家はない。宝泉寺の檀家をすこしばかりあずかって月まいりをする程度である。お祭りは春の花祭りとお彼岸とお寺のお祭りがある。お寺のお祭りは年に1回、本元の青大悲寺から指定された日に位の高い尼さんが派遣されておこなわれる。その日には地元の洞をはじめ、名古屋から多くの信者が集まり、座禅やおつとめや説教が盛大におこなわれる。

平等庵
平等庵

 

法雲寺

ほううんじ


瀬戸市深川町30
紫雲山 法雲寺。真宗大谷派。明治16年(1883)他所から移住した真宗の信徒のために、信徒自らが坊舎を建立したのが、その始まりであり、明治29年(1896)には本山より布教使・本多智淳を派遣した。明治35年(1902)には本堂建立後に寺厨を改築し賓館を増築し次第に形を整え、昭和2年(1927)3月22日に、岐阜県恵那郡苗木町にあった法雲寺を移して、真宗の説教場より寺院に昇格し、本多智淳師が初代の住職となった。本尊は阿弥陀如来立像、年中行事としては3月・9月の春秋彼岸会、7月の孟蘭盆会、11月の報恩講が主なものとして挙げられる。また本堂脇には第二次世界大戦の際に金属供出でなくなった梵鐘の変わりとして作られた陶製の梵鐘が置かれている。

法雲寺
法雲寺

宝生寺

ほうしょうじ


瀬戸市駒前町171
佛法山 宝生寺。曹洞宗。本尊は観世音菩薩を祀る。当初は弘法大師を本尊として原山(現西原町1丁目)にあったと言われている。約350年前の寛永9年(1632)に雲興寺15世興南義繁によって開創され、八丁寺(現西本地町1丁目)に移転し雲興寺25世全山紹道によって佛法山宝生寺として開山した。享保5年(1720)に山口川の大洪水にあい流失したため現地に再移転した。現住職は全山紹道より数えて16代となる。寺宝としては2代目代興柏春の真筆正法眼蔵があり、年中行事の中では1月5日の初えびすが名高い。又延命地蔵尊の夏祭りも地域をあげて例年とり行われている。

宝生寺
宝生寺

宝泉寺

ほうせんじ


瀬戸市寺本町30
大昌山 宝泉寺。曹洞宗。本尊は釈迦牟尼佛、脇佛に地蔵菩薩、薬師如来が祀られているが、この薬師如来像は行基の作になるものとして名高く、約720年前に創立された当初の本尊であった。16世紀末天正年間に戦火によって消失したがその数十年後に雲興寺の興南によって堂が建立され延命地蔵尊を本尊として、大昌峰宝泉寺となった。天明年間には三殿堂を建立、その100年後には諸堂が一新されたと言う記録が残っている。尾張33カ所第26番札所、尾張城東西国33カ所第31番 札所としても知られている。年中行事では大槃若会、節分会、彼岸会、秋葉祭典等があるが、最も名高いものは薬師祭典(11月8日、11月12日)で、“お薬師さん”の呼び名で知られており瀬戸の季節をいろどる風物詩として市民に親しまれている。

宝泉寺
宝泉寺
陶質十六羅漢塑像
本堂天井絵

本泉寺

ほんせんじ


瀬戸市矢形町165
教春山 本泉寺。真宗高田派。本尊は慈覚大師作の阿弥陀如来である。また別堂本尊として弘法大師の作である十一面観世音像がある。年中行事には修正会、彼岸会、太子会、釈尊三大聖日、同朋会がある。由緒としては土地の地頭職であった山田泰親が下野団高田専修寺の顕智がこの地に来た際に師資の約をして、法名瀞顕を得て弘安6年(1283)に開山したのが始まりである。以後天文5年(1536)、宝暦10年(1760)、更に昭和63年(1988)に本堂の再建をして現在に至る。明治15年(1882)に観音堂(別堂)を境内に移し、尾張城東西国33カ所第32番札所・山口観音堂となっている。寺宝は前出のものの他、宗祖聖人木像、薬師如来、瀞顕の作になる聖徳太子像がある。

本泉寺 山門・本堂
山口観音堂
山口観音堂 十一面観音立像

万徳寺

まんとくじ


瀬戸市塩草町93
太子山 万徳寺。真宗高田派。本尊は阿弥陀如来で歴史としては約700年前に武蔵国から三河今橋に移り住んだ親鸞の弟子の海円が三河国加茂郡越戸(現豊田市)に万徳寺を建立したのがその始まりである。その後正応元年(1288年)尾張国春日井郡赤津村に天台宗の帝子堂を再興し関尾山万徳寺を起した。太子山の由来は寛正年間に今村城主松原広長が聖徳太子霊像に帰依して、太子にかかわるものや寺領、本堂を寄進した事による。大正元年(1912)には高田本山より太子山の山号を下付され改称した。現在の太子堂は昭和10年(1935)の改築のものである。年中行事として彼岸会、報恩講などの他、聖徳太子御会式がある。寺宝として聖徳太子自作と言い伝えのある聖徳太子孝養像の他、聖徳太子、親鸞聖人にかかわるものが多数ある。

万徳寺
松原塚

菩提寺

ぼだいじ


瀬戸市上品野町字杁ヶ洞1020
尾張城東西国三十三観音 第二十九番札所。天台宗寂場山菩提寺。菩提寺は160年前、養海上人によって開基された。本堂は千手観音菩薩を奉り、不動明王・毘妙門天・弘法大師・役の行者が安置されている。本堂東には、出雲大社より招神の神「えびす」様を迎えお奉りしてある。菩提寺は国内でも有数な霊山で、加持祈禱の道場でした。昭和4年(1939)に本堂が焼失し、今の本堂は昭和36年(1971)に再建された、菩提とは「正しく最上の覚り」という意味である。

菩提寺
菩提寺山門仁王像

吉祥寺

きっしょうじ


瀬戸市上半田川町846
多聞山 吉祥寺。曹洞宗。本尊は行基作毘沙門天。開創は寛永7年(1630)吉祥庵がおこされた事に始まるが、しばらく無住が続いたが、天保11年(1841)雲興寺34世瑞応慧琳によって再興開山された。本尊の吉祥寺毘沙門天は頭痛を取り除くとの言い伝えがある。4月第1日曜日は南無喜平治大祭行われる。

吉祥寺

仙寿寺

せんじゅじ


瀬戸市東菱野町31
福禄山 仙寿寺。曹洞宗。本尊は聖観世音菩薩、寺宝として明兆作の十六大善神画像がある。年中行事として大般若修行、十六大善神まつり、施餓鬼会等がある。開創は赤津雲興寺利翁田大和尚の隠棲として、享保3年(1718)2月にこの地に作られたのが始まりであり。その後廓林天外大和尚によって開山された。市民には十六善寺の呼び名で知られている。また当寺では、昭和48年(1973)に陶生病院・産婦人科におられました亀島先生はじめ、瀬戸の諸先生方々の手によって、『水子地蔵尊』が建立され、今では多くの信者の手によって守られている。

仙寿寺
仙寿寺