山口八幡社

やまぐちはちまんしゃ


瀬戸市八幡町3
山口神社。社名を山口八幡社というが地元からは単に八幡社と呼ばれている。社伝によれば、1221年の承久の変の折、山田次郎重忠が後鳥羽上皇に加勢し奮戦したが敗れ、重忠は一族とともに、この山口村へ落ちのびた。そしてここに八幡宮を勧請したといわれる。建物は南から石鳥居・二ノ鳥居・唐門・拝殿・祝詞殿・本殿と続くが、この石鳥居の脚柱に延宝5年(1677年)12月吉日の年号があり、これは瀬戸市内の鳥居の中で最古のものである。境内の西の一段高くなった所に「山口天神社」と「山口稲荷神社」の末社が鎮座し、稲荷社は横穴式石室の中に社殿がある。また境内には通称「杉塚」と呼ばれる古墳群がある。

山口八幡社 拝殿・唐門・石造鳥居

八王子神社(共栄通)

はちおうじじんじゃ


瀬戸市共栄通5丁目64
祭神は須佐之男命の八王子(八柱獅子)が祀つられている。創建は1473年(文明5年)。文明5年(1473)この地の城主、松原下総守広長公が城外の浮地を選んでこの社を勧請造営した。広長公が文明10年(1478)に戦いに敗れた後は矢野氏が維持修繕をしている。?尾州誌志には「八王子の社、今村に有り。5男3女神を祀り天照大御神素盞嗚尊を配享す」と記されている。社伝に文明5年(1473)9月松原下総守広長が造営したといわれる熊野三神及び天照大御神の末神がともに祀られている。

八王子神社(共栄通)(鳥居)
八王子神社(共栄通)(拝殿・本殿)

八王子神社(白岩町)

はちおうじじんじゃ


瀬戸市白岩町385
祭神は須佐之男命の八王子(八柱御子)が祀つられている。正保元年(1644)以前の創建と推定される。由緒については不明である。祭例は10月16日に近い日曜日に行われる。

八王子神社(白岩町)

八王子神社(美濃池町)

はちおうじじんじゃ


瀬戸市美濃池町127
天照大御神が須佐之男命と誓約された時生れた須佐之男命の八王子が祭神である。社伝は明らかではないが応永年間(1394~1427年)の創建とされ、その後この土地開墾の主、稲垣主繕広茂(松平下総守の重臣)が天正年間(1573~1592年)にここに土着し、この社を氏神として崇敬したという。その後十数度に渡って、改築再建がくり返されたが、昭和51年(1976)に現在の社拝殿を再建し現在に至る。例祭日は毎年10月15日の直前の日曜日に行われている。

八王子神社(美濃池町)(参道)
八王子神社(美濃池町)(本殿前)

八劔社(下半田川町)

はっけんしゃ


瀬戸市下半田川町746
祭神は、天照皇御神、素盞嗚男尊、日本武尊、宮酢姫命、健稲種命である。創建、由緒については不明である。例祭は毎年10月10日に行われる。

八劔社(下半田川町)(参道)
八剱社(下半田川町)(拝殿)

八幡社(片草町)

はちまんしゃ


瀬戸市片草町403
祭神は応神天皇である。寛文13年(1694)以前の創建と推定される。明治5年(1872)5月に村社に列せられた。由緒については不明である。例祭は毎年10月16日であるが最近は、それに近い日曜日に行われる。

八幡社(片草町)(遠景)
八幡社(片草町)(拝殿・本殿)

八幡神社(内田町)

はちまんじんじゃ


瀬戸市内田町1丁目665
祭神は応神天皇・宇賀魂命である。創建については明らかではない。大正7年(1918)5月13日に宇後田の田辺社・字内屋敷の神明社・字四ッ谷の山神社の三社を合祀した。例祭は毎年10月15日の直前の日曜日に行われる。

八幡神社(内田町)拝殿

八幡神社(水北町)

はちまんじんじゃ


瀬戸市水北町1341
祭神としては、神功皇后・成務天皇・応神天皇・玉依姫命が祀られている。創建については明らかではないが、延宝4年(1676)12月20日尾張藩主光友によって再建された。明治5年(1872)村社となり、明治40年(1907)供進指定をうけた。大正6年(1917)9月30日に同村に鎮座する山神社3社を合祀した。例祭は毎年10月15日直前の日曜日に行われる。

八幡神社(水北町)

窯神神社

かまがみじんじゃ


瀬戸市窯神町112
窯神社。文化11年(1818)磁祖加藤民吉が製品の完成祈願の為、太宰府天満宮と火具土神を祀ったことに始まる。民吉没後、郷人がその偉業を徳として、彼の霊を併祀した。全国的に知られる「せともの祭」はこの神社の神事であり、民吉の命日にちなんで毎年9月の第3土・日曜日に開催されている。窯神社には、民吉像(加藤顕成-瀬戸出身の彫そ家)の他、民吉を助けた津金文左衛門顕徳碑と当時瀬戸の窯屋取締役を加藤唐左衛門の顕徳碑が並んでいる。

八剱神社(中品野町)

はっけんじんじゃ


瀬戸市中品野町180
祭神は天照皇大神、日本武尊、建稲種命、素盞鳴尊、宮策姫命である。創建は不明であるが張州府志によれば長江入道が創建し、永禄元年(1557)松平監物が修覆したとある。例祭は毎年10月中旬に行われる。
(参考文献:『張州府志』宝暦2年(1752)完成)