尾張戸神社

おわりべじんじゃ


瀬戸市十軒町913
 祭神 天火明神(あめのほあかりのみこと)天香語山命(あめのかぐやまのみこと)建稲種命(たけいなだねのみこと)天道日女命(あめのみちひめのみこと)乎與命(おとよのみこと)標高198mの東谷山々頂に鎮座する。東谷山は当国山ととも書き、江戸時代の初代尾張藩主徳川義直の時、この山から「当国明神」と銘の入った鉄筒を堀出したことから名づけられたという。東谷山の西側は一大古墳群となり、名古屋市内の古墳の6割がここに集中し、尾張氏との関係した神を祀りされていて豪族尾張氏との関係をうかがわせるここには興味深い言い伝えがある。その昔天香語山命が東谷山と向かい合う高蔵山にお降りになった。命はこれから尾張地方を治めるのによい土地を嘱望したところ、向かいの東谷山が良いと決められその山に移ることになった。そのとき障害となったのが庄内川であった。渡ることに躊躇していた命の前に白い鹿が現れ、命はその鹿に乗って川に渡り東谷山へ移ったというものである。それにちなんで、おくわ祭には白い鹿の1つがいの作りものを甘酒と一緒に供える。

金神社(小金町)

かねじんじゃ


瀬戸市小金町69
通称「おがねさん」と呼ばれているこの神社は、昭和19年(1944)に水北町から遷座したものである。主祀神は尾治金連(おわりかねのむらじ)である。尾治金連は天香語山命15世の孫と記され尾張の各地に勢力圏を築いた中心的な氏族の一つであった。血族的集団の中心をして氏神を崇拝したがそれがこの神社である。

金神社(上水野町)

かねじんじゃ


瀬戸市上水野町字安戸2405-18
祀神は尾治金連(おわりかねのむらじ)である。尾張金連は天香語山命15世の孫と記され、尾張各地に勢力を築いた。以前は現在の感応寺の鎮守社として水野川を中心とした地域を見渡すことのできる標高150m程の寺地の内にあった。明治に入り神仏分離によって村社となった。昭和の初めに上水野の南東の安戸地区(現在の小金町)から遷座の熱望があり、紆余曲折を経つつ昭和19年(1944)にようやく遷座された。現在は、旧社地は寺地となっており、墓地造成のあおりをうけて往時を偲ぶことはできない。