瀬戸市八幡町3
山口神社。社名を山口八幡社というが地元からは単に八幡社と呼ばれている。社伝によれば、1221年の承久の変の折、山田次郎重忠が後鳥羽上皇に加勢し奮戦したが敗れ、重忠は一族とともに、この山口村へ落ちのびた。そしてここに八幡宮を勧請したといわれる。建物は南から石鳥居・二ノ鳥居・唐門・拝殿・祝詞殿・本殿と続くが、この石鳥居の脚柱に延宝5年(1677年)12月吉日の年号があり、これは瀬戸市内の鳥居の中で最古のものである。境内の西の一段高くなった所に「山口天神社」と「山口稲荷神社」の末社が鎮座し、稲荷社は横穴式石室の中に社殿がある。また境内には通称「杉塚」と呼ばれる古墳群がある。
カテゴリー: 神社・仏閣・教会
祥雲寺
しょううんじ
瀬戸市上品野町665
瑞応山 祥雲寺。曹洞宗。本尊は地蔵菩薩であり開山は雲興寺28世大興柏春。年中行事としては大船若法会、地蔵祭り、秋葉祭典がある。
雲興寺
うんこうじ
瀬戸市白坂町131
大龍山 雲興寺。曹洞宗。本尊として釈迦牟尼仏、左右に脇仏の文珠菩薩、普賢菩薩を祀ってある。盗難除けの守護身である護法性空威徳山神が祀られている事ことで有名。至徳元年(384年)天鷹祖祐禅師によって開山され、当時の堂塔(七堂伽藍)は、足利3代将軍義満公の帰依によるものと言われる。応永6年(1399)2代天先祖命禅師の時に悪鬼が出没して人命を奪ったため、禅師がその鬼に般若経の無性法の義を授け「性空」と名付けた。「性空」は将来盗難鎮護の守護神になる事を誓って盤石を残した。足利幕府、信長、秀吉そして徳川幕府からの保護があつく明治維新前は寺領300石を有する格式ある修行寺であった。その歴史が示すように寺宝は絹地鳶色御開山衣を初めとして、足利義輝・信長・秀吉・家康に係るものが多彩である。毎年4月24・25日の開山忌、性空山神大祭がある。周囲は常緑に包まれ尾三濃3国の国境いの近くにあり、東海自然歩道のルートにあり行楽の拠点としてよく知られている。また境内には碍子で作られた塔が立っている。
浄源寺
じょうげんじ
瀬戸市岩屋町27
洞谷山 浄源寺。曹洞宗。由緒としては聖武天皇の時代に浄源寺の飛境内地(現在岩谷堂温泉地内)に行基が千手観音、白衣観音、薬師如来の三体を彫刻し石室に安置したことに初まる。この時に野鳥が木の実をくわえて仏前に供えたことから鳥原の地名が出来たと言う。享徳3年(1454)に雲興寺二代天先祖命によって白衣観世音菩薩(行基作)を本尊としてこれまで天台宗を改宗して浄源寺を建立した。岩屋堂の地名は天台宗岩屋山薬師堂の名によるものである。寺宝としては御朱印安藤対馬守一通、天神名号一福がある。年間の行事としては大槃若会、盆施餓鬼、薬師大祭、彼岸会等がある。
栄国寺
えいこくじ
瀬戸市西本町1-8
大平山 栄国寺。曹洞宗。国道155号線西本町交差点の近くにあり、油壁と山門が尼寺らしいやさしいたたずまいを見せている。明治34年(1901)水野常倫禅尼師の建立によるもので、尼僧衆研鑚の場として全国につとに有名。現在も常に30名程尼僧が修行を重ねている。本尊は見代り地蔵、御たすけ地蔵として知られる石仏延命地蔵願王菩薩で御札を身につけ病気の個所、傷の個所をさすって川に流すと地蔵が身代りとなって悪病が去ると言い伝えられている。その言い伝えを表わすように石仏が左から右へ袈裟がけに切られ上下2つに割られている。年中行事としては市民によく知られている(地蔵盆大祭)の他(花まつり)大般若会、御涅槃会、施餓鬼、両彼岸会がある。
定光寺
じょうこうじ
瀬戸市定光寺町373
応夢山 定光寺。臨済宗妙心寺派 本尊延命地蔵菩薩、創建は建武3年(1336)鎌倉建長寺で修業し54才の時に当時人跡未踏の地に庵を結び座禅をしていた覚源によってなされた。里人の協力によって本堂を建立する際に雲水たちが定光仏と言う霊像を掘り出した夢を見たので、山号を応夢山、寺号を定光寺とした。本堂は国指定重要文化財である。近くには定光寺公園があり、春は桜の名所として行楽客でにぎわい、また東海自然歩道のコースとしてハイカーにも親しまれている。
※山上には尾張徳川の藩祖義直公の葬られている源敬公廟がある。中国式の異彩を放つ建築であり、左甚五郎の彫刻もある。これも国の文化財に指定されている。
栄昌寺
えいしょうじ
瀬戸市一里塚町108
弘徳山 栄昌寺。曹洞宗。宝泉寺15世天地圍山和尚を迎えて開山した。本尊は如意輪観世音菩薩であるが、遠州より迎えいれた日切地蔵尊が日を切って「願」をかけると必ず願いがかなうと言われ、近在の人々に「日切地蔵」さんと親しまれ、信仰を集めている。また伊勢の白子から迎えた子安観音も多く信者に親しまれている。寺宝として瀬戸最古の尊像と伝えられている陶製素焼きの弘法大師像があり、主な行事に弘法正当法要、施餓鬼会、日切地蔵祭がある。
如々庵
にょにょあん
瀬戸市穴田町524
1919年(大正8年)開庵、本山は(名古屋市熱田区旗屋町)俗に鉄地蔵と言い青大悲寺と称す。ここは他寺と違い修行を元とし(座禅、托鉢、回向等)檀家を持たず代々本山より派遣せられる庵主によって布教(如来教)に専念する。又主な行事としては毎朝5時30分より、信者が寄り集まり、庵主と共に勤行、御経様(教祖の教え)を聴問する。春秋の彼岸の中日には彼岸法会をする。年毎に隣庵を招き御供養を取り行う。地域の人々からは穴田の〓(女に留)〓(女に全)如来様として、したわれ信心を集めている。
覚城寺
かくじょうじ
瀬戸市追分町73
不動山 覚城寺。真言宗醍醐派。大正14年(1925)4月4日天台宗寺門派教分追分支部として教主小林種圓で設立された。昭和18年(1943)になり主管者山田覚圓法人真言宗修験道醍醐不動協会となり、昭和21年(1946)12月7日法人教会解散と同時に寺院に昇格し現在に至っている。本尊は法身体大日如来、弘法大師、不動明王。“お不動さん”と呼び親しまれ瀬戸市役所東隣の南北の通り「不動産通り」と言うのは覚城寺の不動明王に由来する。
善光寺別院
ぜんこうじべついん
瀬戸市西吉田町9
称名山 善光寺別院。浄土宗。本尊としては一光三尊善光寺如来、阿弥陀如来をまつり、年中行事としては施餓鬼会、春秋彼岸会、鬼畜供養がある。昭和3年(1928)長野の善光寺より本尊を迎えて善光寺別院となり、昭和11年(1936)には本堂を建立すると同時に善光寺大本願尼公上人を迎え開山した。