庄内川

しょうないがわ


一級河川。全長96 kmのうち瀬戸市と春日井市境を流れるのは、多治見市境より春日井市玉野町に至る7.4kmで、このあたりでは玉野川とも呼ばれている。河床はほとんどが中・古生代の硬い岩盤であり、両岸は急勾配を示し山腹が迫るV字谷となっている。したがって支川延長の短い川が多く、これらは川というより沢と言った方が良い程である。
庄内川に接する定光寺地区は、名古屋の奥座敷といわれる景勝地であり、風光明媚な一帯である。

庄内川

猿投山北断層

さなげやまきただんそう


瀬戸地域には、笠原断層、暁断層、菱野断層及び猿投山北断層からなる主要な断層がある。
猿投山北断層は北東-南西方向を示し、花崗岩類の中を通っている。本断層は、花崗岩類に幅約1mの明瞭な破砕帯として確認でき、深い断層谷として追跡できる。瀬戸市域では断層の南東側の地塊が地形的に高く、北西側地塊に分布する水野砂礫相などは、南東側に分布しないことから、南東側地塊の隆起と考えられる。
瀬戸地域は、東南東-西北西方向の断層運動と猿投山を中心とする地域の隆起によって地質構造が発達した。断層運動は、品野層堆積後から現在まで継続して活動していたと推定され、花崗岩類が侵食されてできた堆積盆地内に品野層が堆積し、断層運動を受けて部分的に侵食され、地形は平坦化された。品野層の上に花商岩の風化物が瀬戸陶上層として堆積し、断層運動を受けわずかに侵食作用を受け、その上に矢田川累層が堆積し、再び断層運動を受けたと考えられる。

瀬戸川

せとがわ


一級河川。西古瀬戸町において、紺屋田川と古瀬戸川の合流地点、刎田橋付近から下流が瀬戸川となり、古瀬戸町で国道248号線をくぐってからは市街地を流れ、山脇町で大きく湾曲して西へ流れていく。山脇町を通ってからは川幅も広くなり、緩やかなS字を描きながら市役所前を通り、共栄通りで瀬戸街道をくぐり西原町で矢田川に合流している。幹線流路の延長は6.04 km、 高低差は50m程である。川の南北には丘陵が迫っているため、支川延長の短い川が目立つが、谷間を抜けて北東、南東へ延びる支川は比較的長くなっている。一里塚川・紺屋田川はその例である。
かつては、白濁の程度が陶磁器業界の経済状態を示すとして、白い水の流れに好感を持たれていたが、河川浄化の取り組みにより川の水は透明度を増し、現在は魚が泳ぐまでになっている。流域面積が広く、宅地化がすすんでいるため、一旦大雨が降ると濁流となって水かさが増すが、平常時は水量が少ない。
(参考文献:瀬戸市史編纂委員会 1986『瀬戸市史 資料編2 自然』)

瀬戸川

菱野断層

ひしのだんそう


瀬戸地域には、笠原断層、暁断層、菱野断層及び猿投山北断層からなる主要な断層がある。
菱野断層は東南東-西北西方向であり、東南東方向の延長は花崗岩類の中へ入り不明である。本断層の南側には基盤の花商岩が露出し、やはり南側の地塊が隆起している。

玉野川

たまのがわ


庄内川のこと。美濃の土岐川、雨澤川、日吉川等が次第に合流して大きくなり、さらに水野川、内津川、八田川の流れを合わせ旧東春日井郡の中部を貫き、旧西春日井郡を経て名古屋市、旧海部郡を南流し、海に注ぐ。昔より地域により川の名前が異なり、品野より下流を玉野川、勝川付近を勝川、味鋺近傍を味鋺川などとその流下地の地名で呼ばれていた。
徳川時代にこの流域は安食庄、稲内庄、山田庄、小田井庄、一色庄などに分けられており、名古屋城下の各庄を貫流する川ということから庄内川と呼ばれるようになった。

玉野川

瀬戸層群

せとそうぐん


伊勢湾から濃尾平野の周囲に鮮新統といわれる砂礫を主とする河成・湖成層が厚く堆積している。これは、この地区を中心として隆起山脈の形成と他方で沈降盆地が生ずるような地殻運動が鮮新世に起こり、その結果、盆地内に周囲の隆起山地から供給された砂礫を主とする堆積物が形成された。それらは、濃尾平野東部では瀬戸層群、知多半島では常滑層群、三重県では奄芸層群と命名されている。
瀬戸層群は、下位から上位へ瀬戸陶土層、矢田川累層(水野砂礫層・尾張夾炭相、猪高相)に区分できる。

蛇ヶ洞川

じゃがほらがわ


支川延長9.6kmの庄内川支流である。源を上半田川町東部の山地に発し、上半田川町一帯を流域にもち、比較的高い所で水量もあるので蛇ヶ洞貯水池を設けて市の水道用水に用いている。貯水池を出ると、70m流れ下って蛇ヶ洞に入る。蛇ヶ洞ではV字谷の一番底を流れ、下半田川町で日向川と合流し、南北の両岸に中・古生層の固い岩盤の迫っている狭隘地を通って庄内川に注いでいる。国の天然記念物のオオサンショウウオが生息している。

蛇ヶ洞川

瀬戸陶土層

せととうどそう


瀬戸陶土層は、一般に下部より八床珪砂層、水野粘土層に区分されており、水野粘土層の比較的上部に木節粘土が堆積したものである。
八床珪砂層は、主として石英砂(珪砂)よりなり、含石英粒粘土(蛙目粘土)になっている部分があるが珪砂にわずかな粘上が入っており、そのほか長石・有色鉱物・重鉱物の混った砂層である。分級淘汰を受けているので偽層も見られる。蛙目粘土と珪砂は、複雑に入り込んで堆積しているが、全体的にみれば蛙目粘土がレンズ状の層となっている。
水野粘土層は、基盤のくぼみに断続的に堆積したもので、多くは八床珪砂層の上位にあるが、その間連続して分布していない。粘土は、主として細粒雲母質砂質粘土(キラ層)・含石英粒粘土(蛙目粘土)・灰白色粘土・青灰色粘土または含炭質物粘土(木節粘土)などからなり、主として花崗岩類の風化分解物からできたものである。粘土の多くは淡青色ないし灰白色で、レンズ状に粘土混り細粒砂の薄層を挟在しているが、粘土成分の特に多い所に、細粒石英と長石風化物と思われる乳白色の粘上が混じって、蛙目粘土に似た様子を示すこともある。しかし、蛙目粘土に比較すればよく淘汰されている。粘土層中、最も良く分級淘汰された粘土が木節粘土である。暗灰色、時には黒色に近い色をし、炭質木片を挟有していて植物化石もほとんどこの層から産出している。

水野川

みずのがわ


一級河川。水野川は東部の上品野町より西部の鹿乗町まで、北部に分布する基盤岩類に接するようにして流れており、その全長は12.37 kmで市内を流れる河川中最長である。水源は東部山地の片草川・白岩川・鳥原川、北部山地の山崎川・余床川・山干川など数多くの谷からもたらされている。白岩町北側の山中に発した品野川には、流域面積の広い片草川・白岩川が注いでいるため水量も比較的多く、市の水道用水としても用いられており、透明度も高い。上品野町に入った所で河床勾配が緩やかになるので、流速を減じて中品野町へ流れて、岩屋堂より流れてきた鳥原川に合流する。品野地区を潤した水は水野地区へ流れていく。その間岩石が硬いため川筋は曲がりくねり、なかには水の侵食作用だけでなく、地殻運動と関係があると思われる所もある。穴水橋をくぐると水野地区に入り、流れは緩やかになる。そして目鼻石で中・古生層の硬い岩盤を削って落差30mを一気に下り、流勢を増して庄内川に合流する。

水野川

粘土層

ねんどそう


瀬戸陶土層は、一般に下部より八床珪砂層、水野粘土層に区分されており、水野粘土層の比較的上部に木節粘土が堆積したものである。
粘土層は、基盤のくぼみに断続的に堆積したもので、多くは珪砂層の上位にあるが、その間連続して分布していない。粘土は、主として細粒雲母質砂質粘土(キラ層)・含石英粒粘土(蛙目粘土)・灰白色粘土・青灰色粘土または含炭質物粘土(木節粘土)などからなり、主として花崗岩類の風化分解物からできたものである。粘土の多くは淡青色ないし灰白色で、レンズ状に粘土混り細粒砂の薄層を挟在しているが、粘土成分の特に多い所に、細粒石英と長石風化物と思われる乳白色の粘上が混じって、蛙目粘土に似た様子を示すこともある。しかし、蛙目粘土に比較すればよく淘汰されている。粘土層中、最も良く分級淘汰された粘土が木節粘土である。暗灰色、時には黒色に近い色をし、炭質木片を挟有していて植物化石もほとんどこの層から産出している。