猿投灰釉短頚壺

さなげかいゆうたんけいこ


県指定工芸品 1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館
所有者 愛知県
文化財 高さ22.9センチ 時代 平安時代中期

いわゆる猿投窯焼成品で、9世紀後半に比定される。岐阜県高山市で出土し、蔵骨器として使用されていた。高さ22.9センチ、口径9.4センチ、胴径24.1センチ、底径12.6センチ。丸味のある胴部は灰白色に焼き上がり、淡緑色の灰釉が口頸から肩に施され、幾条かの流れ落ちた釉溜りが景色を作っている。平安時代中期白瓷(しらし)の代表的な製品である。
この種の製品は、正倉院御物中の薬物用容器として使用されていたことから、通常「薬壺(やっこ)」と呼ばれ、本来蓋も伴っていた。本器のような火葬蔵骨器として発見される例も多く、本器も蓋があったと伝えられている。

猿投灰釉短頚壺

石造薬師如来坐像

せきぞうやくしにょらいざぞう


瀬戸市指定彫刻 1躯
平成60年5月1日指定 所在地 瀬戸市片草町
所有者 同町自治会
文化財 高さ75.5センチ、幅35.5センチ
時代 江戸時代中期(享保十一年)

この薬師如来坐像は、美濃との国境であった片草町の薬師堂に安置されているものである。像は花崗岩製で、立方体の台部上に置かれている。制作年代は台の正面に彫られている「享保十一年(1726)丙午三月吉日」から江戸時代中期のもので、瀬戸市内に遺る石造仏の中でも古いものの一つである。
台部の正面・側面・背面には反花が刻まれ、その反花に対する請花が坐像に彫られている。像の眼は半眼に彫られ、顔全体が柔和な面持ちになっている。又、法衣は左右対称で、その法衣と袈裟の下から両手を出しており、指を互いに入れ組み、左右の人指し指と親指で薬壺を持っている。

石造薬師如来坐像

陶製狛犬

とうせいこまいぬ


国指定工芸品 1躯
大正元年9月3日指定 所在地 瀬戸市深川町 所有者 深川神社
文化財 高さ51センチ 時代 鎌倉時代(伝陶祖藤四郎作)

狛犬は通常は阿吽(あうん)一対で、神社境内の守護などのためにつくられる。深川神社の神宝である陶製狛犬は瀬戸の陶祖藤四郎が製作して奉納したと伝えられる。現在残っているのは口を閉じた吽型の一体のみである。この狛犬は陶製としては大型で、高さ51センチ、胴径24×39センチあり、へらの痕も鋭くたて髪は櫛目を使って美しい。全体に淡黄緑色の灰釉が施されている。前脚が江戸時代の神社火災で損失し、木で補修されている。
大正2年に国宝に指定されたが、昭和25年の文化財保護法で重要文化財に指定された。なお近年の窯跡調査で本例に類似した窯跡の出土例が殆ど見られず、室町時代初頭のころまで制作年代を下げて考える説もある。

深川神社の陶製狛犬

鉄釉巴紋瓶子

てつゆうともえもんへいし


県指定工芸品 1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ26.7センチ 時代 鎌倉時代後期

いわゆる古瀬戸の代表的器種であり、全盛期の製品である。高さ26.7センチ、口径3.5センチ、胴径17.4センチ、底径9.7センチで、13世紀末から14世紀前期に比定される。
口頸には突帯が付けられ、肩は張っているが丸味があり、寸胴の直腰のいわゆる「梅瓶(めいピン)型瓶子」である。器体は紐作り成形され、丁寧にへら削り整形されている。頸部に7個、肩から胴にかけて五段各11個の巴文様が押印され、全体に鉄釉が施されているが、二度掛けで濃淡が認められる。
なお本器は昭和12年の輸出禁止を目的とした「重要美術品」に認定されたものである。

鉄釉巴紋瓶子

石造地蔵菩薩立像

せきぞうじぞうぼさつりゅうぞう


瀬戸市指定彫刻 1躯
平成60年5月1日指定 所在地 瀬戸市片草町
所有者 同町自治会
文化財 高さ91.7センチ、最大幅36センチ
時代 江戸時代中期(元禄十七年)

この地蔵菩薩立象は、光背に「元禄十七(1704)申四月廿四日」と彫られているように江戸時代中期に制作されている。瀬戸市内に遺されている石造仏は元禄年間の3躯の地蔵菩薩立像が最古の一群で、その内の一例である。一つの花崗岩から台・光背・立像を彫りだしている。
顔は彫りが深く、眼は半眼、上半身は撫で肩で、この時期の石造菩薩立像によく見られる右手に錫杖、左手に宝珠をもった姿である。薬師堂に安置される以前に長年風雨に晒された期間もあったようだが、保存状態は比較的良好で堅牢で上質な地元の石材が使用されたからであろう。

石造地蔵菩薩立像

太刀銘助重

たちめいすけしげ


国指定工芸品 1口
大正8年4月12日指定 所在地 徳川美術館(寄託) 所有者 定光寺
文化財 長さ70.3センチ 時代 鎌倉時代中期

尾張藩三代藩主綱誠が藩祖の所縁の定光寺に寄進したもので、助重は備前国吉岡一文字派の刀工である。刀身は断面が菱形になる鎬造(しおぎづくり)で、刃の反対側の棟は山形になる庵棟(いおりむね)になる。磨(すり)上げのために反(そり)は浅く、先幅は細くなっている。鍛えは板目、刃紋は中直刃(なかすぐば)に逆足入りである。茎(なかご)は磨上げ、柄(つか)を刀身に固定する目釘孔が2個付けられている。長さ70.3センチ、反1.8センチ、元幅2.9センチ。
付属の糸巻太刀栫えは総金具、赤胴魚子地金小緑色絵丸に葵紋散らし、柄と渡巻は紺地金襴包み浅黄糸巻き、鍔(つば)に「岸本氏泰幸作」と切附銘がある。

太刀銘助重
太刀銘助重柄

御深釉唐草文双耳水甕

おふけゆうからくさもんそうじみずがめ


県指定工芸品 1口
平成4年2月28日指定 所在地 瀬戸蔵ミュージアム(寄託)
所有者定光寺
文化財 高さ40.8センチ、口径58.4センチ 時代 江戸時代中期

元は定光寺開山堂に在って、開山覚源禅師に対する早朝行事に使用する水容器であったという。寺伝では帰化明人陳元贇作となっている。
胴の上下に二重の丸彫沈線を施し、その間に丸彫唐草文を配している。また左右に柏葉形の双耳を付けた大型の水甕である。
18世紀前半に比定され、現在知られている御深井焼水甕の中でも最も古いもので、大きさにおいても類例がなく、よく完好な形をとどめており資料的価値は極めて高いものがある。

御深釉唐草文双耳水甕

六角陶碑

ろっかくとうひ


瀬戸市指定工芸品 1基
昭和49年4月1日指定 所在地 瀬戸市藤四郎町
所有者 陶祖公園(瀬戸市)
文化財 高さ410センチ、陶製碑
時代 江戸時代末期(慶応三年)

幕末の瀬戸の名工加藤岸太郎が中心になって成形・焼成、慶応三年(1867)に完成した日本最大級の陶製碑である。この陶碑を製作するにあたっては、北新谷の丸窯の中で造り、焼成後窯の入り口を壊して取り出し、コロを用いて庚申山(後藤四山)まで運んだと伝えられている。
陶碑は六角柱体、碑棹の幅は1丈1尺(333センチ)、各辺の幅は2尺(60センチ)で志野釉が施されている。陶製の3層の台、棹の上部は六角形の陶蓋で被われている。29個のやきもので組み合わされているが、寸分の狂いもなく、均整のとれた碑に仕上げられている。碑面には陶祖藤四郎の伝記が克明に刻まれている。

六角陶碑

太刀銘守家

たちめいもりいえ


国指定工芸品 1口
大正8年4月12日指定 所在地 徳川美術館(寄託) 所有者 定光寺
文化財 長さ68.1センチ 時代 江戸時代中期

尾張藩九代藩主宗睦が藩祖の所縁の定光寺に寄進したもので、守家は備前国畠山派の名工である。刀身は鎬造(しのぎづくり)で庵棟(いおりむね)となっており、磨(すり)上げのため反(そり)は浅くなっている。鍛えは杢目(もくめ)肌、刃紋は大丁子乱(おおちょうじみだれ)に足入りである。太刀の先端部分の切っ先は焼詰めとなっており、棟に一ヶ所切り込みがある。茎(なかご)は磨上げで、目釘孔は2個ある。長さ68.1センチ、反1.5センチ、元幅2.9センチ。
附属に糸巻太刀拵えは総金具、赤胴魚子地金色絵で葵紋散らし、鞘(さや)は梨子地に蒔絵と金具の丸に葵紋散らし、柄と渡巻は白地金襴包み花色糸巻きである。縁金具と大切羽(おおせっぱ)に「尾州住安藤信時(花押)」の切附銘がある。

太刀銘守家
太刀銘守家柄

猿投灰釉短頚壺及び平瓶

さなげかいゆたんけいこおよびへいへい


県指定考古資料 各1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 短頸壺高さ23.6センチ、平瓶高さ13.6センチ 時代 平安時代

名古屋市守山区の小幡緑地公園で、昭和35年造成工事の際に発見された。木炭が敷き詰められた中に完器の短頸壺が、壺の近くには酒などを入れた平瓶(へいへい)や供え物を盛り付けたと思われる坏身(つきみ)も出土している。短頸壺は宝珠形紐の付いた蓋を伴い、中には火葬骨が納められていた。つまり蔵骨器であり、平安時代の墓が偶然発見されたものと考えられる。短頸壺と平瓶のみが現存している。
短頸壺は肩が大きく張り、径の広い高台をもつ。平瓶は扁平な把手が体部の上面に付いている。共に器の上部には濃緑色の自然釉が明瞭に掛っており、猿投窯で生産された原始灰釉陶器であることが分かる。

灰釉短頚壺
平瓶