藤四郎音頭

とうしろうおんど


作詞:日間良也(お菓子屋ひまらや)
作曲:加藤定徳(古瀬戸吹奏楽団初代団長)
1.ハアー  瀬戸の名物織部に志野に ソレ
    娘道中娘道中 春まつり ソレ
      エツサ エツサ エヽサホイ(繰り返し)
2.ハアー  春のまつりは藤四郎さんよ ソレ
    娘踊りの踊りの花が咲く ソレ
3.ハアー  道中姿に貴方がホレて ソレ
    今じや楽しい今じや楽しい新世帯 ソレ
4.ハアー  品よく踊つたあの娘が造る ソレ
    瀬戸のセトモノ瀬戸のセトモノ品がよい ソレ
5.ハアー  娘道中踊つてねつて ソレ
    ねつたこの土ねつたこの土国の富 ソレ

陶祖遺徳奉賛会では、陶祖まつりの年中行事として盛大なものにしたいと「春姿娘道中」が企画され、昭和33年(1958)に初めて行われて以後、陶祖まつりの一大イベントとして行われるようになった。この頃、県外から大勢の集団就職があり、市内各事業所に働く娘さんたちの参加により、陶芸家加藤舜陶氏デザインによる揃いの浴衣に花笠をかぶった“陶姫”が、古瀬戸ブラスバンド隊を先頭に、ところどころで瀬戸音頭や藤四郎音頭の踊りをしながら、市役所~瀬戸街道~瀬戸駅前~栄町~陶彦神社前~新道町~瀬戸公園に至る「春姿娘道中」が行われた。
 奈良時代からの歴史を持つ瀬戸市深川町の深川神社の参道に、「陶祖800年祭記念」にあわせて、一の鳥居が14年ぶりに再建された。平成26年4月12日には関係者約100人を招いて完成を祝い除幕する「竣工奉告祭」が、20日には一般の市民も参加できる「通り初め」があり、式典で瀬戸市文化協会の会員による「藤四郎音頭」の踊りが華を添えた。

山口音頭

やまぐちおんど


作詞:鈴木政一
作曲:神谷一郎
1.山口よいところ 来て見やシャンセ ヨイトナ
水も清けりゃ 人もよい 人もよい
 ※ヨイヨイ ヤレコリャ サノセー (繰り返し)
2.春が来たぞナ おいらの里ヘ
若葉もえたつ お富士山 お富士山
3.昔なつかし 山口堤
かすみに続く 櫻花の雲 櫻花の雲
4.夏はうれしや お観音様で
みんな揃って 踊りまショ 踊りまショ
5.涼みに来なされ 天神橋ヘ
ほたる追いまショ 犬ゐみぞ 犬ゐみぞ
6.今年は豊年 穂に穂が咲いた
八幡様も 恵比寿顔 恵比寿顔
7.月がでました 物見が峯に
夜長うれしい 虫の声 虫の声
8.昔 聞こえた蛙目産地
瀬戸のけむりも此處がもと 此處がもと
9.尾張の端でも おいらの里は
水のもとだよ 大堰堤 大堰堤

 昭和20年(1945)頃、本泉寺の境内で盆踊りをしたという。
当時幡山東小学校の鈴木政一先生が作詞、神谷一郎先生が作曲して生前録音されたテーブと歌詞、譜面が保存されており、平成6年(1994)4月に「山口音頭」として復活した。

クロガネモチ

くろがねもち


昭和44年(1969)5月選定
瀬戸市制40周年記念行事の一つとして、市民投票により「市の木」に選定された。候補となった木は、くろがねもち、かしのき、しいのき、くすのき、くろまつの5種類で、応募総数842票のうち、478票の最高票を得たくろがねもちに決定した。
くろがねもちは、東海地方では別名「福来柴(ふくらしば)」とも呼ばれ、モチノキ科に属する縁起の良い木である。常緑樹で、雌雄異株で葉の柄が紫色がかるのが特徴で、雌株は赤色の実を多数つけ美しい。成長すると高さは10~15mに達する。乾燥に強く、整枝に強いので古来庭園木として多く用いられ、亭亭たる巨木はその家の格式のシンボルとされた。

つばき

つばき


昭和54年(1979)5月選定
瀬戸市制50周年記念行事の一つとして、市民投票により「市の花」に選定された。候補となった花は、つばき、つつじ、さつき、さざんか、もくれん、もくせいの6種類で、応募総数301票のうち、73票の最高票を得たつばきに決定した。
つばきは、市内の山地にも多く自生していて、園芸品種も多く、栽培はやさしいとされている。鎌倉から室町時代にわたって陶器の「灰釉」として用いられたと思われ、瀬戸市の窯業とも関係が深いとされる。
市を象徴するのにふさわしい花として、また市内の緑化や美化を推進するためのシンボルとして、市政40周年記念で決定した市の木「くろがねもち」とともに市民に親しまれるものとなった。

つばき

景徳鎮市

けいとくちんし


平成8年(1996)10月11日に友好都市提携の調印
景徳鎮市は中国江西省に位置し、上海の西方約600km、人口約160万人、面積約5,256km2である。景徳鎮は、陶磁器の原料である純白の磁土・カオリンと燃料用の松材に恵まれ、唐時代の末頃から、白い器に透明な釉薬をかけて焼く白磁の主産地として発展し、今日に至るまで“磁都”の名を誇ってきた。
景徳鎮窯の陶磁器は、中国歴代の皇帝たちを魅了してやまず、やがて明王朝(1368~1644)や清王朝(1644~1911)には、皇帝専用窯の御器廠(官窯)が置かれて、国家的な財力と技術の枠を集めた高品質で贅沢な陶磁器の数々を生み出したのである。しかも、その官窯で磨かれた技法は、民間の窯をも発展させ、中国民衆の間に広がり、景徳鎮窯の名声は全世界に伝わった。日本のやきものにも影響を与えてきた。

利川市

いちょんし


平成18年(2006)4月20日に友好姉妹都市提携を締結
利川市は大韓民国北西部にある京畿道の主要都市で、ソウルから南東へ約50km、車で1時間くらいの距離にある。人口は約19万3000人で、穏やかな気候、清水に恵まれ米や果物の産地として知られている。
また、良質の陶土を産出し、大変古くから陶芸の街として発展してきた。現在は多くの陶芸家が集まり、朝鮮陶磁器の伝統を継承し、陶芸の伝統を引き継ぐ街になっている。毎年4・5月頃に陶磁器祭が開催される。

リモージュ市

りもーじゅし


平成15年(2003)11月18日に姉妹都市提携に調印
リモージュ市は、パリから南に350㎞、大西洋から東へ200㎞のフランス中央部に位置するリムザン地方の中心都市で、オート=ヴィエンヌ県の県庁所在地でもある。湖沼、森林など、豊かな自然環境は、フランスで最も美しい景観の一つに数えられる。リモージュ市の人口は約14万3000人で、瀬戸市とほぼ同じである。首都パリのオルリー空港からリモージュのベルガルド空港まで1時間10分、市内まで車で15分で、鉄道(TGV)ではパリのオステルリッツ駅から約3時間である。
 人口の約半分が窯業関係の仕事に従事している。そのほか医科学、電子、電気、機械などの工業や農業が発展しており、海外との交流も盛んである。主要産業は陶磁器製造業、製靴、金属、機械、電気機器、家具、自動車部品、印刷などで、エステルテクノポール(科学技術研究交換スペース)や大学では、セラミックスの分野の先端的な技術研究開発が行われている。

ナブール市

なぶーるし


平成16年(2004)4月21日に姉妹都市提携に調印
チュニジア共和国は、アフリカ大陸の最北端に位置し、北および東は地中海、南の内陸部はサハラ砂漠に続いている。昭和31年(1956)にフランスから独立したが、現在でもフランスの影響が見受けられる。
平成23年(2011)1月の政変により、23年間の長きにわたりチュニジアを統治していたベンアリ政権は崩壊し(ジャスミン革命)、同年10月23日にはチュニジア史上初となる民主的な選挙「制憲国民議会選挙」が実施された。国民の多くは、今回の政変を勝ち取った成果として歓迎しており、チュニジアは民主化に向け、新たな国づくりを進めている。
ナブール市は、チュニジア北部のボン岬半島の中心都市で、ナブール県の県都で人口は約6万人である。陶器の名産地として知られており、水差し、壷、花瓶など幅広い陶器が生産されている。ナブール焼きと呼ばれるこの町の特産品を求めてチュニジア内外から多くの人が訪れている。

パルティせと裏側モニュメント

ぱるてぃせとうらがわもにゅめんと


尾張瀬戸駅の駅前広場の一角に埋め込まれた18枚のタイルは、友好の証としてリモージュ市から贈られたもので、伝統的で美しいリモージュ焼のデザインが施されている。両市の友好関係がますます深まっていくように願いを込め、この広場を「リモージュ広場」と名付けている。

パルティせと裏側モニュメント

瀬戸市歌

せとしか


昭和24年(1949)9月選定
作詞:芝田博史
作曲:米山正夫
1.千古に聖(きよ)き 猿投山  朝に夕に 仰ぎつつ
  歴史に栄えて 陶業の  輝くその名 かくれなく
   ああ 大瀬戸市 光あり
2.渦巻くそらの 窯けむり  地には轆轤(ろくろ)の 玉の業
  生命をこめて 焼く窯に  伸びゆく意気は 火ともえる
   ああ 大瀬戸市 力あり
3.陶祖と磁祖の ますところ  その名四海に 燦然(さんぜん)と
  工業かおり 人和して  無限の土と 伸び進む
   ああ 大瀬戸市 希望あり
4.華咲く文化 産業の  ここに輝く 土の幸
  世界の海の 果てまでも  讃えよ誇れ 高らかに
   ああ 大瀬戸市 誉あり

瀬戸市が市制20周年記念事業の一つとして瀬戸音頭と共に全国から広く募集し中日新聞、中日CK関係者及び市長の予審の上、コロンビア藤浦洸、野村俊太郎、米山正夫各氏の審査と西条八十の校閲を得て下記の諸氏が入選し米山正夫が作曲し、祝賀式典後に発表された。
1等 芝田博史 品野町、2等 大城節子 静岡市、3等 岡田 道 碧南桜井村
また、記念事業の一環として昭和24年(1949)11月7日深川館において、市歌音頭発表会が「コロンビヤ秋の歌謡祭」と併せて豪華な出演者を迎え盛大に行われた。市歌を歌手の霧島昇、音頭を小唄の赤坂小梅が発表したほか、歌謡の部で安西愛子、二葉あき子、伊藤久男、黒木曜子、岡本敦郎などが、舞踊では西川鯉三郎師振付の西川里喜康、西川里喜勲が出演した。
当時、「瀬戸市歌」「瀬戸音頭」がコロンビアレコードで制作されている。「瀬戸市歌」は岡本敦郎に、コロンビア合唱団、コロンビア・オーケストラで吹き込まれている。
昭和46年(1971)、新たに日本コロンビアで制作され、「瀬戸市歌」は三鷹淳に、コロンビア合唱団、コロンビア・オーケストラで吹き込まれている。
ちなみに作詞者の芝田博史の本名は柴田博で、上品野小学校や祖母懐小学校などの教員を務め、上品野小学校の校歌や品野音頭を作詞したほか、瀬戸市史編纂委員としても活躍された。