利川市

いちょんし


平成18年(2006)4月20日に友好姉妹都市提携を締結
利川市は大韓民国北西部にある京畿道の主要都市で、ソウルから南東へ約50km、車で1時間くらいの距離にある。人口は約19万3000人で、穏やかな気候、清水に恵まれ米や果物の産地として知られている。
また、良質の陶土を産出し、大変古くから陶芸の街として発展してきた。現在は多くの陶芸家が集まり、朝鮮陶磁器の伝統を継承し、陶芸の伝統を引き継ぐ街になっている。毎年4・5月頃に陶磁器祭が開催される。

リモージュ市

りもーじゅし


平成15年(2003)11月18日に姉妹都市提携に調印
リモージュ市は、パリから南に350㎞、大西洋から東へ200㎞のフランス中央部に位置するリムザン地方の中心都市で、オート=ヴィエンヌ県の県庁所在地でもある。湖沼、森林など、豊かな自然環境は、フランスで最も美しい景観の一つに数えられる。リモージュ市の人口は約14万3000人で、瀬戸市とほぼ同じである。首都パリのオルリー空港からリモージュのベルガルド空港まで1時間10分、市内まで車で15分で、鉄道(TGV)ではパリのオステルリッツ駅から約3時間である。
 人口の約半分が窯業関係の仕事に従事している。そのほか医科学、電子、電気、機械などの工業や農業が発展しており、海外との交流も盛んである。主要産業は陶磁器製造業、製靴、金属、機械、電気機器、家具、自動車部品、印刷などで、エステルテクノポール(科学技術研究交換スペース)や大学では、セラミックスの分野の先端的な技術研究開発が行われている。

ナブール市

なぶーるし


平成16年(2004)4月21日に姉妹都市提携に調印
チュニジア共和国は、アフリカ大陸の最北端に位置し、北および東は地中海、南の内陸部はサハラ砂漠に続いている。昭和31年(1956)にフランスから独立したが、現在でもフランスの影響が見受けられる。
平成23年(2011)1月の政変により、23年間の長きにわたりチュニジアを統治していたベンアリ政権は崩壊し(ジャスミン革命)、同年10月23日にはチュニジア史上初となる民主的な選挙「制憲国民議会選挙」が実施された。国民の多くは、今回の政変を勝ち取った成果として歓迎しており、チュニジアは民主化に向け、新たな国づくりを進めている。
ナブール市は、チュニジア北部のボン岬半島の中心都市で、ナブール県の県都で人口は約6万人である。陶器の名産地として知られており、水差し、壷、花瓶など幅広い陶器が生産されている。ナブール焼きと呼ばれるこの町の特産品を求めてチュニジア内外から多くの人が訪れている。

パルティせと裏側モニュメント

ぱるてぃせとうらがわもにゅめんと


尾張瀬戸駅の駅前広場の一角に埋め込まれた18枚のタイルは、友好の証としてリモージュ市から贈られたもので、伝統的で美しいリモージュ焼のデザインが施されている。両市の友好関係がますます深まっていくように願いを込め、この広場を「リモージュ広場」と名付けている。

パルティせと裏側モニュメント

瀬戸市歌

せとしか


昭和24年(1949)9月選定
作詞:芝田博史
作曲:米山正夫
1.千古に聖(きよ)き 猿投山  朝に夕に 仰ぎつつ
  歴史に栄えて 陶業の  輝くその名 かくれなく
   ああ 大瀬戸市 光あり
2.渦巻くそらの 窯けむり  地には轆轤(ろくろ)の 玉の業
  生命をこめて 焼く窯に  伸びゆく意気は 火ともえる
   ああ 大瀬戸市 力あり
3.陶祖と磁祖の ますところ  その名四海に 燦然(さんぜん)と
  工業かおり 人和して  無限の土と 伸び進む
   ああ 大瀬戸市 希望あり
4.華咲く文化 産業の  ここに輝く 土の幸
  世界の海の 果てまでも  讃えよ誇れ 高らかに
   ああ 大瀬戸市 誉あり

瀬戸市が市制20周年記念事業の一つとして瀬戸音頭と共に全国から広く募集し中日新聞、中日CK関係者及び市長の予審の上、コロンビア藤浦洸、野村俊太郎、米山正夫各氏の審査と西条八十の校閲を得て下記の諸氏が入選し米山正夫が作曲し、祝賀式典後に発表された。
1等 芝田博史 品野町、2等 大城節子 静岡市、3等 岡田 道 碧南桜井村
また、記念事業の一環として昭和24年(1949)11月7日深川館において、市歌音頭発表会が「コロンビヤ秋の歌謡祭」と併せて豪華な出演者を迎え盛大に行われた。市歌を歌手の霧島昇、音頭を小唄の赤坂小梅が発表したほか、歌謡の部で安西愛子、二葉あき子、伊藤久男、黒木曜子、岡本敦郎などが、舞踊では西川鯉三郎師振付の西川里喜康、西川里喜勲が出演した。
当時、「瀬戸市歌」「瀬戸音頭」がコロンビアレコードで制作されている。「瀬戸市歌」は岡本敦郎に、コロンビア合唱団、コロンビア・オーケストラで吹き込まれている。
昭和46年(1971)、新たに日本コロンビアで制作され、「瀬戸市歌」は三鷹淳に、コロンビア合唱団、コロンビア・オーケストラで吹き込まれている。
ちなみに作詞者の芝田博史の本名は柴田博で、上品野小学校や祖母懐小学校などの教員を務め、上品野小学校の校歌や品野音頭を作詞したほか、瀬戸市史編纂委員としても活躍された。

宮川モールモニュメント

みやがわもーるもにゅめんと


宮川モールの一角にナブール市に因んだ歴史・文化を紹介する場所を設けるとともに、ナブール市から寄贈された陶製タイルと同じくナブール市から贈られた2005年日本国際博覧会瀬戸会場の記念モニュメント「天水皿n」に使われた皿が展示されている。
両市の友好がますます深まっていくことに願いを込め、その証として、この地を「ナブールの庭」と名付けられた。

宮川モールモニュメント

瀬戸音頭

せとおんど


昭和24年(1949)9月選定
作詞:壷井ふゆじ
作曲:米山正夫
1.なびくナア  なびく煙を繻子(じゅず)帯に
 しめてやさしい 藤四郎山の
 花もほんのり 花もほんのり 春姿
 ※(繰り返し)ほんにセトセトよいところ 
 瀬戸は火の街土の街 チョイト土の街
2.なんでナア  なんで忘りょか 
 お陶祖様を 絵付せっせと 筆持ちゃちらと
 遠い昔が 遠い昔が 偲ばれる
3.瀬戸のナア 瀬戸の娘は 窯場の炎 
 燃えりゃ思いに わが身を灼いて
 千三百度の 千三百度の 恋もする
4.皿にナァ 皿にしようか 茶わんにしようか 
 廻すろくろに 心がはずみゃ
 窓に燕が 窓に燕が ちょいとのぞく
5.瀬戸のナア 瀬戸の瀬戸物 だてには焼かぬ 
 どんと積み出しゃ 七つの海に
 招く世界の 招く世界の 夢が呼ぶ

瀬戸市が市制20周年記念事業の一つとして瀬戸市歌と共に全国から広く募集し中日新聞、中日CK関係者及び市長の予審の上、コロンビア藤浦洸、野村俊太郎、米山正夫氏の審査と西条八十の校閲を得て下記の諸氏が入選し米山正夫が作曲し、祝賀式典後に発表された。
1等 壺井ふゆじ 小牧町、2等 住江京二 小牧町、3等 原のぶよし 半田市 
また、記念事業の一環として昭和24年(1949)11月7日深川館において、市歌音頭発表会が「コロンビヤ秋の歌謡祭」と併せて豪華な出演者を迎え盛大に行われた。市歌を歌手の霧島昇、音頭を小唄の赤坂小梅が発表したほか、歌謡の部で安西愛子、二葉あき子、伊藤久男、黒木曜子、岡本敦郎などが、舞踊では西川鯉三郎師振付の西川里喜康、西川里喜勲が出演した。
当時、「瀬戸市歌」「瀬戸音頭」がコロンビアレコードで制作されている。「瀬戸音頭」は青木光一・花村菊江、コロンビア合唱団、三味線豊藤、コロンビア・オーケストラで吹き込まれている。
昭和46年(1971)、新たに日本コロンビアで制作され、「瀬戸音頭」は都はるみに、コロンビア合唱団、コロンビア・オーケストラで吹き込まれている。

瀬戸蔵前広場モニュメント

せとぐらまえひろばもにゅめんと


利川市交流記念モニュメント
「韓国の陶磁歴史、利川」
このモニュメントは瀬戸市制施行80周年のお祝いとして、利川市から20万市民の心を合わせて、両都市の友好関係が深まることを願い贈られたもの。
利川市は大韓民国で初めて陶磁産業特区地域であり、このモニュメントの中に使われている青磁、辰砂、粉青は利川の陶芸の伝統を、外側のステンレスは先端産業都市、利川の未来を象徴している。
瀬戸蔵広場 2009年10月設置

瀬戸蔵前広場
瀬戸蔵前広場モニュメント
瀬戸蔵前広場

瀬戸小唄

せとこうた


作詞:野口雨情
作曲:藤井清水
振付:藤間久枝
1. 瀬戸へおいでよ くよくよせずに ソレ チャラリコセ
山の土まで ササ 金となる 
『ジッ来る日をわたしゃ待つセノセ』※(繰り返し)
2.瀬戸ぢゃ朝から けむりがたえぬ ソレ チャラリコセ
木節蛙目 ササ 根がたえぬ
3.瀬戸へ来たときゃ 思案はおよし ソレ チャラリコセ
どうせ一夜ぢゃ ササ 帰しゃせぬ
4.川の水さへ 夜昼なしに ソレ チャラリコセ
瀬戸ぢゃ陶上の ササ 金流す
5.瀬戸へ古瀬戸へ 藤四郎山の ソレ チャラリコセ
咲いて桜の ササ 花が降る
6.瀬戸の清水田 わたしゃほととぎす ソレ チャラリコセ
見捨てられたら ササ 血でも吐く
7.月がぼんと出た 猿投の山に ソレ チャラリコセ
瀬戸も夜長の ササ 秋となる
8.秋の七草 七ツの一ツ ソレ チャラリコセ
瀬戸の名所は ササ 萩の花
9.いやで袖ふる わたしゃぢゃないよ ソレ チャラリコセ
雪も鹿の子に ササ 瀬戸ぢゃふる
10.瀬戸の瀬戸物か 瀬戸物の瀬戸か ソレ チャラリコセ
瀬戸の瀬戸物ア ササ 世界一

昭和4年(1929)の市制施行を祝って生まれたものに「瀬戸小唄」がある。これは、瀬戸陶栄連芸妓置屋組合(組合員31店、芸妓131人)組合長喜楽などが中心となり、作詞野口雨情、作曲藤井清水、振り付け藤間久枝、鳴物牧田牧師、舞踊小寺融吉に依頼し完成したのが、新作「瀬戸小唄」となり、組合ではその当時では六千円という巨額を投じて完成したもので、華々しく中央館で発表会が行われた。名古屋の萬松寺黄花園の菊人形の舞台などに招かれて出演したこともあった。
また、お座敷で芸妓が唄うだけではなく、レコードに吹き込み広く宣伝しなければと、当時東京のビクターレコード会社に交渉しレコード吹き込みが行われた。
 野口雨情は明治後期から昭和初期にかけて詩人、作詞家として活躍、代表作に「赤い靴」などがある。大正期から、民謡の復興や普及を目指し各地を訪ね歩き、地域の情景や風情をつづった詩を多数作っている。雨情の手がけた地方民謡は400曲を越えるとされる。愛知県では「織姫音頭」(一宮市)、「桃太郎音頭」(犬山市)、「津島小唄」(津島市)など15曲を残している。

南公園モニュメント

みなみこうえんもにゅめんと


文化センターから南公園への階段の壁に貼りつけられた染付皿は、2005年日本国際博覧会瀬戸会場の記念モニュメント「天水皿n」に使用された皿と同じもので、景徳鎮市から贈られた。両市の友好関係がますます深まっていくように願いを込め、その証として、ここを「友好の青花壁」と名付けている。中国では染付のことを青花という。

南公園モニュメント