洞本業窯

ほらほんぎょうがま


瀬戸市指定建造物 1基
平成7年2月13日指定 所在地 瀬戸市東洞町
所有者 水野半次郎
文化財 全長14メートル、最大幅7メートル
時代 昭和24年再建

本窯も一里塚町の本業窯と同じ構造の連房式登窯である。この本業窯2基は奇しくも「奥洞本業窯」として活動していたが、昭和23年に解体された。同24年に本窯(半次郎窯)、同25年に一里塚窯(義郎窯)として同じ窯グレ(炉材)を使用して移築された。そのため、同じ構造とほぼ同様規模を持っている。本窯も昭和54年5月の焼成を最後に現在まで使用されていないが、次の焼成のための松割木(燃料)や窯道具のツク・タナ板などが準備されており、それらも一括指定されている。
奥洞窯は代々水野半次郎家の本業窯で、明治・大正・昭和と稼働した。最盛期には13連房の焼成室を有していた。

洞本業窯(胴木間)
洞本業窯(焼成室)

石造鳥居(大目神社)

せきぞうとりい


瀬戸市指定建造物 1基
平成8年2月9日指定 所在地 瀬戸市巡間町
所有者 大目神社(境内)
文化財 高さ387センチ、幅570センチ
時代 江戸時代中期(宝暦五年)

大目神社は猿投山の裾野の鎮守の森に座し、赤津地区の氏神として敬われており、祭神は八柱王子。明細帳に「当初勧請年月不詳と雖も延喜神名帳に大目神社、本国帳に従三位大目神社と載せる処の神社」とあり、建立年月は定かでないが、平安時代初期の延喜神名帳に載る古い神社である。境内に古墳も有する。
鳥居の形式は明神鳥居で、笠木が二重になり、反りをもち、柱が内側に傾く(ころぶ)。柱に「宝暦五年乙亥九月吉日」の記年銘があり、瀬戸市内の石造鳥居では山口八幡社の石造鳥居(延宝五年銘)に次いで古いものである。規模が大きく威風堂々とした風格を感じさせる。

石造鳥居(大目神社)

木造阿弥陀如来立像

もくぞうあみだにょらいりつぞう


県指定彫刻 1躯
昭和34年1月16日 所在地 瀬戸市下半田川町 所有者 同文化財保存会
文化財 高さ98センチ、肘張り28.3センチ 時代 平安時代後期

この阿弥陀如来立像は観音菩薩立像と共に、瀬戸市下半田川の氏神八釼神社境内の観音堂に安置されていたが、現在は昭和48年11月25日建造の文化財収蔵庫に安置されている。檜材の一木造りで上品(じょうぼん)下生の印を結び、柔らかな慈眼と小さく整った鼻・口・唇が面相をはなはだ穏やかな表情にしている。
衣文の線条やや両袖の手法にはやや類型的な傾きも見えるが、総じて藤原様式の特色を示している。
側面から見るとやや薄手に感じられるが、全体として形容の美しい像である。手足先や踏割蓮華座は後補のものである。

木造阿弥陀如来立像

古窯

こがま


瀬戸市指定建造物 1基
平成9年2月14日指定 所在地 瀬戸市西郷町
所有者 瀬戸市
文化財 全長6.4メートル、最大幅4メートル
時代 昭和22年再建

古窯は、本業窯・丸窯と共に近代に活躍した代表的登窯の一種である。一般的に  は小型で急勾配、縦狭間構造であり、小型磁器製品を焼成する窯として使用された。現在、瀬戸市内に完全な姿で残されている最後の古窯である。
所有者であった伊藤伊平氏は代々古陶園竹鳳を号した5代目の染付窯屋である。元の窯は現在地より南東の経塚山の山麓斜面に位置し、5連房で現在のものよりかなり大型の窯炉であった。第2次大戦中の企業合同を経て、昭和22年に現在地に同窯材を使用して再築した。本業窯の胴木間にあたる焚口は2個、3連房の登窯で昭和39年暮の最終焼成まで、年間6~7回使用された。現在は瀬戸染付工芸館の保存・展示施設として活用されている。

古窯

木造十一面観音菩薩立像

もくぞうじゅういちめんかんのんりつぞう


県指定彫刻 1躯
昭和34年1月16日 所在地 瀬戸市下半田川町
所有者 同文化財保存会
文化財 高さ111センチ、肘張り31.9センチ 時代 平安時代後期

この観音菩薩立像は阿弥陀如来立像と共に、瀬戸市下半田川の氏神八釼神社境内の観音堂に安置されていたが、現在は昭和48年11月25日建造の文化財収蔵庫に安置されている。像は檜材の一木造りで、作者は不明であるが藤原前のもので、笠覆寺(笠寺観音)の観音像と共に当地方では珍しい古様をとどめている。
丸味をもった可憐な表情の面影、いくぶん外方に開くかに見える宝冠台、耳にかかった宝髪の一部、右足を多少浮かせた姿勢、衣文の流れや線条の彫刻も自然であり、全体としてすっきりした佳作である。台座や持ち物は後補である。

木造十一面観音菩薩立像

深川神社本殿

ふかがわじんじゃほんでん


瀬戸市指定建造物 1棟
平成11年11月12日指定 所在地 瀬戸市深川町
所有者 深川神社
文化財 木造切妻造・柿葺(銅板葺)
時代 江戸時代後期(文政六年)

「深川神社、瀬戸村にありて今は八王子の社と申す。祭神は五男三女の神なり、本社造替は慶長元年五月、元和九年遷宮あり。祭礼は九月五日、神楽を奏し湯立を執行す」(尾張志)とある。
現在の本殿は文政六(1823)年の造営で、「正遷宮、文政六癸未十二月二日 大工信州上諏訪立川内匠」(当社棟札)とあり、内々津神社を造営した著名な上諏訪系宮大工一党の立川和四郎(冨昌)が建築したものである。昭和4年に現在地へ遷座、拝殿の屋根はその時瓦葺に替えている。切妻造・平入り・柿葺、神明造りから発展した「照り屋根流造」構造である。

深川神社本殿

御深井釉木瓜形水盤

おふけゆうもっこがたすいばん


県指定工芸品 1口
昭和57年3月31日指定 所在地 瀬戸蔵ミュージアム(寄託)
所有者 定光寺
文化財 高さ24.2センチ、口径55.7×77.2センチ 時代 江戸時代前期

本器は横木瓜(もっこ)の形をとり、側面を縄簾(のれん)の貼花文で飾り、底部には大型3足を付け、全体を卯の斑釉掛けした水盤である。
寺伝によれば、徳川義直公の儒教式祭典のため、要門和尚が朋友の陳元贇に依頼して新調したといわれ、水盤は2個焼いて内1個は建中寺にも蔵したという。
明治時代になって尾張徳川家から定光寺に渡されたもののようで、「定光寺什物帳」に書き加えられている。このように寺伝には陳元贇作とあるが、その証左となるものは見当らない。しかし、盤の形態・釉調などから江戸時代前期に焼造された初期御深井(おふけ)焼である。

御深井釉木瓜形水盤

常夜燈

じょうやとう


瀬戸市指定建造物 1基
平成13年2月7日指定 所在地 瀬戸市秋葉町
所有者 秋葉神社(境内)
文化財 高さ508センチ
時代 江戸時代後期(文化十一年)

焼成を必須とする陶都瀬戸では火の信仰に厚く、秋葉社を祀り、また秋葉講代参が盛んであった。窯屋が火入れの際には、慶昌院秋葉本殿(それ以前は熱田秋葉円通寺)から付け木とマッチ(火打石)を受けてきたものである。
秋葉神社は郷・南新谷の聖地であり、境内に立派な常夜燈1基がある。棹の4面に「秋葉山 常夜燈 島中安全 文化十一年申戌九月吉日」と刻んである。瀬戸市内の常夜燈の中では最も大型で、文字の彫りが深くて美しい。花崗岩製で、この時期の当地方の石造物は高遠(伊那谷)系の石工技術によるものといわれる。

常夜燈

陶製牡丹文経筒外容器

とうせいぼたんもんきょうづつがいようき


県指定工芸品 1口
昭和59年2月27日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ33.9センチ 時代 平安時代後期

いわゆる猿投窯の焼成品で、高さ33.9センチ、口径21センチ、胴径24.2センチ、底径25.2×25.2センチ、11世紀末から12世紀前半ころに比定されている。蓋は円筒形で大型のつまみが付き、外側に二重条文が施される。胴部も円筒形で上・中・下段に二重条文が施され、上・中条線の間に太いへら彫りで牡丹文様が巡らされていて、底部は隅切の四方板となっている。
この深く太い線彫りの牡丹文様の陶片が東山105号窯(名古屋市東山植物園内)から出土おり、猿投窯東山地区特有の良質な陶土が使用されていることからも、猿投窯製品と断定することができる。

陶製牡丹文経筒外容器

聖徳太子絵伝

しょうとくたいしえでん


瀬戸市指定絵画 4幅
平成18年2月10日指定 所在地 瀬戸市塩草町
所有者 万徳寺
文化財 長さ 1幅157 ・2幅157.2 ・3幅157.8 ・4幅156.9センチ
時代 1・4幅室町時代中期、2・3幅江戸時代後期

『聖徳太子絵伝』は聖徳太子の伝記を描いたもので、浄土真宗の寺院によく見られる。万徳寺所蔵の絵伝は、寛正五年(1464)に今村城主松原広長が寄進したものと伝えられている。1幅と4幅は伝来当初の室町中期のもの、2幅と3幅は江戸時代後期に補われたものである。
各幅とも保存状態は良好で、顔料は濃厚で発色も良い。人物の着衣や建造物など、細部に至るまで非常に精緻に描き込まれている。岡崎市の満性寺が所蔵していた絵伝と同一系統のもので、奈良県に広まった絵伝の流れを汲むものである。

聖徳太子絵伝