岩屋堂公園

いわやどうこうえん


瀬戸市岩屋町
岩屋堂とは、天然の大きな岩の祠(ほこら)のこと。約1200年前に、時の聖武天皇の病の平癒を祈願し、この岩窟内で名僧「行基」が彫刻した仏像のうち、薬師仏を本尊とした岩屋山薬師堂に由来していると言われている。
緑いっぱいの渓谷の中を清流の鳥原川が流れる岩屋堂公園は、愛知高原国定公園に位置し、桜、ほたる、水遊び、紅葉、東海自然歩道の自然散策など1年を通じて豊かな自然と遊ぶことができる愛知県内でも有数の人気スポットとなっている。
○岩屋堂公園の夏の見どころ・魅力。
夏には、川をせき止めた水遊び場が造られ、バンガロー村ではバーベキューが楽しめる。
・バンガロー村(日帰りのみ)
園内には、氷やジュース、五平餅、みたらし団子などの軽食を販売する売店も期間限定でオープンし、ファミリー層を中心に賑わう。展望台からの眺望、奇岩や滝など雄大で迫力ある自然の景観を楽しむことができる。
・川をせき止めた水遊び場(天然プール)
地元の岩屋堂観光協会が鳥原川をせき止めてつくる水遊び場は、昔から「天然プール」の愛称で広く親しまれている。川幅は15mほど、全長40mにわたって川底にコンクリートが敷かれており、自然の河原と異なりデコボコが少ないので、比較的小さなお子様でもお父さん、お母さんと一緒に気軽に入ることができる。水深は、通常浅いところで大人の足首程度から深いところで膝下ぐらい、水温は20~23℃で心地よい冷たさを実感できる温度である。
・瀬戸大滝
川沿いを公園の奥に向かって歩いてゆくと舗装道路が青い欄干の「かじか橋」を通って続いていく。この橋を渡らずに未舗装の遊歩道をまっすぐ進むと瀬戸大滝に到着する(天然プールからは15分ほどの距離)。落差17mで川床に下りてしぶきを浴びるぐらいの距離まで近づくことができる。

岩屋堂
瀬戸大滝

さくら公園

さくらこうえん


瀬戸市宮地町地内にある公園で、広さは1.3ha。近所の子供たちに人気があり、春にはきれいな桜が咲く。

さくら公園

磁祖公園

じそこうえん


瀬戸市東安戸町、道泉町、西谷町、窯神町  地区公園 1.50ha
都市計画決定の面積は12.1haであるが、供用開始しているのは窯神グランドの1.5haである。公園全体の整備計画は今後の検討となっている。

窯神神社(磁祖 加藤民吉像)

藤四郎橋

とうしろうばし


刎田町と寺本町をつなぐ橋を今は公園橋といって鉄筋コンクリートの永久橋となっているが、明治45年の豪雨のとき半壊して通行禁止となったため、その上流50mあたりのところに仮橋が架けられた。土橋であったが、便利とあって公園橋がコンクリート橋になってからも残され、現在はないが藤四郎橋と呼ばれていた。

定光寺公園

じょうこうじこうえん


瀬戸市定光寺町
昭和39年(1964)4月11日 定光寺檜山遊園地として開園。日本の公園の父と言われる本多静六氏が設計に携わった。
JR中央線「定光寺駅」から約15分の場所に位置し、六角堂の浮かぶ正伝池を中心とした公園で愛知高原国定公園に指定されており、桜の名所としても有名。近くには臨済宗の古刹「定光寺」があり本堂や徳川義直公廟は国の重要文化財に指定されている。紅葉の時期には、境内の周りが色づき非常にきれいである。
また、一帯は定光寺自然休養林として国が管理しており、キャンプ場やアーチェリー場、森林交流館などの施設がある。休養林内には東海自然歩道やこもれびの径などの散策路もあり、歴史を感じながら自然を満喫できる。
平成26年に開園50周年を迎え、4月29日に六角堂の弁天様御開帳や移動動物園、ステージイベントなど、記念イベントが催された。

定光寺公園
正伝池

中橋

なかばし


大正14年8月、瀬戸地方を襲った未曾有の集中豪雨で、瀬戸川にかかる木橋はことごとく流されてしまった。それ以後、主要な橋のコンクリート橋化が進められ、中橋も昭和2年にできた。

中橋

瀬戸公園

せとこうえん


瀬戸市藤四郎町
瀬戸川の右岸、公園橋の北詰に公園の入口がある。古い昔では庚申山あるいは禅長庵山と呼び、慶応2年(1866)に加藤四郎左衛門景正の顕彰のため六角陶祖碑が建立されてからは藤四郎山と呼ぶようになった。公園として開園するに至ったのは明治43年(1910)4月陶祖春慶の七百年祭を執行した時からで、「瀬戸公園」と名付けられた。平成26年に陶祖800年祭記念事業として、園名を「陶祖公園」として再整備された。
陶祖碑の正面下段に一対の灯籠が明治5年(1872)に寄進されている。灯籠は石造りが普通であるが、陶器で製作したところが瀬戸らしい。公園のシンボル、陶祖碑を大切に保存するため昭和44年(1969)地元篤志家の寄付で、鉄筋2階建のお堂を建設して中に陶祖碑を納めている。
園内の山腹には、明治19年(1886)に有栖川宮殿下をお迎えしたときに名付けられた竹露庵がある。
昭和26年(1951)に周辺部分を含み、陶祖公園として都市計画決定された。

瀬戸公園碑

丸山橋(新大橋)(新共栄橋) 

まるやまばし (しんおおはし) (しんきょうえいばし)


新築されたのは、昭和初期で、当時この場所に橋がなく、不便だったので、丸山陶器が自費で、橋を架けたと云われている。昭和4年(1929)に瀬戸に市制がひかれたので、それ以後丸山橋は瀬戸市に移管された。昭和36年(1961)に架け替えられ、名称も「丸山橋」から「新大橋」にかわった。
国道155線と菱野線を結ぶ道路整備の一環として約50年ぶりに架けかえ工事が行われ、平成22年(2010)3月25日竣工し、名称も「新共栄橋」と変更された。
欄干にはツバキなどが描かれた瀬戸染付の磁器板が合計26枚はめ込まれ、親柱には加藤錦三氏が揮毫した橋の名前入りの磁器板がはめ込まれている。

新共栄橋(新大橋・丸山橋)
新共栄橋の磁器板

陶祖グランド

とうそぐらんど


瀬戸市須原町101番6 瀬戸市の中心市街地の東端陶祖碑のある丘の北部に位置し、陶祖公園の一部となっている。竣工は、1981年(昭和56年)9月30日、グランド面積は6,400㎡、左右両翼は71m、センターは80mである。

陶祖グランド

南橋

みなみばし


旧尾張瀬戸駅近くに、昭和37年(1962)3月に新築された。昭和60年(1985)3月には、地場産業のPRとイメージアップを目的に、「やきものを使った街づくり事業」の一環として改装工事を行った。
新しく生まれ変わった南橋は、瀬戸の伝統的なやきものを代表する「織部」がモチーフになっており、欄干を織部調のタイルで模様替えするもので、とくにポイントとなるのは、欄干の欄間部分の陶板である。この陶板は、四代加藤作助氏の寄贈によるもので、上流川と下流川の欄干欄間の両面に、併せて40枚取付してある。
中心市街地の活性化を目的とした「瀬戸川文化プロムナード」計画のなかで、瀬戸川(瀬戸大橋~記念橋)・瀬戸川プロムナード線の整備とともに橋梁が検討され、蔵所橋と南橋は道路橋としての役割を終えることになり、現在工事が進められている瀬戸大橋が完成すると取り壊されることになる。