瀬戸環状東部線

せとかんじょうとうぶせん


瀬戸市の中心市街地における交通混雑は、「放射状の幹線道路網配置による特定路線への交通集中」及び「名鉄瀬戸線による南北交通の阻害」が主な要因となっている。
広域交通体系へのアクセス利便性の向上を図るとともに、市街地内を経由することなく本市を通過する交通を処理するため、市街化区域の外郭に環状道路網を形成・整備が推進されている。瀬戸環状東部線、第3環状線、瀬戸環状西部線、瀬戸環状北部線が、外環状道路として取り組まれている。
瀬戸環状東部線は、南山口町から広之田間が都市計画決定され、現在、南山口から南山大学南、塩草土地区画整理事業地内を経由して赤津に至る区間が、事業区間として整備が進められている。南山口の国道155号(国道248号)から東へ約900m、赤津の東海環状自動車道の「せと赤津」インターチェンジの前後約1200mの区間が供用開始されている。
この道路が完成すると中心市街地を通過する国道248号のバイパスとなり、中心市街地の交通混雑の緩和が図られ、瀬戸市南部から東海環状自動車道「せと赤津」インターチェンジへの接続時間の短縮が見込まれる。

瀬戸環状東部線(塩草町交差点付近)
瀬戸環状東部線(塩草町交差点付近)

追分橋

おいわけばし


瀬戸川右岸の陣屋川に架かる橋で、新京極橋と同じく平成5年11月1日に完成をみた。
吉田橋との一体化をねらって織部釉を使った親柱を設置するとともに、高欄の支柱と支柱の間には、古代呉須で「瀬戸八景」を描いた磁器板を据えつけている。

瀬戸環状西部線

せとかんじょうせいぶせん


広域交通体系へのアクセス利便性の向上を図るとともに、市街地内を経由することなく本市を通過する交通を処理するため、市街化区域の外郭に環状道路網を形成・整備が推進されている。瀬戸環状西部線の整備もその一つである。
森林公園東の縁に沿って走る道路で、瀬戸市の北みずの坂3丁目から尾張旭市新居の海老蔓(森林公園東交差点)までが都市計画決定され、水野・山手特定区画整理事業により整備され、現在は供用開始されている。

瀬戸環状西部線(北みずの坂2丁目付近)
瀬戸環状西部線(北みずの坂2丁目付近)

川端歩道橋

かわばたほどうきょう


名鉄瀬戸線と愛知環状鉄道の結節点である新瀬戸の利便性を高めるため、愛知県所鉄道の橋脚と並行して瀬戸川に人道橋が平成3年(1991)7月20日に完成した。
新設の歩行者専用の橋で、陶芸家河本太郎の製作による、自然・人・宇宙をテーマにした陶製オブジェ9点が設置されている。

川端歩道橋

陶の路

とうのみち


瀬戸市では「陶の路」-伝統を感じ夢を語る出会いの散歩道・せと-というキャッチフレーズを持つ4つの散策路を設定し、市民が歩きやすい安全で快適な道づくりを進めるとともに、市外から訪れる人々に瀬戸の歴史や文化を分かりやすく示しながら、やきものに触れたり、楽しく買い物ができるルートを平成11年度から順次整備している。
○「暮らしっくストリート」(くらしっくすとりーと)平成11~13年度 整備延長1300 m
日常の生活シーンを彩る“暮らし”をテーマとしたルートであり、縁日的な賑わいの演出とアンティークな雰囲気づくりをミックスした生活提案型散策路。
○「小狭間坂」(こばさまざか)平成12~23年度 整備延長 1370 m
中心市街地を見渡す眺望機能を活かすほか、やきものに限らず、茶道、工芸、絵画などの多彩なジャンルの芸術に触れられる時空間を提供する散策路。
○「洞街道」(ほらかいどう)平成14~16年度 整備延長 1400m
瀬戸のやきものの伝統と文化が色濃く残る洞地区。窯道具で飾られた散策路の「窯垣の小径」や「窯垣の小径資料館」の味わいのあるたたづまいや施設が拠点となっている。
○「炎護路」(えんごろ) 平成22~26年度 整備延長 800m
やきものと関係が深く歴史のある神社から、窯元ゾーン、宮前公園を結ぶ坂道であり、窯道具で飾られた垣根を鑑賞しながら、伝統的な工芸技術の伝承を感じる散策路。

瀬戸市建設課 陶の路ページ

陶の路案内板
陶の路(暮らしっくストリート)
陶の路(暮らしっくストリート)
陶の路(暮らしっくストリート)
陶の路(暮らしっくストリート)
陶の路(小狭間坂)

記念橋

きねんばし


記念橋は蔵所橋と共に、瀬戸のやきもの文化の中心地に位置し、バス停留所に隣接する橋として市民に親しまれてきた。この記念橋は昭和25年(1950)に架けられたもので、もともとの記念橋は「らくちん」の裏を流れる瀬戸川の支流一里塚川に架けられていた。この記念橋の名称は、明治43年(1910)大正天皇が皇太子の時、当時の砂防工事としては最先端の、ホフマン工法の視察に瀬戸に行幸され、それを記念して付けられたものといわれている。

記念橋

瀬戸菱野トンネル

せとひしのとんねる


瀬戸市南部の住宅地と中心市街地を結ぶ「瀬戸菱野トンネル」が、平成16年(2004)3月20日に開通した。
瀬戸菱野トンネルを含む都市計画道路菱野線(県道愛知青少年公園瀬戸線)は、北に国道155号を経由して春日井市方面へ、南には、力石名古屋線に接続し、東尾張地域の南北軸を形成する重要な路線である。
南部の住宅地と中心市街地との間には標高差約30mの丘陵地があり、両地域の連携を阻んでいたが、このトンネルの開通により、周辺地域との交流が促進され、より一層の地域の活性化と産業の発展が期待される。
トンネル構造は、地山が砂層と未固結シルトの互層であり、土かぶりも20m程度と浅いため、断面は扁平形のめがねトンネルとして掘削断面の最小化が図られている。事業主体は愛知県(尾張建設事務所)、トンネル工事費は約38億円、平成11年(1999)10月14日に工事着手し、5年の歳月をかけ完成をみた。この開通により菱野線の全線が完成した。
トンネルの名称は、市民公募により決定した。

瀬戸菱野トンネル

記念橋人道橋

きねんばしじんどうきょう


中心市街地の活性化を目的とした「瀬戸川文化プロムナード」計画のなかで、瀬戸川(瀬戸大橋~記念橋)・瀬戸川プロムナード線の整備とともに橋梁の整備が進められており、瀬戸記念橋人道橋が完成し平成21年(2009)9月11日に渡り初め式が行われた。
記念橋人道橋は、やきもの装飾が施されている。瀬戸市制80周年に合わせて瀬戸ロータリークラブが寄贈した。同会員の陶芸家亀井勝、加藤令吉、加藤唐三郎、森脇文直、加藤孝爾が手掛け、親柱台座の上部は炎をイメージしたモニュメント、欄干には陶板が設置されている。また、親柱には栗木伎茶夫が揮毫した橋の名前入りの磁器板がはめ込まれ、欄干上部にはガラスの展示ケースが設置されており、瀬戸陶芸協会会員の作品が展示されている。

記念橋人道橋

バカ道路

戦時中に市民の家屋を強制的に立ち退かせて建設した防火帯、宮前南北道はその強引さとバカ広さから「バカ道路」と呼ばれた。

宮前南北道

共栄橋

きょうえいばし


大正14年(1925)の大水害で、県道名古屋瀬戸線の瀬戸駅付近と今村付近の瀬戸川南岸堤防がくずれ、この災害によって新しい道路の建設運動が今村でおこり、耕地整理で計画されたのが八間道路で、昭和のはじめには、まず現在の市役所前付近から共栄橋までの間が完成した。昭和14年(1939)頃から隣りの旭町で、県道名古屋・瀬戸線の改修のための土地買収がはじまり、昭和12年(1937)末には共栄橋が改築され、昭和18年(1943)末に名古屋・瀬戸線の路線変更が行われ、共栄橋~八間道路が県道となった。
昭和12年(1937)に架橋されたもので老朽化により、平成7年(1995)10月から工事がはじまり平成9年(1997)9月17日に完成をみた。

新共栄橋(新大橋・丸山橋)