御深井釉木瓜形水盤

おふけゆうもっこがたすいばん


県指定工芸品 1口
昭和57年3月31日指定 所在地 瀬戸蔵ミュージアム(寄託)
所有者 定光寺
文化財 高さ24.2センチ、口径55.7×77.2センチ 時代 江戸時代前期

本器は横木瓜(もっこ)の形をとり、側面を縄簾(のれん)の貼花文で飾り、底部には大型3足を付け、全体を卯の斑釉掛けした水盤である。
寺伝によれば、徳川義直公の儒教式祭典のため、要門和尚が朋友の陳元贇に依頼して新調したといわれ、水盤は2個焼いて内1個は建中寺にも蔵したという。
明治時代になって尾張徳川家から定光寺に渡されたもののようで、「定光寺什物帳」に書き加えられている。このように寺伝には陳元贇作とあるが、その証左となるものは見当らない。しかし、盤の形態・釉調などから江戸時代前期に焼造された初期御深井(おふけ)焼である。

御深井釉木瓜形水盤

木造十一面観音菩薩立像

もくぞうじゅういちめんかんのんりつぞう


県指定彫刻 1躯
昭和34年1月16日 所在地 瀬戸市下半田川町
所有者 同文化財保存会
文化財 高さ111センチ、肘張り31.9センチ 時代 平安時代後期

この観音菩薩立像は阿弥陀如来立像と共に、瀬戸市下半田川の氏神八釼神社境内の観音堂に安置されていたが、現在は昭和48年11月25日建造の文化財収蔵庫に安置されている。像は檜材の一木造りで、作者は不明であるが藤原前のもので、笠覆寺(笠寺観音)の観音像と共に当地方では珍しい古様をとどめている。
丸味をもった可憐な表情の面影、いくぶん外方に開くかに見える宝冠台、耳にかかった宝髪の一部、右足を多少浮かせた姿勢、衣文の流れや線条の彫刻も自然であり、全体としてすっきりした佳作である。台座や持ち物は後補である。

木造十一面観音菩薩立像

木造阿弥陀如来立像

もくぞうあみだにょらいりつぞう


県指定彫刻 1躯
昭和34年1月16日 所在地 瀬戸市下半田川町 所有者 同文化財保存会
文化財 高さ98センチ、肘張り28.3センチ 時代 平安時代後期

この阿弥陀如来立像は観音菩薩立像と共に、瀬戸市下半田川の氏神八釼神社境内の観音堂に安置されていたが、現在は昭和48年11月25日建造の文化財収蔵庫に安置されている。檜材の一木造りで上品(じょうぼん)下生の印を結び、柔らかな慈眼と小さく整った鼻・口・唇が面相をはなはだ穏やかな表情にしている。
衣文の線条やや両袖の手法にはやや類型的な傾きも見えるが、総じて藤原様式の特色を示している。
側面から見るとやや薄手に感じられるが、全体として形容の美しい像である。手足先や踏割蓮華座は後補のものである。

木造阿弥陀如来立像

オオサンショウウオ

おおさんしょううお


国指定特別天然記念物  所在地 瀬戸市下半田川町

現存する世界最大の両生類である。1952年(昭和27年)に国の特別天然記念物に指定されている。成体は全長60~80cm程度のものが一般的であるが、120cmを超えるものも確認されている。頭部と口が大きく、口を大きく開けるとその身が裂けたようにみえることから、「ハンザキ」とも呼ばれる。前足は4本、後足は5本の指を持つが、足は短く小さい。
西日本を主な生息分布域としており、瀬戸市はその東限とされている。瀬戸市では北部を流れる蛇ヶ洞川で生息がみられ、現在までに54個体が発見されている。生息環境保存のため、2002年の河川改修工事の際には人工巣穴が設置され、そこでの産卵も確認されている。また瀬戸市では2010年に「日本オオサンショウウオ大会」が開催され、地元の下半田川町に全国からオオサンショウウオ研究者や保護活動家が訪れた。現在は人工巣穴清掃や夜間観察会、河川清掃などの保護活動が瀬戸市と瀬戸オオサンショウウオの会(下半田川町)により毎年行われている。

オオサンショウウオは現存する世界最大の両生類で、昭和27年に国の特別天然記念物に指定されている。その棲息範囲は瀬戸市以西の本州・四国・九州の一部とされ、現在のところ瀬戸市が分布の東限と考えられている。
瀬戸市では下半田川町地内を流れる蛇ヶ洞(じゃがほら)川や日向(ひおも)川に棲息しており、調査によってこれまでに53個体が確認されている。最大の個体は全長102センチあり、平均75センチ前後の個体が最も多く見つかっている。オオサンショウウオは夜行性のため、日中は川の中の岩陰などに隠れてその姿を見ることはできないが、夜間に餌を求めて出現する。8月から9月頃が産卵期で、10月から11月頃に孵化した体長5センチ程度の幼虫が広がる。
下半田川町には河川工事に伴って設置された人工巣穴があり、その繁殖を願って毎年7月頃に人工巣穴の清掃が行われている。

蛇ヶ洞川のオオサンショウウオ

小長曽陶器窯跡

こながそとうきかまあと


国指定史跡 1,510平方メートル(旧986平方メートル)
昭和46年7月13日指定、平成14年3月19日史跡範囲拡大指定
所在地 瀬戸市東白坂町(東京大学演習林内) 所有者 東京大学
文化財 古窯跡及び工房跡 時代 室町時代前期・江戸時代中期

室町時代に創業された窖窯(あながま)で、古瀬戸製品を成形・乾燥させた工房や製品を焼成した窯体の構造などが発掘調査により明らかになった。この窯跡の最大の特徴は焼成室の中央に隔壁を持つことで、5本の小柱により通炎孔が設けられていることである。こうした構造は同時代の窯跡には全く見られないが、江戸時代の『張州雑志』によれば、元禄十二年(1699)に尾張藩公の命により茶道具を焼成するために再利用されたという記述とも一致する。
本窯は昭和21年5月、日本陶磁協会により瀬戸地方で初の学術発掘調が行われた。その後も、数次にわたる煙道部・前庭部・工房跡などの調査や保存事業が実施されている。

小長曽陶器窯跡全景

瀬戸の陶磁器の生産用具及び製品

せとのとうじきのせいさんようぐおよびせいひん


国指定有形民俗 3,943点
昭和49年2月18日指定、同50年9月22日追加指定 
所在地 瀬戸蔵ミュージアム 所有者 瀬戸市  時代 平安時代~昭和

 瀬戸市では昭和38年から陶磁器を製作するために使用する生産用具とその道具を
使った作られた陶磁器製品について調査・収集を行ってきた。収集された資料は、採土・製土・成形・乾燥・絵付・施釉・焼成の各工程に関する資料と製品、さらに製品の運搬道具や仕事着まで及んでいる。戦後の急速な機械化によって失われつつあった窯業関連の民俗文化財について一貫して収集されたこれらの収蔵品は、昭和49年に国の重要民俗文化財に指定され、瀬戸市歴史民俗資料館で収蔵・展示を行ってきた。
 平成17年からは、新たに瀬戸蔵ミュージアムの生産道具展示室にその機能を移し、20世紀の窯業が機械化されてゆく過程を含めた幅広い展示を行っている。

陶製五輪塔

とうせいごりんとう


国指定工芸品 1口
平成7年6月15日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ37.5センチ 時代 平安時代(久安二年銘)

灰褐色陶胎、やや砂質の焼締陶製五輪陶容器である。五輪陶とは地輪をかたどる台座、水輪をかたどる身、火・風・空輪をかたどる蓋から構成され、経塚造営の際の経塚又は経塚外容器と考えられるものである。
本器内外には多くの銘文が刻まれ、「久安二年(1146)七月廿八日 申時造了 清原重安造之」、「願主沙門良忠持範房」、「遠海新所之立焼(現湖西市新所湖西窯)」など作者・製作年代・製作地が判明する稀有な例であり、また五輪塔形経容器としても平安時代の貴重な作例である。浜松市浜北区根堅勝栗山出土と伝えられている。

陶製五輪塔

渥美灰釉芦鷺文三耳壷

あつみかいゆうあしさぎもんさんじこ


国指定工芸品 1口
昭和51年6月5日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ39.3センチ 時代 平安時代末期

渥美半島にはおよそ500基ほどの中世窯があったと推定されており、瀬戸窯・常滑窯に次ぐ大規模な窯業生産地だった。この渥美窯の製品は碗・鉢・壺・甕などの日用雑器だったが、広口瓶・短頸壺・経筒外容器などの特殊器種もあり、それらには蓮弁文・袈裟襷文などの文様が施されたものもあった。
本品は口径16.5センチ、胴径34.0センチ、底径13.5センチで、12世紀に製作されたものと推定され、埼玉県出土と伝えられてきた。肩の部分の袈裟襷文と全面に描かれた芦の生えた川辺に戯れる鷺の絵からこの名称が付けられた。国宝の渥美秋草文壺と並び絵画的にも高く評価されている。

渥美灰釉芦鷺文三耳壺

猿投灰釉多口瓶

さなげかいゆうたこうへい


国指定工芸品 1口
昭和50年6月12日指定 所在地 愛知県陶磁資料館 所有者 愛知県
文化財 高さ21.5センチ 時代 平安時代初期

愛知県三好市の黒笹36号窯からの出土品で、いわゆる猿投窯の製品である。高さ21.5センチ、口径6.5センチ、胴径15.9センチ、底径8.9センチ。
長頸口の周りに4個の小口頸を付けた器形で、多嘴瓶(たしへい)とも称する。やや外開きの口唇は縁帯状に整形され、丸味のある胴部の肩から4個の小口頸が付き、それぞれの基部は面取り整形されている。付高台の中央部は焼き割れて欠損しているが、ほかは良好である。全体に暗褐色を呈するが、口縁から肩にかけて厚く灰釉が掛り、自然釉との区別が難しいので原始灰釉と呼ばれる。

猿投灰釉多口瓶

太刀銘守家

たちめいもりいえ


国指定工芸品 1口
大正8年4月12日指定 所在地 徳川美術館(寄託) 所有者 定光寺
文化財 長さ68.1センチ 時代 江戸時代中期

尾張藩九代藩主宗睦が藩祖の所縁の定光寺に寄進したもので、守家は備前国畠山派の名工である。刀身は鎬造(しのぎづくり)で庵棟(いおりむね)となっており、磨(すり)上げのため反(そり)は浅くなっている。鍛えは杢目(もくめ)肌、刃紋は大丁子乱(おおちょうじみだれ)に足入りである。太刀の先端部分の切っ先は焼詰めとなっており、棟に一ヶ所切り込みがある。茎(なかご)は磨上げで、目釘孔は2個ある。長さ68.1センチ、反1.5センチ、元幅2.9センチ。
附属に糸巻太刀拵えは総金具、赤胴魚子地金色絵で葵紋散らし、鞘(さや)は梨子地に蒔絵と金具の丸に葵紋散らし、柄と渡巻は白地金襴包み花色糸巻きである。縁金具と大切羽(おおせっぱ)に「尾州住安藤信時(花押)」の切附銘がある。

太刀銘守家
太刀銘守家柄