水野 教雄

みずののりお


陶芸 練り込み 瀬戸市指定工芸技術 1件
平成22年6月18日指定
保持者 瀬戸市東町 水野教雄 昭和25年4月19日生

保持者は瀬戸市指定無形文化財「陶芸 練り込み技法」の保持者であった初代水野双鶴氏の次男として瀬戸に生まれた。昭和47年に名古屋造形芸術短期大学彫塑専攻科を修了の後、釉薬研修のため名古屋工業技術試験所で研修し、昭和48年から作陶活動へと入った。作陶活動に入ってからは日展および日本新工芸展を主な活動場所とし、様々な賞を受賞してきた。
練り込み技法とは、色の異なる陶土を積み重ねてさまざまな文様を作り出す伝統技法のことで、その歴史は古く中国唐時代に始まる。
保持者は伝統的な文様を応用するのはもちろんのこと、これまでの練り込みではあまり使用されることがなかった写実的な文様にも挑戦されており、練り込みの新しい表現方法を日々求めて研鑽されている。

練込

若宮遺跡

わかみやいせき


瀬戸市若宮町
 矢田川右岸に形成された沖積地に、東西約700ⅿ、南北約500ⅿの範囲に広がる集落遺跡。石田遺跡の東側に位置し、平成15年度以降、数次にわたり発掘調査が行われている。
 平成26年度調査では、2世紀後半~3世紀前半に位置付けられる土器溜まりをはじめ、6世紀前半までの土師器や6・7世紀の須恵器などが主体となってまとまった量の遺物が出土した。また、8世紀のものと思われる移動式の竈(かまど)も出土しており注目される。平成27年度調査では、3世紀~6世紀の土師器や須恵器が出土しているほか、同時代に比定される竪穴式住居跡が、本遺跡内では初めて発見された。本遺跡の北側丘陵には、塚原古墳群や高塚山古墳群など、多くの古墳が群集していることがよく知られており、本遺跡の竪穴式住居跡が、こうした古墳を造営した集落の一つであった可能性も十分に考えられる。

石田遺跡

いしだいせき


瀬戸市石田町・池田町・東米泉町・西米泉町
瀬戸市南部を西流する矢田川右岸に形成された沖積地において、東西約1.2㎞、南北0.5㎞の広範囲に広がる集落遺跡。近年増加する宅地開発に伴い、瀬戸市によって数次にわたり発掘調査が行われている。その中で、平成23年に行われた池田町196番・197番地点の調査では、8世紀~9世紀前半の間に機能したと考えられる竪穴式住居跡や、掘立柱建物跡などが検出された。この他、当該期に使われたと考えられる土師器の甕や須恵器の杯身・杯蓋を中心に、まとまった量の遺物が出土しており、中には7世紀代に比定されるものもみられることから集落の出現がそこまで遡る可能性も考えられている。矢田川右岸の沖積地上には、比較的大規模な遺跡の存在が知られているが、その中で明確な古代集落の存在を初めて確認することができた貴重な事例である。

瓶子陶器窯跡

へいじとうきあまあと


国指定史跡 4,520平方メートル
平成27年10月7日指定
所在地 瀬戸市凧山町 所有者 瀬戸市・国土交通省
文化財 古窯跡及び工房跡 時代 江戸時代前期

江戸時代の旧赤津村は、尾張藩の御用を務めた「御窯屋」が所在するなど、藩との結びつきが強いやきもの生産地であった。当時の窯は、現在の集落や陶磁器工房の中心部となる、赤津盆地北側丘陵斜面に構築される例が多かったが、瓶子陶器窯跡は盆地南側に単独で構築された立地状況となっている。2基の窯体(1号窯・2号窯)と工房跡・物原からなり、平成10・11年度には瀬戸市により窯体と工房跡の確認調査が、平成15年には愛知県により物原部分の発掘調査が行われた。
1号窯は、下半部分は大窯構造、上半部分は連房式登窯構造をなす、いわゆる「大窯・連房連結窯」という特異な構造となる。残存長は15.4ⅿで、連房部分は6房確認された。2号窯は一般的な連房式登窯で、残存長は28.3ⅿにも及び、房数は14~15房であったと推定される。
出土遺物には、当時赤津村で一般的に生産された擂鉢や銭甕の他、天目茶碗や茶入といった茶陶関係の製品が多くみられ、その年代から本窯の操業は17世紀前葉から末葉であったと考えられる。また、愛知県の物原調査時には、尾張藩士の名前が書かれた「付け札」が出土し、藩との関わりがあったことが明らかにされた。

1号窯連房部
1号窯大窯部

瀬戸尾張旭郷土史研究同好会

せとおわりあさひきょうどしけんきゅうどうこうかい


「瀬戸・尾張旭の歴史を掘り起こそう」を合言葉に、平成5年(1993)に設立された。平成26年には、それまでの研究のまとめとして『郷土史研20年誌』を発行している。例会は月1回で、『尾張名所図会』の解読と個人研究の発表が行われる。この他、名所・旧跡の見学会の実施、郷土史に関する講演会の実施、会が発行した『おしょうさんにしかられた龍』『機織池(はたごいけ)』『雨降り地蔵』の3冊の昔話の読み聞かせ、「郷土史研究報」の発行などを行っている。

北川民次のアトリエを守る会

きたがわたみじのあとりえをまもるかい


平成6年(1994)に北川民次画伯と親交があった人たちを中心に設立。日本の美術界に大きな足跡を残した北川画伯の創作の場、生活の場として、文化的な価値のある場所だと考え、この保存活用を目指して、アトリエの清掃や草取りという活動から出発している。そして、市の委託を受けて、アトリエの日常の清掃・管理を行うとともに、春と秋の2回、アトリエの公開や企画展の実施、機関紙「バッタ」の刊行を行っている。

書道研究 飛墨会

しょどうけんきゅう ひぼくかい


昭和56年(1981)より毎年瀬戸市内で展覧会を開催している。瀬戸地方の文化や時代に合ったテーマを持ち、個人作品・会員合同作品で来場者に書文化を楽しんで頂く内容としている。“書く”だけの書道ではなく、生花・朗読・講談等とコラボレーションも行い、書の可能性をも試行・探求している。書作品の他、拓本技術も学び、市内外の数多くの碑文・文化財の拓本保存にも力を注ぎ、技術の伝承・文化財の記録として重要な活動も継続中である。郷土の歴史・文化・人を学び紹介することで瀬戸の文化を継承し、次世代に繋ぐ活動を行っている。

瀬戸版の会

せとはんのかい


長久手の洋画家である故伊藤髙義先生を講師に昭和54年(1979)に発足。毎年作品展を開催している。瀬戸市の文芸発表会の冊子である「窯火」の挿図版画を毎年提供している。平成13年には瀬戸市文化協会の「つばき賞」を受賞している。平成18年の瀬戸市中央公民館閉鎖にともない、教室を文化センターに移して今日に至る。

瀬戸音楽連盟

せとおんがくれんめい


「瀬戸合唱フェスティバル実行委員会」を母体として発足し、昭和60年(1985)7月に8団体で第1回目のフェスティバルを開催した。その後毎年瀬戸市文化センター文化ホールで開催し、第24回より瀬戸音楽連盟に改称した。平成28年に開催したフェスティバルの参加は20団体、出演者は600名以上であった。

せと なでしこ会

せと なでしこかい


昭和34年(1959)、辰美会より民謡部門が独立して発足。全国組織である「日本民謡研究会」の傘下にあり、「踊って 心に灯を」「踊りの輪を 人の和に」を合言葉に、下品野、古瀬戸、幡山、長根、水南の各公民館、西部コミュニティセンター、瀬戸中日文化センターに姉妹会員を有し、小中学校・少年院での授業、福祉施設への慰問など、一人でも多くの方々に踊るよろこびをわかちあい、明るい社会づくりのお手伝いができればと活動を続けている。