馬頭観音

ばとうかんのん


馬頭観音は、馬頭明王、馬頭金剛明王などと呼ばれ、八大明王の中にその名が見られる。大多数の造立の目的は、牛や馬、特に供養と民衆の信仰対象である。

平等庵

びょうどうあん


瀬戸市東町
洞の東町の奥に平等庵がある。平等庵は名古屋の熱田の旗屋町にある登和山青大悲寺の末寺で御本尊は阿弥陀如来である。この寺は修業寺で、住職は本元の青大悲寺で厳しい修業をした尼さんが派遣されてくる。修業寺であるから日課は大変厳格に守られている。朝3時に起床、3時から5時30分まで座禅、5時30分からおつとめ、7時に食事、7時30分から座禅、また食事は参禅するとだされる質素なものである。この寺に檀家はない。宝泉寺の檀家をすこしばかりあずかって月まいりをする程度である。お祭りは春の花祭りとお彼岸とお寺のお祭りがある。お寺のお祭りは年に1回、本元の青大悲寺から指定された日に位の高い尼さんが派遣されておこなわれる。その日には地元の洞をはじめ、名古屋から多くの信者が集まり、座禅やおつとめや説教が盛大におこなわれる。

平等庵
平等庵

 

法雲寺

ほううんじ


瀬戸市深川町30
紫雲山 法雲寺。真宗大谷派。明治16年(1883)他所から移住した真宗の信徒のために、信徒自らが坊舎を建立したのが、その始まりであり、明治29年(1896)には本山より布教使・本多智淳を派遣した。明治35年(1902)には本堂建立後に寺厨を改築し賓館を増築し次第に形を整え、昭和2年(1927)3月22日に、岐阜県恵那郡苗木町にあった法雲寺を移して、真宗の説教場より寺院に昇格し、本多智淳師が初代の住職となった。本尊は阿弥陀如来立像、年中行事としては3月・9月の春秋彼岸会、7月の孟蘭盆会、11月の報恩講が主なものとして挙げられる。また本堂脇には第二次世界大戦の際に金属供出でなくなった梵鐘の変わりとして作られた陶製の梵鐘が置かれている。

法雲寺
法雲寺

宝生寺

ほうしょうじ


瀬戸市駒前町171
佛法山 宝生寺。曹洞宗。本尊は観世音菩薩を祀る。当初は弘法大師を本尊として原山(現西原町1丁目)にあったと言われている。約350年前の寛永9年(1632)に雲興寺15世興南義繁によって開創され、八丁寺(現西本地町1丁目)に移転し雲興寺25世全山紹道によって佛法山宝生寺として開山した。享保5年(1720)に山口川の大洪水にあい流失したため現地に再移転した。現住職は全山紹道より数えて16代となる。寺宝としては2代目代興柏春の真筆正法眼蔵があり、年中行事の中では1月5日の初えびすが名高い。又延命地蔵尊の夏祭りも地域をあげて例年とり行われている。

宝生寺
宝生寺

宝泉寺

ほうせんじ


瀬戸市寺本町30
大昌山 宝泉寺。曹洞宗。本尊は釈迦牟尼佛、脇佛に地蔵菩薩、薬師如来が祀られているが、この薬師如来像は行基の作になるものとして名高く、約720年前に創立された当初の本尊であった。16世紀末天正年間に戦火によって消失したがその数十年後に雲興寺の興南によって堂が建立され延命地蔵尊を本尊として、大昌峰宝泉寺となった。天明年間には三殿堂を建立、その100年後には諸堂が一新されたと言う記録が残っている。尾張33カ所第26番札所、尾張城東西国33カ所第31番 札所としても知られている。年中行事では大槃若会、節分会、彼岸会、秋葉祭典等があるが、最も名高いものは薬師祭典(11月8日、11月12日)で、“お薬師さん”の呼び名で知られており瀬戸の季節をいろどる風物詩として市民に親しまれている。

宝泉寺
宝泉寺
陶質十六羅漢塑像
本堂天井絵

本泉寺

ほんせんじ


瀬戸市矢形町165
教春山 本泉寺。真宗高田派。本尊は慈覚大師作の阿弥陀如来である。また別堂本尊として弘法大師の作である十一面観世音像がある。年中行事には修正会、彼岸会、太子会、釈尊三大聖日、同朋会がある。由緒としては土地の地頭職であった山田泰親が下野団高田専修寺の顕智がこの地に来た際に師資の約をして、法名瀞顕を得て弘安6年(1283)に開山したのが始まりである。以後天文5年(1536)、宝暦10年(1760)、更に昭和63年(1988)に本堂の再建をして現在に至る。明治15年(1882)に観音堂(別堂)を境内に移し、尾張城東西国33カ所第32番札所・山口観音堂となっている。寺宝は前出のものの他、宗祖聖人木像、薬師如来、瀞顕の作になる聖徳太子像がある。

本泉寺 山門・本堂
山口観音堂
山口観音堂 十一面観音立像

万徳寺

まんとくじ


瀬戸市塩草町93
太子山 万徳寺。真宗高田派。本尊は阿弥陀如来で歴史としては約700年前に武蔵国から三河今橋に移り住んだ親鸞の弟子の海円が三河国加茂郡越戸(現豊田市)に万徳寺を建立したのがその始まりである。その後正応元年(1288年)尾張国春日井郡赤津村に天台宗の帝子堂を再興し関尾山万徳寺を起した。太子山の由来は寛正年間に今村城主松原広長が聖徳太子霊像に帰依して、太子にかかわるものや寺領、本堂を寄進した事による。大正元年(1912)には高田本山より太子山の山号を下付され改称した。現在の太子堂は昭和10年(1935)の改築のものである。年中行事として彼岸会、報恩講などの他、聖徳太子御会式がある。寺宝として聖徳太子自作と言い伝えのある聖徳太子孝養像の他、聖徳太子、親鸞聖人にかかわるものが多数ある。

万徳寺
松原塚

覚城寺

かくじょうじ


瀬戸市追分町73
不動山 覚城寺。真言宗醍醐派。大正14年(1925)4月4日天台宗寺門派教分追分支部として教主小林種圓で設立された。昭和18年(1943)になり主管者山田覚圓法人真言宗修験道醍醐不動協会となり、昭和21年(1946)12月7日法人教会解散と同時に寺院に昇格し現在に至っている。本尊は法身体大日如来、弘法大師、不動明王。“お不動さん”と呼び親しまれ瀬戸市役所東隣の南北の通り「不動産通り」と言うのは覚城寺の不動明王に由来する。

覚城寺

善光寺別院

ぜんこうじべついん


瀬戸市西吉田町9
称名山 善光寺別院。浄土宗。本尊としては一光三尊善光寺如来、阿弥陀如来をまつり、年中行事としては施餓鬼会、春秋彼岸会、鬼畜供養がある。昭和3年(1928)長野の善光寺より本尊を迎えて善光寺別院となり、昭和11年(1936)には本堂を建立すると同時に善光寺大本願尼公上人を迎え開山した。

善光寺別院
善光寺別院本堂

感応寺

かんのうじ


瀬戸市水北町950
小金山 感応寺。臨済宗妙心寺派。尾張城東三十三観音26番札所。天平6年(734)に行基によって開創、地名の小金にちなんで小金山と称し、行基作の雨乞観音が感応仏と呼ばれたので寺号を感応寺とした。当初は天台宗であったが、慶長5年(1600)に才庵によって中興された際に臨済宗妙心寺派に転じている。本堂に安置してある本尊聖観音は恵心僧都の真作であり、元禄7年(1694)作の開山行基菩薩木牌長歌、小金山景和歌が寺宝としてある。毎年8月17日の夜には提灯祭として知られる小金観音縁日が開催され多数の参詣者でにぎわいをみせる。近年、感応寺境内に聖観世音菩薩像、小金山山上に水子観世音菩薩像が建立されかなりの参詣者である。

感応寺(遠景)
感応寺(山門・塀)