瀬戸陶土層は、一般に下部より八床珪砂層、水野粘土層に区分されており、水野粘土層の比較的上部に木節粘土が堆積したものである。
粘土層は、基盤のくぼみに断続的に堆積したもので、多くは珪砂層の上位にあるが、その間連続して分布していない。粘土は、主として細粒雲母質砂質粘土(キラ層)・含石英粒粘土(蛙目粘土)・灰白色粘土・青灰色粘土または含炭質物粘土(木節粘土)などからなり、主として花崗岩類の風化分解物からできたものである。粘土の多くは淡青色ないし灰白色で、レンズ状に粘土混り細粒砂の薄層を挟在しているが、粘土成分の特に多い所に、細粒石英と長石風化物と思われる乳白色の粘上が混じって、蛙目粘土に似た様子を示すこともある。しかし、蛙目粘土に比較すればよく淘汰されている。粘土層中、最も良く分級淘汰された粘土が木節粘土である。暗灰色、時には黒色に近い色をし、炭質木片を挟有していて植物化石もほとんどこの層から産出している。
カテゴリー: 自然
水無瀬川
みなせがわ
2級河川。上流域左岸:原山町141先、右岸:原山町140-2先。河川延長:2,550m、下流域県道瀬戸・大府線にかかる菱野大橋下流山口川との合流点。菱野団地が作られたことにより、水無瀬川上流域の地表部分がなくなってしまった。
下流の矢田川と合流する手前のところにシラハエがたくさん住んでいる。釣るほど大きな魚ではないので、タモですくって、子供達が遊んでいる。
オオサンショウウオ
おおさんしょううお
国指定特別天然記念物 所在地 瀬戸市下半田川町
現存する世界最大の両生類である。1952年(昭和27年)に国の特別天然記念物に指定されている。成体は全長60~80cm程度のものが一般的であるが、120cmを超えるものも確認されている。頭部と口が大きく、口を大きく開けるとその身が裂けたようにみえることから、「ハンザキ」とも呼ばれる。前足は4本、後足は5本の指を持つが、足は短く小さい。
西日本を主な生息分布域としており、瀬戸市はその東限とされている。瀬戸市では北部を流れる蛇ヶ洞川で生息がみられ、現在までに54個体が発見されている。生息環境保存のため、2002年の河川改修工事の際には人工巣穴が設置され、そこでの産卵も確認されている。また瀬戸市では2010年に「日本オオサンショウウオ大会」が開催され、地元の下半田川町に全国からオオサンショウウオ研究者や保護活動家が訪れた。現在は人工巣穴清掃や夜間観察会、河川清掃などの保護活動が瀬戸市と瀬戸オオサンショウウオの会(下半田川町)により毎年行われている。
オオサンショウウオは現存する世界最大の両生類で、昭和27年に国の特別天然記念物に指定されている。その棲息範囲は瀬戸市以西の本州・四国・九州の一部とされ、現在のところ瀬戸市が分布の東限と考えられている。
瀬戸市では下半田川町地内を流れる蛇ヶ洞(じゃがほら)川や日向(ひおも)川に棲息しており、調査によってこれまでに53個体が確認されている。最大の個体は全長102センチあり、平均75センチ前後の個体が最も多く見つかっている。オオサンショウウオは夜行性のため、日中は川の中の岩陰などに隠れてその姿を見ることはできないが、夜間に餌を求めて出現する。8月から9月頃が産卵期で、10月から11月頃に孵化した体長5センチ程度の幼虫が広がる。
下半田川町には河川工事に伴って設置された人工巣穴があり、その繁殖を願って毎年7月頃に人工巣穴の清掃が行われている。
矢田川(山口川)
やだがわ(やまぐちがわ)
一級河川。矢田川は名古屋市で庄内川へ流入するものの支流で、幹線流路の延長は、23.7kmあり、そのうち上流6.15kmが市内を流れている。山口川は旧山口村の名をとった川の呼び方であり、現在でも地元では、瀬戸川との合流点までの呼び方に用いられている。
山口堰堤の下で赤津川が海上川と合流し、ここから下流が矢田川になる。屋戸橋をくぐった所で屋戸川が合流して水田地帯に入り、大きく湾曲して西へ流れている。しかし、古地図を見ると、昔はこの川の川筋も蛇行が激しくて、大水による氾濫が多く、河川の両側には耕作できない砂入地があったようである。
オオタカ
おおたか
タカ目タカ科に属し、北半球の温帯から寒帯にかけて広く分布する森林性のタカである。主に留鳥であるが、北方の個体群の一部は南方に渡って越冬する。愛知県内における分布状況は、平成13年から15年にかけて愛知県が実施した調査によると、県内の低地から山地まで市街地を除くほぼ県内全域で確認されている。
体長は雄で約47~52.5cm平均50cm、雌で約53.5~59cm平均56.5cm、翼開長は約106~131cmであり、白い眉斑と太くて黒い眼帯と黄色またはオレンジ色の目が特徴である。国内で繁殖するオオタカは法律に基づく国内希少野生動植物に指定されており、環境省のレッドデータブックにおいて絶滅危惧Ⅱ類に選定されている。また、愛知県においては準絶滅危惧種に選定されている。
平成11年1月公表の2005年日本国際博覧会会場計画の候補地である瀬戸市海上地区でオオタカの営巣が確認されたため、愛知青少年公園を主会場とする計画に変更、当初の会場候補地である海上地区は会場規模を大幅に縮小された。
山口川
やまぐちがわ
江戸時代には、矢田川が山口川とも呼ばれていたが、現在では矢田川の上流の一部である。最上流部は猿投山西斜面から注ぐいくつかの細流を合わせて水量を増した「赤津川」との合流点であり、下流域は、本地大橋の下流約500mで瀬戸川が右から合流し、右岸が尾張旭市となる矢田川との合流点である。山口川の名称の由来は村落名である山口村から出ていると思われる。瀬戸市南部を東西に広がる山口川流域は、旧幕時代は東から山口村・菱野村・本地村に分かれて愛知郡に属していたが、1906年(明治39年)の合併で幡山村となり、昭和も戦後になって瀬戸市に合併された。山口川が左岸から流入する海上川を合わせて平地に出てくる屋戸橋の上から上流を眺めると、川の流れが山間から平地に出る様子がつぶさに観察されて、「山口」という地名がつけられた理由がよくわかる。
かも
かも
瀬戸川流域の水質改善が整うようになった平成10年頃から、それまで馬ケ城水源地に生息していたかもが瀬戸川流域に飛来するようになった。
すっぽん
すっぽん
瀬戸川の水質が改善されさまざまな生き物が生息するようになった。ここ近年、すっぽんが確認されている。小学校などでは子供たちに注意を呼びかけている。
応夢山
おうむさん
定光寺の名で知られる応夢山は、中・古生層から成り、標高が271mで高山の部類に入るものではない。しかし、市境(県境)を流れる庄内川(玉野川)の峡谷より一気にせり上っており、実際以上の高さを感じさせる勾配である。庄内川に架かる城嶺橋付近では、新鮮な中・古生層の砂岩と頁岩の互層や砂岩とチャートの互層が見られるのに対して、本山では風化作用が進み土壌化して多くの照葉樹を育てている。「定光寺縁起」によると、当山の開山は肥後の人千葉氏で、その母一夜地蔵菩薩の霊夢を感じて生れたと言われ、九才で出家して鎌倉建長寺で修行の後、五十四才の時尾張の国を遊歴して、水野の里人跡未踏の地を卜して座禅をしておられた。遠近の人々それを伝え聞き、教を請い帰依する者多く、5年の後、本堂を建立することとなり、その位置が決定したとき、ある夜不思議にも、そこから定光仏と言う霊像を掘出した夢を雲水一同が見たので、禅師は定光寺と名づけ、山号を応夢山としたとある。定光寺(覚源禅師開創)には、尾張藩祖徳川義直公の廟所がある。
ホタル
ほたる
ゲンジボタルともいい、最近水質の浄化が進んではいるが瀬戸川の上流の馬ヶ城付近に限り生息しており、夏の宵をいろどる風物詩として市民に親しまれている。最近、馬ヶ城・上半田川町・曽野町で確認されている。幼虫は水生。カワニナを食べ、清流に生息している。