興福寺

こうふくじ


瀬戸市八幡町358
大城山 興福寺。曹洞宗。本尊は釋迦牟尼如来、年中行事としては新年御祈祷、恒期大般若会、春期秋期彼岸会、恒期大施餓鬼会等がある。由緒沿革としては同所に青松庵と言う堂に小僧が住み、堂の守りをしていたが、宝泉寺九世大和尚が寺を開き、山口地区の宝泉寺檀家、6戸を檀家として興福寺の寺号を得た、琢〓(王に專)器玉大和尚の代に開山の名前を得、山号を大成山とし、寺号を興福寺と名付けて今日に至る。

興福寺

光國寺

こうこくじ


瀬戸市西吉田町15
東照山 光國寺。真宗大谷派。元禄10年(1698)越後国(現新潟県)中頸城郡里五十公野村大字中ノ地に創立され、昭和6年(1931)に本多環師によって移転中興されたが、中興以前の縁起については不祥。本尊は阿弥陀如来、寺宝としては見真大師絵像、慧灯大師名号、太子絵像、七高僧絵像、達如上人絵像にある。年中行事としては修正会、春季法話会、盆法要、梵鐘つき、同朋会、青年会、報恩講等がある。

光國寺(山門)

慶昌院

けいしょういん


瀬戸市城屋敷町34
医王山 慶昌院。曹洞宗。本尊は釈迦牟尼如来。文明5年(1474)旧今村城主松原広長公が城域守護のために八王子大明神並に薬師如来を祀り天台宗医王山八王子を開いた事に始まる。寛永8年(1631)、雲興寺15世興南義繁により曹洞宗に帰属、元禄4年(1691年)には雲興寺十九世玄峰伝旨によって開山され、将軍綱吉の生母と同名桂昌院の名を付した。また寛延元年(1748)太初逸元の時法地開闢され、本堂開山堂庫裡等一新した。現在の本堂、納骨堂、葬祭場等は、16世宏嶽浄天代秋葉神殿は、18世天中正美代に再建されている。現在、19世寧菴正康により、庫裡、書院、山門、鐘楼等の諸堂を建設中、平成3年(1992年)度各々完成の見込みである。年中行事は年礼、秋葉火まつり、観音夏まつり等、夏休み子供禅の集いがある。寺宝としては伝行基の作である、地蔵菩薩立像等がある。本堂内陣天井には伊藤清永作の天女の舞天井絵がよく知られている。また境内は市内の桜の名所としてよく知られ、春になると全山が桜につつまれる。

慶昌院(本堂)

弘誓寺

ぐぜいじ


瀬戸市東吉田町44
壺坂山 弘誓寺。曹洞宗。本尊は千手観世音菩薩であり、年中行事としては毎月18日千手観世音供養法要、両祖忌、春秋彼岸会等がある。寺宝として安政3年(1856)製作の円周8m50㎝の百万遍操り念珠がある。1937年(昭和12年)に瀬戸市大学今(現在東吉田町)に曹洞宗弘誓教会所として服部泰鏡師によって開かれた。準法地を昭和52年(1977年)法地に開闢し開山開闢を慶昌院18世とし現在に至っている。曹洞宗の教義を地域の信徒に伝導して処世の安心を得ることを目標としている。

弘誓寺

久雲寺

きゅううんじ


瀬戸市落合町47
龍洞山 久雲寺。曹洞宗。本尊は釈迦牟尼如来、脇仏として薬師如来、阿弥陀如来を祀る。開創は奈良時代(神亀2年)に行基によってなされたと伝わる。室町時代初期、応永8年(1420)5月に吉野朝の忠臣戸田彈正宗忠が香華院長寿寺を開基し雲興寺開山天鷹祖祐禅師を招じて開山とし曹洞宗教に帰入した。また永禄年間には織田信長の部将であった林三郎兵衛によって長寿寺末寺として久龍庵を建立し、薬師如来を祀った。元和6年(1621)に雲興寺14世居雲宗準大和尚によって久龍庵の遺仏を長寿寺に合わせて、寺号を龍洞山久雲寺と改め開山した。享和2年(1802)、雲興寺31世太謙遜翁大和尚、法地再興し、中興開山となり、現在に至る。寺宝としては足利義継筆による和歌軸一巻、横井金谷筆の十六羅漢図がある。年中行事としては大槃若会、涅槃会、花祭り等の他戦沒者供養、無縁塔供養がある。

吉祥寺

きっしょうじ


瀬戸市上半田川町846
多聞山 吉祥寺。曹洞宗。本尊は行基作毘沙門天。開創は寛永7年(1630)吉祥庵がおこされた事に始まるが、しばらく無住が続いたが、天保11年(1841)雲興寺34世瑞応慧琳によって再興開山された。本尊の吉祥寺毘沙門天は頭痛を取り除くとの言い伝えがある。4月第1日曜日は南無喜平治大祭行われる。

吉祥寺

感応寺

かんのうじ


瀬戸市水北町950
小金山 感応寺。臨済宗妙心寺派。尾張城東三十三観音26番札所。天平6年(734)に行基によって開創、地名の小金にちなんで小金山と称し、行基作の雨乞観音が感応仏と呼ばれたので寺号を感応寺とした。当初は天台宗であったが、慶長5年(1600)に才庵によって中興された際に臨済宗妙心寺派に転じている。本堂に安置してある本尊聖観音は恵心僧都の真作であり、元禄7年(1694)作の開山行基菩薩木牌長歌、小金山景和歌が寺宝としてある。毎年8月17日の夜には提灯祭として知られる小金観音縁日が開催され多数の参詣者でにぎわいをみせる。近年、感応寺境内に聖観世音菩薩像、小金山山上に水子観世音菩薩像が建立されかなりの参詣者である。

感応寺(遠景)
感応寺(山門・塀)

覚城寺

かくじょうじ


瀬戸市追分町73
不動山 覚城寺。真言宗醍醐派。大正14年(1925)4月4日天台宗寺門派教分追分支部として教主小林種圓で設立された。昭和18年(1943)になり主管者山田覚圓法人真言宗修験道醍醐不動協会となり、昭和21年(1946)12月7日法人教会解散と同時に寺院に昇格し現在に至っている。本尊は法身体大日如来、弘法大師、不動明王。“お不動さん”と呼び親しまれ瀬戸市役所東隣の南北の通り「不動産通り」と言うのは覚城寺の不動明王に由来する。

覚城寺

栄昌寺

えいしょうじ


瀬戸市一里塚町108
弘徳山 栄昌寺。曹洞宗。宝泉寺15世天地圍山和尚を迎えて開山した。本尊は如意輪観世音菩薩であるが、遠州より迎えいれた日切地蔵尊が日を切って「願」をかけると必ず願いがかなうと言われ、近在の人々に「日切地蔵」さんと親しまれ、信仰を集めている。また伊勢の白子から迎えた子安観音も多く信者に親しまれている。寺宝として瀬戸最古の尊像と伝えられている陶製素焼きの弘法大師像があり、主な行事に弘法正当法要、施餓鬼会、日切地蔵祭がある。

栄昌寺(参道)
栄昌寺(本堂)

栄国寺

えいこくじ


瀬戸市西本町1-8
大平山 栄国寺。曹洞宗。国道155号線西本町交差点の近くにあり、油壁と山門が尼寺らしいやさしいたたずまいを見せている。明治34年(1901)水野常倫禅尼師の建立によるもので、尼僧衆研鑚の場として全国につとに有名。現在も常に30名程尼僧が修行を重ねている。本尊は見代り地蔵、御たすけ地蔵として知られる石仏延命地蔵願王菩薩で御札を身につけ病気の個所、傷の個所をさすって川に流すと地蔵が身代りとなって悪病が去ると言い伝えられている。その言い伝えを表わすように石仏が左から右へ袈裟がけに切られ上下2つに割られている。年中行事としては市民によく知られている(地蔵盆大祭)の他(花まつり)大般若会、御涅槃会、施餓鬼、両彼岸会がある。