自然と人、人と人とがじっくり触れ合い、語り合う愛・地球博の原点。自然環境の保全に最大限の配慮を払いながら、「自然の叡智」というテーマを具現化するシンボルゾーンとして会場が整備された。
・瀬戸日本館
コンセプトは、「つなぎ直そう。人と自然」。テーマは、「自然と生きる日本人の知恵・技・こころ~自然とつながる感性を取り戻そう」。日本人には、自然と折り合う生活に心の豊かさを感じとる力がある。それは、古くから育んできた「知恵・技・こころ」。災害の防止、快適な生活、資源の有効利用など科学や技術のみでは解決出来ない問題への解決の糸口を提示する。
・瀬戸愛知館
コンセプトは、「森の鼓動と呼吸」~かつてない自然発見の場~。国際博覧会の会場づくりを巡ってさまざまな議論がなされた「海上の森」の一隅にある。このパビリオンは、万博後には「海上の森」の自然を学び育むための拠点とすることを前提に計画された。パビリオンでは日頃見過ごしてきた多様な生命世界をダイナミックに実感することができた。
・市民パビリオン&海上広場
コンセプトは、あなたの「地球の愛しかた」見つけてください。日本全国から、世界から市民参加のプロジェクトが大集結し、毎日入れ替わりでさまざまなイベントを開催した。
愛・パーク ⇒ 公園
カテゴリー: 観光
モリゾー・キッコロ
もりぞー・きっころ
2005年日本国際博覧会「愛・地球博」のマスコットキャラクター。
モリゾーは森のおじいちゃん、キッコロは森のこども。ふたりは海上の森に住んでいる森の精。ふだんは人間の目に見えないが、気をつけているとその存在を感じることができる。疲れている人の心に木漏れ日を届けたり、そよ風をおこしたり・・・彼らはたくさんの不思議な力で、私たちを元気にしてくれる。
愛・地球博の開催中は会場で大活躍したが、閉幕とともに海上の森に帰った。
そして、今度はみんなのエコ活動を応援したり、環境問題を一緒に考えたりするため、みんなのところへ登場してくれる。
なお、平成18年よりモリゾー・キッコロ住民票が発行されている。
わかしゃち国体
わかしゃちこくたい
平成6年(1994)10月30日~11月2日、第49回国民体育大会「夏季大会」が愛知県中心に行われた。この大会の愛称が「わかしゃち国体」で、公式マスコットが「シャッチー」であった。
瀬戸市ではウエイトリフティング競技が市民公園の市体育館で行われた。地元窯業高校のウエイトリフティング部からも選手が出場し、大会中は大勢の市民が応援に訪れ、選手の健闘に拍手を送っていた。
岩屋堂公園
いわやどうこうえん
⇒公園の項を参照
岩屋堂バーベキューサイト(旧バンガロー村)
いわやどうばーべきゅーさいと
バーベキューサイトは、鳥原川に近い山の斜面にあるバーベキューのできるデイキャンプ場(日帰りのみ利用)。オートキャンプ不可。事前予約制のため、電話での予約が必要である。
利用期間
①4月末ごろ~7月上旬ごろ 土・日曜日、祝日
②7月中旬~8月末日(夏休み期間中) 毎日
③9月1日~同末ごろ 土・日曜日、祝日
利用時間
午前10時から午後3時30分
利用料金
中学生以上 300円
小学生 100円
小学生未満 無料
⇒「岩屋堂公園」を参照
岩屋堂プール
いわやどうぷーる
愛知高原国定公園の一角を占める岩屋堂公園の入り口近くにあり、鳥原川にセキを設けて川を利用した全国的にも珍しい天然の流水プールがある。
なお、以前あった50mプールは、毎年小中学校の夏休み期間にあわせて開設されてきたが、昭和34年(1959)の建設から50年以上を経過し施設が老朽化したこと、プール裏手に面する鳥原川対岸の山林で落石の恐れのある個所が発見され、プールの安全運営に懸念があることから、平成24年(2012)閉鎖された。
⇒「岩屋堂公園」を参照
窯垣の小径
かまがきのこみち
窯垣の小径資料館
かまがきのこみちしりょうかん
瀬戸市仲洞町31番地
窯垣の小径の途中にあった窯元の旧家(旧寺田家住宅)を改修し、「(仮称)洞町まちかど資料館」として整備に着手。平成7年(1995)3月19日に開館した。公募により、総数73点から選ばれた「窯垣の小径資料館」を正式名称と決定。
「窯垣の小径資料館」には、明治・大正期に一世を風靡した「本業タイル」で装飾した浴室や瀬戸染付の便器が保存されており、洞町の歴史や文化の紹介をしている。地元の「洞町文化会」(平成3年(1991)5月発足)が管理運営を行っており、資料館ボランティアによる館内の説明や心温まるおもてなしが人気である。
開館時間:午前10時から午後3時まで(水曜日休館)
⇒「窯垣の小径」を参照
⇒「窯垣の小径ギャラリー」を参照

窯垣の小径ギャラリー
かまがきのこみちぎゃらりー
北川民次アトリエ
きたがわたみじあとりえ
瀬戸市安土町23番地
瀬戸市安戸町に残されている「北川民次のアトリエ」は、北川民次がメキシコから帰国し、瀬戸で腰をすえて創作活動を始めた昭和18年(1943)から昭和45年(1970)ごろまで使われていた。アトリエの建物は、大正時代の陶器工場の作業場。このアトリエから、画伯の代表作が次々と誕生した。アトリエには、よほど親しい人でも入室させてもらえなかった。
土地が平成4年(1992)に個人所有者が瀬戸市に寄附がなされ、建物は平成5年(1993)に遺族から瀬戸市に寄附がされた。
現在、「北川民次のアトリエを守る会」が春と秋の年2回、アトリエ公開を行っている。



