招き猫ミュージアム

まねきねこみゅーじあむ


瀬戸市薬師町2番地
招き猫ミュージアムは、「日本招猫倶楽部」の世話役をつとめる板東寛司・荒川千尋夫妻の個人コレクション数千点を展示する、日本最大の招き猫博物館。前身の「日本招猫倶楽部 招き猫ミュージアム」は、群馬県吾妻郡嬬恋村にあった。
平成17年(2005)3月、より多くの方々に広く招き猫の魅力を知ってもらいたいという夫妻の願いから、平成8年(1996)から官民をあげて「来る福招き猫まつりin瀬戸」の開催に取り組んできた瀬戸市に移転する運びとなった。
ミュージアムの企画運営の主体は、「来る福招き猫まつりin瀬戸」の立ち上げメンバーでもある陶磁器メーカー、株式会社中外陶園がつとめている。
ミュージアムの建物は、大正時代の瀬戸の洋館建築を彷彿させる。印象的な外観は、瀬戸中心市街地の新たなランドマークにもなっている。地元の造形作家・小澤康麿氏によるタイルや立体作品など、建物の細部にほどこされた猫の装飾を探す楽しみもある。
招き猫コレクションは、1)歴史 2)寺社もの 3)郷土玩具 4)主要産地別 5)珍品 6)雑貨などに分類され、日本文化の一面を伝える見ごたえのある展示となっている。
開館時間:午前10時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日:火曜日
入場料:大人300円、高・大学生200円、中学生以下無料

招き猫ミュージアム

せとめし

せとめし


瀬戸の味を代表する「うなぎ」、「五目飯(ごも飯)」、「瀬戸焼そば」などを総称してせとめしと呼ぶ。
やきものを窯で焼く際の体力補給として親しまれた「うなぎ」や「五目飯(ごも飯)」。瀬戸で焼きそばといったら、ソースの焼きそばではなく、豚肉の煮汁で焼いた「瀬戸焼そば」を指すぐらいポピュラーである。

道の駅 瀬戸しなの

みちのえき せとしなの


瀬戸市品野町1丁目126番地の1  41-3900
運営会社 道の駅瀬戸しなの株式会社
平成23年(2011)3月26日、瀬戸市に道の駅がオープンした。
道の駅瀬戸しなのでは、瀬戸焼そばなどの「せとめし」、瀬戸の豚を活かしたメニューなどが味わえるレストラン、新鮮な野菜や地域の加工食品などの販売コーナー、瀬戸のことをまるっとお知らせする情報コーナーなど、美味しさ、楽しさを提供している。

○せとめし食堂
 ・定食・ごはんもの
  瀬戸豚重、瀬戸豚かつ定食、しょうが焼定食、農家さん限定ランチ、
  瀬戸豚つくね定食、瀬戸豚丼、道の駅定食、豚キムチ丼
 ・麺類
  瀬戸焼そば、自然薯とろろそば、ころうどん
 ・テイクアウト
  瀬戸豚ドッグ、瀬戸豚カツサンド
 ・スイーツ
  コーヒー、和菓子セット、ふわふわかき氷、
  ソフトクリーム、ケーキセット

○産地とりたて市場
 ・豚肉加工品
  瀬戸豚で開発されたオリジナルなハム、ベーコン、ウインナー
 ・青果
  地元の生産者たちが、丹精込めた野菜
 ・加工食品
  テイクアウトできるお弁当やおみやげ品など
 ・パン・スイーツ
  ケーキにプリン、パンやドーナッツ、瀬戸の銘菓
 ・生花
  地元の生産者たちが、丹精込めたお花

営業時間:午前9時から午後6時(食堂は9時から午後4時まで)
定休日:年末年始

無風庵

むふうあん


日本工芸の発展に多大な功績を残した藤井達吉(1881~1964)が、昭和20年(1945)3月頃から昭和25年(1950)12月頃まで西加茂郡小原村大野鳥屋平(とやがひら)(現豊田市)で生活しながら、若手作家育成のために私財を投じて、芸術家村で共同工房として使用していた建物。
無風庵の名称は、藤井の雅号「無風」に由来するもの。
藤井は工芸を職人的な世界から芸術の領域に高めることを主張。染色、七宝、金工、木工、陶磁、絵画等多彩な創作活動を展開し、その特有のスタイルから次第に美術界から孤立し、しばしば「孤高の芸術家」と呼ばれた。
戦中から戦後にかけて、瀬戸地域の若手を指導し、本市の陶芸や小原村の和紙工芸の発展に大きな影響を与えた。
草葺入母屋造りの建物は、かつて藤井に師事した陶芸家、亀井清市、栗木伎茶夫、水野双鶴、鈴木八郎らの尽力により昭和27年(1952)頃に小原村から現在の市街地を見下ろす御亭山に移築された。
平成13年(2001)に「陶の路」(小狭間坂)散策路整備事業の核施設として、大規模な建物の修復と周辺整備を行い、無風庵ゆかりの作家の作品を常設展示しているほか、お茶室、ギャラリー、休憩所として利用されている。
開館時間:午前10時~午後3時(水曜日休館)

無風庵

やきもの長屋

やきものながや


瀬戸市湯之根町68
敷地約4,000㎡。1978年(昭和53年)6月開始。陶芸を志す若者達が陶房として利用。大半は県立窯業高等技術専門学校の卒業生。在校生の出身地は愛知、岐阜はもちろん、北海道から沖縄まで全国にわたる。ここは、もともとは大家の加藤正敏氏が経営するタイル工場だった。その跡に自分の窯や作業場を求めて集まった自然発生的な集団が「やきもの長屋」。20に仕切られた陶房で20才前後から40才代までの男女約30人が集まり、22基の窯がある。多彩な顔ぶれで、焼き物と言っても伝統工芸から前衛のオブジェまで、また染付あり、楽茶碗あり、さまざまである。瀬戸には伝統のある陶磁器産地にありがちな新しい試みに対する有形、無形のプレッシャーがあまりなく、有田焼、備前焼などの他の作風を取り入れて、自由に創作できる。また、よそ者を受け入れ、互いの陶房を尊重し合い、刺激し合う、自由な雰囲気がある。作品を買おうとするとき、作者が誰なのかにも関心がある。その点、ここ長屋に来れば大勢の作者とその作品が目の前で結び付く。同敷地内には入居者たちの作品を扱う「GALLERY 湯之根68番地」や「ギャラリーくれい」があり、作者とユーザーが出会う場となった。(現在、両ギャラリーは閉鎖している。)

やきもの長屋

窯垣の小径資料館

かまがきのこみちしりょうかん


瀬戸市仲洞町31番地
窯垣の小径の途中にあった窯元の旧家(旧寺田家住宅)を改修し、「(仮称)洞町まちかど資料館」として整備に着手。平成7年(1995)3月19日に開館した。公募により、総数73点から選ばれた「窯垣の小径資料館」を正式名称と決定。
「窯垣の小径資料館」には、明治・大正期に一世を風靡した「本業タイル」で装飾した浴室や瀬戸染付の便器が保存されており、洞町の歴史や文化の紹介をしている。地元の「洞町文化会」(平成3年(1991)5月発足)が管理運営を行っており、資料館ボランティアによる館内の説明や心温まるおもてなしが人気である。
開館時間:午前10時から午後3時まで(水曜日休館)
⇒「窯垣の小径」を参照
⇒「窯垣の小径ギャラリー」を参照

窯垣の小径資料館

窯垣の小径ギャラリー

かまがきのこみちぎゃらりー


瀬戸市仲洞町31番地
平成12年(2000)9月に江戸時代の建築といわれる窯元の旧家(加藤隆明邸)の寄贈を受け、ギャラリーとして改修した。「四つ建て」と言われる尾張地方に残る古い民家形式である。施設名称は公募39点の中から選考の結果「窯垣の小径ギャラリー」と決定。平成14年(2002)4月20日に開館した。春と秋の土・日・祝日を中心に地元の作家団体「円の会」による企画展を開催している。
⇒「窯垣の小径」を参照
⇒「窯垣の小径資料館」を参照

窯垣の小径ギャラリー

北川民次アトリエ

きたがわたみじあとりえ


瀬戸市安土町23番地
瀬戸市安戸町に残されている「北川民次のアトリエ」は、北川民次がメキシコから帰国し、瀬戸で腰をすえて創作活動を始めた昭和18年(1943)から昭和45年(1970)ごろまで使われていた。アトリエの建物は、大正時代の陶器工場の作業場。このアトリエから、画伯の代表作が次々と誕生した。アトリエには、よほど親しい人でも入室させてもらえなかった。
土地が平成4年(1992)に個人所有者が瀬戸市に寄附がなされ、建物は平成5年(1993)に遺族から瀬戸市に寄附がされた。
現在、「北川民次のアトリエを守る会」が春と秋の年2回、アトリエ公開を行っている。

ギャラリーもゆ

ぎゃらりーもゆ


瀬戸市朝日町48番地の1  85-8100
瀬戸まちづくり株式会社が行う中心市街地の活性化事業のひとつで、直営事業として「商店街ギャラリー・かわらばん家」「案内処・集い処らくちん(楽椿)」「ギャラリーもゆ」があり、「ギャラリーもゆ」は平成22年(2010)9月23日にオープンした。
築100年の古民家を改築した素敵な空間で、女性のやさしい感性を活かしたお店。
1階は、瀬戸市にゆかりのある若手作家の作品を中心に販売。2階は、陶芸家の野村晃子氏のギャラリー「ペロブランコ」になっており、絵付体験教室も開催されている。
営業時間:午前10時から午後6時まで(水曜日が定休日)

ギャラリーもゆ

EXPO100万本の森基金

えきすぽひゃくまんぼんのもりききん


国際博覧会愛・地球博のテーマは「自然の叡智」。環境と密接な関わりがあるこのテーマにちなみ、一人ひとりの気持ちのこもった木を植え、やがて大きな森に育てていこうという運動で、国際ソロプチミスト瀬戸が認証10周年を迎え、継続的な社会貢献活動として提唱し活動を展開した。その活動は博覧会推進のなかで、2005年日本国際博覧会推進瀬戸地区協議会へと引き継がれ、さらにせと・まるっとミュージアム推進会議、瀬戸市まるっとミュージアム・観光協会へと受け継がれた。この運動に参加した市民や企業などの寄附金に加え、「モリゾー・キッコロ森の精特別住民票」収入の繰り入れもあり基金は約3300万円にも達した。平成20年(2008)このうち約2000万円が取り崩され、瀬戸万博記念公園「愛・パーク」の環境整備のなかで植樹費用として活用された。なお、当基金は平成27年(2015)愛・地球博開幕10周年を区切りに「瀬戸市緑化基金」へ寄附された。