小長曽陶器窯跡

こながそとうきかまあと


国指定史跡 1,510平方メートル(旧986平方メートル)
昭和46年7月13日指定、平成14年3月19日史跡範囲拡大指定
所在地 瀬戸市東白坂町(東京大学演習林内) 所有者 東京大学
文化財 古窯跡及び工房跡 時代 室町時代前期・江戸時代中期

室町時代に創業された窖窯(あながま)で、古瀬戸製品を成形・乾燥させた工房や製品を焼成した窯体の構造などが発掘調査により明らかになった。この窯跡の最大の特徴は焼成室の中央に隔壁を持つことで、5本の小柱により通炎孔が設けられていることである。こうした構造は同時代の窯跡には全く見られないが、江戸時代の『張州雑志』によれば、元禄十二年(1699)に尾張藩公の命により茶道具を焼成するために再利用されたという記述とも一致する。
本窯は昭和21年5月、日本陶磁協会により瀬戸地方で初の学術発掘調が行われた。その後も、数次にわたる煙道部・前庭部・工房跡などの調査や保存事業が実施されている。

小長曽陶器窯跡全景

石燈籠(八幡社)

いしどうろう


瀬戸市指定建造物 1基
平成5年2月19日指定 所在地 瀬戸市八幡町
所有者 八幡社(境内)
文化財 総高178センチ
時代 江戸時代前期(延宝七年)

八幡社は江戸時代には山口村及び近隣村の総氏神として崇敬されていた。明治5年に郷社に列挌され、幡山地区及び長久手上郷地区24ヵ村の総社となった。
瀬戸市内最古の石燈籠は旧下品野村神明社の石燈籠(明暦四年銘)で、本件はそれに次いで古いものである。石燈籠は花崗岩製で、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎の6部分に別れ、笠には六つの太い蕨手が付く。三味線胴型にふくらんだ六角火袋、力強い竿は大振りで堂々としており、均整がとれている。「延宝七己未九月十五日」の記年銘がある。境内にある石造鳥居も同時期に築造されていることから、この頃に大規模な神社の再建が行われたようである。

石燈籠(八幡社)

定光寺本堂

じょうこうじほんどう


国指定建造物 1棟
大正15年4月19日指定 所在地 瀬戸市定光寺町 所有者 定光寺
文化財 一重裳階(もこし)付・入母屋造・柿葺 付宮殿1基
時代 室町時代後期

定光寺は建武三年(1336)平心処斎によって開かれた禅宗寺院である。その後火災や地震等の災害を受け、現在の本堂も天文元年(1532)の火災後、同三年に再建されたものである。
本堂は桁行5間・梁間5間の正方形で、裳階が付いているため、2階建てのように見えるが、実際は一階建てである。昭和12年の解体修理の際に、禅宗様の入母屋屋根を架け、上層部を復元した。屋根は厚さ3ミリの薄い柿葺きである。組物や桟唐戸、本尊が納められている厨子などは典型的な室町時代中期の禅宗様式である。

定光寺本堂

源敬公廟

げんけいこうびょう


国指定建造物 7棟
昭和12年8月25日指定 所在地 瀬戸市定光寺町 所有者 徳川義崇
文化財 源敬公墓(周囲石柵付)、唐門(平層門・銅瓦葺)、焼香殿(単層・寄棟造・銅瓦葺)、宝蔵(単層・寄棟造・銅瓦葺)、龍の門(四脚門・入母屋造・銅瓦葺)、築地塀(延長71間・銅瓦葺)、獅子の門(四脚門・切妻造・檜皮葺) 付参道・殉死者の墓・石柵4所
時代 江戸時代前期

慶安三年(1650)に没した尾張藩の藩祖徳川義直(源敬公)の廟で、その遺命により定光寺に築かれた。廟は帰化明人陳元贇(げんぴん)の設計により、儒教式廟建築形式をとった。同四年に山腹を3段にならして墳墓と石標を造り、翌承応元年1652)に門・焼香殿(祭文殿)・宝蔵(祭器庫)・築地塀などを完成した。

焼香殿・宝蔵
源敬公墓
唐門

馬ヶ城水源地・浄水場

うまがしろすいげんち・じょうすいじょう


瀬戸市馬ヶ城町
 瀬戸市街地の中央を流れる瀬戸川沿いに、尾張瀬戸駅から多治見方面へ10分ほど車を走らせ、右折して山あいに入ると緑豊かな風景に変わる。「馬ヶ城浄水場」と縦書きの表札が見えてくる。
 資料によると、昭和6(1931)年に着工、翌年に竣工している。同8(1933)年に給水を開始している。設計者不詳、施工者石川鎌吉他4名、事業費約69万円。広大な敷地に管理棟・濾過地・貯水池堰堤などが配置されている。管理棟は木造洋小屋平屋建で間口7.5間、奥行き4間の長方形のシンプルなプランである。屋根半切妻屋根(ドイツ破風)、スレート菱葺、換気用飾り窓を設けている。近年、屋根は銅板葺に替え、旧寄宿室は展示室に改修されたが、創建当時の雰囲気は失っていない。
 三つの濾過池は石積み造で今でも現役である。1日最大5200立方メートル、瀬戸市内野約1割の水を供給している。水の濾過には創建当時から緩衝濾過方式を採り、濾過池は下から玉石・砂利・濾過砂の順に積み上げ、濾過速度は1日3~6メートルと遅く、微生物の働きと自然の浄化機能を利用して濾過することから水がおいしいという特性がある。反面、大量の供給水のためには広大な敷地が必要とされ、戦前はともかく現在は濾過速度が速くて敷地面積が少なくて済む、薬品を用いた急速濾過方式が一般的になり、本浄水場の方式は全国の5%たらずという。
馬ヶ城貯水池の総貯水量は24万立方メートルである。(『保存情報Ⅱ』)