印所町

いんぞちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字印所の一部。天保10年の村絵図には印所洞とある。安永10年,(1781)の「瀬戸惣窯屋中焼物土掘取場所留の事」に「二ヵ所,同奥印所」などと記載され、瀬戸村32か所の陶土山のうち、6か所を占めており、古くから良質の陶土を産出したことがうかがえる。「明治15年愛知縣郡町村字名調」には「インジョ」の振り仮名がある。この地は、深川神社から見て鬼門の方向にあたるところから、昔は「因所」又は「因幡」と呼んでいた。しかし、後になって住民がこの名を嫌い、印所と呼びかえるようになったと伝えられる。
東印所町
西印所町

茨町

いばらちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部。明治期、瀬戸南部の砂防大工事の際、この地にはバラ、アカシヤ等とげのある植物が群生しており、ここから茨町と呼ばれるようになったといわれる。→西茨町:明治期の瀬戸村大字瀬戸字西茨、東犬塚の各一部。
→東茨町:明治期の瀬戸村大字瀬戸字東茨の一部。

上水野町

かみみずのちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上水野の一部。昭和56年穴田町の一部を編入。同57年穴田南第1・2号古窯跡の発掘調査が行われた。「角川地名」
水野
→水野町

掛下町

かけしたちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。1~2丁目がある。もとは山口の一部。弘化4年の村絵図では、「蕨ヶ洞御林」の南山丘陵に薬師堂・新明宮が鎮座、丘陵から大川,(矢田川)に新明川・薬師川が流入する。菱野道沿いの新明下の集落が現在の町内で、当時8戸の農屋と「卯新田,御蔵入」の記載がある。

神川町

かみかわちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは美濃ノ池の一部。寛政5年の村絵図では、美濃之池村17戸の農家がすべて集中している地区にあたる。

一里塚町

いちりづかちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字一里塚、郷の各一部。町名は一里塚の道標があったことによる。
→一里塚本業窯・瀬戸市指定建造物1基

上松山町

かみまつやまちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。昭和59年5月1日から1・2丁目がある。もとは西松山町・小田妻町Ⅰ~2丁目の各一部。
→松山町

上本町

かみほんまち


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上水野の一部。江戸時代中期以降の村絵図には前山北斜面に新田島が描かれる。かつてこの地は、水野村地蔵島と呼ばれていたが、瀬戸市と合併する際、上水野町の中心地であったことから上本町としたといわれる。同59年一部が上松山町1~2丁目となる。
→地下軍需工場跡