昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。昔、瀬戸川を中心として、この地は四つの嶋に分かれ、川の西側を川西嶋と呼ばれていた。その後、川西嶋をさらに分け、川に近い所を川西町と名づけた。昭和41・43年田端町・横山町の各一部を編入。昭和27年11月28日、大字名を廃止し町名を設定。1~3丁目がある。もとは今の一部。
カテゴリー: 町名
上之山町
うえのやまちょう
昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。1~3丁目がある。もとは山口の一部。愛知県住宅供給公社による住宅団地造成事業が行われた。造成地の南部分は愛知万博瀬戸会場の一端を担った。
→宮地古墳群・瀬戸市指定史跡
→集落跡・大坪遺跡
→古墳・吉田・吉田奥古墳群
→古窯・広久手古窯跡群
→古窯・南山古窯跡群
窯町
かままち
昭和40年5月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは下品野による。尾張藩の御用窯があったがあったところから、この町名がつけられた。
→加藤新右衛門家文書・瀬戸市指定古文書
内田町
うちだちょう
昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。1・2丁目がある。もとは下水野の一部。昭和56年三沢町・十軒町と境界変更。明治4年,(1767)に水野村は大水害に見舞われ、下水野村は山側へ避難移住した。そして村の南側を内屋敷、北側を後田と呼ぶようになった。瀬戸市に合併し、町名設定の際、両者から一字ずつとって内田町としたものである。
→古墳・四ツ谷古墳群
→古墳・荏坪古墳
鐘場町
かねばちょう
昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは赤津の一部。江戸期の村絵図には、「カネイバ・六反田・神田」の地名を記載している。地名は、万徳寺の梵鐘を造った場所によるものと言い伝えがある。
→集落跡・惣作・鐘場遺跡
大坂町
おおさかちょう
昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。昭和60年八幡台1~9丁目の一部を編入。
小田妻町
おだづまちょう
昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。昭和56年から1・2丁目がある。もとは中水野の一部。昭和40年代に水野住宅団地などの造成により大変貌した。一部が同49~59年の間にさつき台1~5丁目・すみれ台1~5丁目・ひまわり台1~5丁目・はぎの台1~4丁目・ききょう台1~3丁目・ゆりの台・日の出町・本郷町・北松山1~2丁目・上松山町1~2丁目・北脇町・松原町・山手町・水南町・東横山町となる。
→地下軍需工場跡
→水野団地
窯元町
かまもとちょう
昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは赤津の一部。町名は御庭焼窯元があったことによる。江戸期すでに品野道沿いに横町島として集落化されていた。
→加藤唐三郎家文書・瀬戸市指定古文書
大坪町
おおつぼちょう
昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。一帯は条理制が施行された地。地名も条理に由来する。大坪遺跡は昭和32年に調査され、円形プランの住居址、各種の石器類50個、土器片を検出した。
→集落跡・大坪遺跡
鹿乗町
かのりちょう
昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは下水野の一部。地名は玉野川の対岸高蔵寺の縁起に、「本尊薬師如来は深淵より白き鹿に乗りて上がらせ給ふ霊像」とあり、鹿乗が淵と名付けられたという。昭和59年十軒町と境界変更。
→入尾城