苗場町

なえばちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中水野の一部。町名は県の苗場が所在したことによる。

水北町

すいほくちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上水野村の一部。水野村は面積が広いため南北に分けて北側を「水北」、南側を「水南」と呼んでいた。現在の水北町は当時の水野で最北部にあたるところから水北町とした。昭和56年一部を曽野町に編入。
石樋・瀬戸市指定名勝
御林方役所・古跡

曽野町

そのちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上水野の一部。山法師山から流出ている山干川(山法師川)の素根で「曽根」と呼ばれたこともある。この集落の奥に穴の宮の地名が残り、附近の方形の礎石は白鳳期の堂塔心礎という説もある。昭和56年水北町の一部を編入し、一部を余床町に編入。
(参考文献:瀬戸警察1987『瀬戸の地名由来その1』 
     「角川日本地名大辞典」編集委員会1989『角川日本地名大辞典 23 愛知県』)
一色山城(水野城)
古跡・曽野の礎石

太子町

たいしちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは赤津の一部。この地にある万徳寺の「太子堂」が地元民から親しまれてきたところから、あるいは太子山万徳寺の北の門前にあたることによるとされる。

寺山町

てらやまちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。慶昌院とその南側は小高い山(丘)となっており、この一帯を寺のある山という意味で寺山と呼ばれていた。
→東寺山町
→西寺山町

凧山町

たこやまちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは赤津の一部。江戸期の村絵図には赤津川左岸の凧山すそに「タコノネ」と記し、明和4年の洪水はこの凧山が崩れて土石が赤津川を堰き止めたことによるとも記載する。