東明町

とうめいちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは赤津の一部。明治6年に雲興寺が、その境内に学校を創立した。その後、西女郎前を経て1925年,(大正12年)にこの地に校舎を移転、大正14年瀬戸町に合併し東明尋常高等小学校と校名変更した。町名設定のときこの校名をとって名付けたものである。

中畑町

なかばたちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは赤津の一部。赤津川と木下川に囲まれた田、畑がいつの間にか中畑と呼ばれるようになり、この通称名を町名にしたもの。

瀬戸口町

せとぐちちょう


昭和53年12月26日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。国鉄岡多線(現愛知環状鉄道)の建設の折、駅名を「瀬戸口」と決め、町名も駅名も同じものにした。

背戸側町

せとがわちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字瀬戸字背戸側の一部。背戸は瀬戸の元の字であるとか、猿投山の裏側ともいわれる。

鳥原町

とりはらちょう


昭和40年5月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中品野・下品野の一部。昭和34年の瀬戸市合併時にできた町名で、地元を流れる鳥原川からとったもの。鳥原の地名は、行基が聖武天皇の病気平癒を祈念して3体の仏像を彫刻し石室に安置した時、野鳥が木の実をくわえて宝前に供えたという伝説によるものという。
→集落跡・鳥原遺跡

台六町

だいろくちょう


昭和54年12月1日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。江戸時代の村絵図にも記載される地名であるが、近年まで山林丘陵地であった。
→古窯・大草古窯跡群

滝之湯町

たきのゆちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字背戸側・池田・印所の一部。昔この地に滝があり、冬になると湯のごとく湯気が立ち昇ったことから滝の湯の地名が生まれた。大正の初めになると、この滝ノ湯を瀬戸一大繁華街にしようということで芝居小屋、料理屋、風呂屋もでき、玉突きもできた。そして芝居小屋の前を相生町といい南側を住吉町と呼んだ
歌舞伎座

高根町

たかねちょう


当地区は瀬戸土地改良第三工区にあたり、昭和49年11月2日に町名が設定された。もとは本地の一部。1~3丁目がある。