瀬戸市鹿乗町~春日井市高蔵寺町2に架橋
旧下水野村入尾(鹿乗町)と対岸玉野村(春日井)の間には玉野川(庄内川)が流れ、現在の鹿乗橋のやや下流を「モトハシバ」といい簡単な板橋が架かっていた。昔は渓谷美あふれた景勝地で文人墨客が遊ぶ「白鹿館」や「三宅邸」などの瀟洒な料亭が在った。
明治43(1910)年に鉄のアーチ橋が架けられた。明治期に架設された13橋の鋼アーチ橋の一つで現存するものが殆ど無い貴重なものである。昭和23(1948)年に元橋を骨組にしてコンクリートを巻いた、要するに鉄骨鉄筋コンクリートの橋に造り替えた。その時斜材(ラチス)を撤去しており、現在は垂直材のみとなっている。その際の工事について銘板に「架設後四十年以上になり、鉄骨が腐食し、強度が半分の五十五%までに低下した。そのため、鉄筋コンクリートにて被覆し補強した」とあり、工事は愛知県直営で行われた。景勝地の橋であったために、橋面上に構造部材が突出していない上路式のアーチタイプにしたこともうなずける。(『保存情報Ⅰ』)
カテゴリー: 橋・公園・開発
穴田企業団地
あなだきぎょうだんち
瀬戸市の産業構造は、陶磁器中心の単一産業であり、陶磁器業界の好不況は直ちに地域全体に大きな影響を与え、本市の経済を大きく左右してきた。このような産業構造からくる弊害を除去し、尾張東部地域の拠点都市にふさわしい地域社会を形成するためには、地場産業の振興をはかりつつ、他産業の導入をなし、市の経済基盤の一層の充実が必要であり、職住近接の大規模企業団地の造成が計画されたものである。
計画地はかつて東京大学農学部が演習林として活用したところであったが、愛知演習林の用途廃止し昭和39年(1964)3月31日大蔵省(普通財団)へ引き継がれたものである。計画の事業主体には県企業局があたり、昭和43(1968)年度から大蔵省(東海財務局)より土地取得を開始、 昭和45(1970)年度~47(1972)年度にかけて総面積58ha、工場用地16区画の計画での穴田企業団地が造成されたものである。
愛・パーク(瀬戸万博記念公園)
あい・ぱーく(せとばんぱくこうえん)
瀬戸市上之山町2丁目、吉野町 街区公園 0.79ha
平成21年(2009)3月20日、愛・地球博の開催成果である「市民参加」、「交流」、「環境」の理念を未来へ繋げるため、愛・地球博瀬戸会場の跡地を瀬戸市の新たなシンボルエリアとして瀬戸万博記念公園「愛・パーク」としてオープンした。
公園内には国内外20の陶磁器産地から集まった皿や子供たちがワークショップで描いた皿30,000枚で制作された愛・地球博瀬戸会場のシンボルモニュメント「天水皿n」がある。
また、会場には国際ソロプチミスト瀬戸が提唱した「百万本の森基金」による植樹も行われている。
尾張瀬戸駅地区再開発事業
おわりせとえきさいかいはつじぎょう
市施行による再開発事業で、平成 年月に事業認可をうけ、平成17年(2005) 月事業完了。再開発ビルの名称は市民公募により「パルティせと」と決定、平成17年(2005)2月19日にオープンした。
昭和53年(1978)に栄町乗り入れを行ったことにより便利になったことから一時的には乗降客も伸びたものの、駅前広場の未整備や周辺の道路状況の悪さから年々その数も減少していった。周辺地区はこうした都市基盤の未整備と商店街の衰退化、居住環境の悪化、高齢化等から、地区外移転等のドーナツ化現象を起こし、地域活力の低下が進んでいた。
昭和55年(1980)地元研究委員会ができ市街地再開発事業の試案がまとまり、昭和59年(1984)には連絡協議会ができ活発な活動が始まったが、権利関係等でうまくいかず一時中断となった。しかし、駅周辺の整備の必要性は非常に高くなってきたことにより当面整備手法にこだわることなく、駐車場・駐輪場の整備を目的として、昭和62年(1987)から用地の確保を行い暫定的に整備してきた。
一方、計画策定においては、「瀬戸川文化プロムナード計画」の中で中心市街地のまちづくりの基本構想をたて、諸整備計画を策定するなかで特に尾張瀬戸駅地区は、公共施設の整備が主体となっていることやこの地区のまちづくりの先導的役割を担うことから市施行の第二種再開発事業として再度出発することになった。さらに、「2005年日本国際博覧会」の開催が決定したことにより、重点整備地区の中でも骨格的な事業である瀬戸川河川整備、瀬戸川プロムナード線及び瀬戸大府線についても愛知県において整備の方針が決まった。
当地区は、本市の顔として、駅前広場の整備、道路、駐車場等の公共施設整備の緊急度が高く、これらの整備を契機とした施設建築物の早期建設による拠点形成が求められていることから、「街区整備計画」で商業・サービスゾーンとして位置付け、施行区域約1haの中に駅前広場の整備とホテル、店舗・業務施設等の設置を一体的に行うことが計画されたが、ホテル誘致が不調となり計画の見直しがされた。再開発事業を市民参加で再検討するため、ワーキンググループを発足し、公開検討会議と市民フォーラムが実施され、市民から寄せられた要望、意見を踏まえた提言を受けた。提言内容は、駅ビルの基本コンセプトと、下層階には飲食物販を核とする商業フロア、中層階は公共公益フロアからなる各階の機能提案であった。提案をもとに、公益施設整備に重点を置いた低容積型の再開発事業を選択した。
面積 約1.0ha
道路 瀬戸川プロムナード線 幅員24m 延長約90m
瀬戸大府線 幅員24m 延長約115m
駅前広場 面積約3,700㎡
再開発ビル 地下駐車場、商業施設、市民交流センター
岩屋堂公園
いわやどうこうえん
瀬戸市岩屋町
岩屋堂とは、天然の大きな岩の祠(ほこら)のこと。約1200年前に、時の聖武天皇の病の平癒を祈願し、この岩窟内で名僧「行基」が彫刻した仏像のうち、薬師仏を本尊とした岩屋山薬師堂に由来していると言われている。
緑いっぱいの渓谷の中を清流の鳥原川が流れる岩屋堂公園は、愛知高原国定公園に位置し、桜、ほたる、水遊び、紅葉、東海自然歩道の自然散策など1年を通じて豊かな自然と遊ぶことができる愛知県内でも有数の人気スポットとなっている。
○岩屋堂公園の夏の見どころ・魅力。
夏には、川をせき止めた水遊び場が造られ、バンガロー村ではバーベキューが楽しめる。
・バンガロー村(日帰りのみ)
園内には、氷やジュース、五平餅、みたらし団子などの軽食を販売する売店も期間限定でオープンし、ファミリー層を中心に賑わう。展望台からの眺望、奇岩や滝など雄大で迫力ある自然の景観を楽しむことができる。
・川をせき止めた水遊び場(天然プール)
地元の岩屋堂観光協会が鳥原川をせき止めてつくる水遊び場は、昔から「天然プール」の愛称で広く親しまれている。川幅は15mほど、全長40mにわたって川底にコンクリートが敷かれており、自然の河原と異なりデコボコが少ないので、比較的小さなお子様でもお父さん、お母さんと一緒に気軽に入ることができる。水深は、通常浅いところで大人の足首程度から深いところで膝下ぐらい、水温は20~23℃で心地よい冷たさを実感できる温度である。
・瀬戸大滝
川沿いを公園の奥に向かって歩いてゆくと舗装道路が青い欄干の「かじか橋」を通って続いていく。この橋を渡らずに未舗装の遊歩道をまっすぐ進むと瀬戸大滝に到着する(天然プールからは15分ほどの距離)。落差17mで川床に下りてしぶきを浴びるぐらいの距離まで近づくことができる。
さくら公園
さくらこうえん
瀬戸市宮地町地内にある公園で、広さは1.3ha。近所の子供たちに人気があり、春にはきれいな桜が咲く。
磁祖公園
じそこうえん
瀬戸市東安戸町、道泉町、西谷町、窯神町 地区公園 1.50ha
都市計画決定の面積は12.1haであるが、供用開始しているのは窯神グランドの1.5haである。公園全体の整備計画は今後の検討となっている。
藤四郎橋
とうしろうばし
刎田町と寺本町をつなぐ橋を今は公園橋といって鉄筋コンクリートの永久橋となっているが、明治45年の豪雨のとき半壊して通行禁止となったため、その上流50mあたりのところに仮橋が架けられた。土橋であったが、便利とあって公園橋がコンクリート橋になってからも残され、現在はないが藤四郎橋と呼ばれていた。
定光寺公園
じょうこうじこうえん
瀬戸市定光寺町
昭和39年(1964)4月11日 定光寺檜山遊園地として開園。日本の公園の父と言われる本多静六氏が設計に携わった。
JR中央線「定光寺駅」から約15分の場所に位置し、六角堂の浮かぶ正伝池を中心とした公園で愛知高原国定公園に指定されており、桜の名所としても有名。近くには臨済宗の古刹「定光寺」があり本堂や徳川義直公廟は国の重要文化財に指定されている。紅葉の時期には、境内の周りが色づき非常にきれいである。
また、一帯は定光寺自然休養林として国が管理しており、キャンプ場やアーチェリー場、森林交流館などの施設がある。休養林内には東海自然歩道やこもれびの径などの散策路もあり、歴史を感じながら自然を満喫できる。
平成26年に開園50周年を迎え、4月29日に六角堂の弁天様御開帳や移動動物園、ステージイベントなど、記念イベントが催された。