新田町

しんでんちょう


昭和54年12月1日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。江戸期の村絵図は、松入洞の弁天池用水からの引水で「卯新田」が開かれた開かれたことを物語り、「諸砂」と記載されている地域。

城屋敷町

しろやしきちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは美濃ノ池の一部。今から500年ぐらい前に、碧海郡今村,(安城市)に住んで居た郷族,松原吉之丞が一族とともに西加茂郡の今村,(現豊田市)に移り、さらに尾張国春日井郡横山村に移って今村と改名し、居城を構えた。その城跡が八王子神社の境内にあることから、城屋敷の町名が付けられた。
→伊藤九郎左衛門碑

白坂町

しらさかちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは赤津の一部。中世の名刹で、盗難除けで名高い雲興寺の門前、戸越峠を越える三州小原道の渓口にあって、早くから集落が成立し、弘化2年には31戸を数えた。室町期から見える地名。

定光寺町

じょうこうじちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは沓掛の一部。昭和35年瀬戸市に合併するまでは、東春日井郡品野町沓掛といっていた。瀬戸市に合併する際に、名の知れた「定光寺」にするか、旧来の「沓掛」にするか地元民の賛否をとったところ、65%の賛同を得て「定光寺」に町名変更された。
定光寺本堂・国指定建造物1棟
源敬公廟・国指定建造物7棟
太刀銘助重・国指定工芸品1口
太刀銘守家・国指定工芸品1口
直入橋・瀬戸市指定建造物1橋
祠堂帳・瀬戸市指定歴史資料1巻

下半田川町

しもはだがわちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。戦国期に見える地名。尾張国春日部郡のうち。「信雄分限帳」に「一、弐百参拾貫文<下はた川,定光寺,くツかけ>尾塞次兵衛」と見える。なお、同時期の史料に「半田川」と見えるのは上半田川を含めた総称か、上半田川のみを称したものか明確でない。
→半田川→木造阿弥陀如来立像・県指定彫刻1躯
→木造十一面観音菩薩立像・県指定彫刻1躯
→オオサンショウウオ・国指定特別天然記念物
→笠原村・両半田川村国境争論絵図・瀬戸市指定歴史資料1枚
→秦川城