東郷町

とうごうちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字東郷の一部。明治初年ごろ、瀬戸村の中は、北新谷、南新谷、郷、洞に分かれて呼ばれていた。町名は郷地区の東部にあたることによる。

陶原町

とうげんちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。1~6丁目がある。
1丁目:明治期瀬戸村大字瀬戸字西犬塚・森の一部
2丁目:明治期瀬戸村大字瀬戸字清水田の一部
3丁目:同上
4丁目:明治期瀬戸村大字瀬戸字清水田・西犬塚の一部
5丁目:同上
6丁目:明治期瀬戸村大字瀬戸字清水田、吉田の一部
→瀬戸陶磁器会館

寺山町

てらやまちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。慶昌院とその南側は小高い山(丘)となっており、この一帯を寺のある山という意味で寺山と呼ばれていた。
→東寺山町
→西寺山町

田端町

たばたちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。1~2丁目がある。昭和41・43年横山町・平町・川北町・南山町・川西町と境界変更。

田中町

たなかちょう


昭和56年3月31日、大字名を廃止し町名を設定。もとは山口の一部。山口川右岸の当地域は旧河道の氾濫原で、条理制遺構が見られた。古地図には多くの古塚があり、中に大将塚と呼ばれる武田信玄方の武将の山田信濃守を葬った墓と言い伝えられるものもあったが、戦後の土地改良事業で消滅した。

凧山町

たこやまちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは赤津の一部。江戸期の村絵図には赤津川左岸の凧山すそに「タコノネ」と記し、明和4年の洪水はこの凧山が崩れて土石が赤津川を堰き止めたことによるとも記載する。