惣作・鐘場遺跡

そうさく・かねばいせき


瀬戸市惣作町・鐘場町
 猿投山を水源として赤津地区を流れる赤津川(矢田川)の左岸(南側)の沖積低地・河岸段丘面は古代から近世に亘る遺物散布地となっている。この遺跡の上流部は大目神社古墳や大目神社遺跡に接し、下流部には旧石器が発見された太子遺跡や太子縄文遺跡を包含する。
 平成14・15年度、瀬戸市道新明・鐘場線建設工事に先立つ事前発掘調査が瀬戸市埋蔵文化財センターによって行われた。その結果、縄文時代から江戸時代までの土器・土師器・須恵器・山茶碗・古瀬戸製品・大窯製品など多種多様な出土遺物を採集した。また弥生時代・古墳時代・奈良時代の各竪穴式住居跡も検出し、とくに戦国時代の大溝や土坑の遺構はこの時代の集落形態を考える際の貴重な資料である。
 平成15・16年度に大目神社南の「惣作・鐘場遺跡Ⅱ」の発掘調査も継続され、その際には後期旧石器時代のナイフ形石器や縄文時代草創期の石器製作跡を検出、また古墳時代から古代・中世の各集落遺構・遺物を多数検出した。
(参考文献 瀬戸市埋蔵文化財センター「惣作・鐘場遺跡Ⅰ・Ⅱ」)