首無し地蔵

くびなしじぞう


伝承地 瀬戸市石田町
 時代背景 天和年間(1681~1684)の村八合の大水
 それはそれは、むかしのことです。
 ひとりの立派な身なりをしたお侍(さむらい)さまが殺されて、首を持って行かれてしまいました。
 あわれに思った村人たちが、首のない小さなお地蔵さんを作っておまつりしていましたが、いつの間にか、お地蔵さんの姿も見えなくなり、すっかり忘れられていました。
 それから、何十年たったでしょうか。
 天和(てんな)(一六八一年~一六八四年)のむかし、村八合といわれる大水がありました。降りつづく雨に川の堤防が切れて、村の家や橋などは、見る見るうちに流されてしまいました。川の北側の田んぼは石と砂で埋まって川原のようになってしまい、その上たくさんの死者が出たということです。
 やがて、雨がやんで水が引くと村の人たちは、土砂に埋まった田んぼを見回りに出かけました。
 すると、がれきの中に石のお地蔵さんが埋(う)まっているではありませんか。さっそく堀出してみると、そのお地蔵さんには首がありませんでした。
「そうだ、むかし首のないお地蔵さんがあったということだが、そのお地蔵さんにちがいない。あのおそろしい大水に流されずに、よう無事だった。かわいそうなお地蔵さん。さっそく供養(くよう)しなければ・・・。」
と、みんなで相談して田んぼのすみにお祀(まつ)りしました。
 その頃、このあたりは、あまり米がとれなくて、赤ん坊が生まれても母親の乳が出ず、よく死んでしまったそうです。そんなときに、ある母親がこのお地蔵さんに、
「どうか乳がよく出ますように。赤ん坊が助かりますように。」
とお願いすると、不思議に乳が出るようになり、赤ん坊がすくすく育ったそうです。
 それからというものは、
「このお地蔵さんにお願い事をすると、何でも聞いてくださる。」
というので、そのうわさがあちこちに広まって、遠いところからもお参りに来る人がだんだん多くなり、今でも線香の煙がたえません。
 そして、だれ言うことなく、
「白い布で作った乳房をお地蔵さんの肩にかけて、お供えした白米の半分を家に持ち帰り、七日間おかゆを作って食べると母乳がよく出る。」
というようになりました。そして、
「願い事を何でも聞いてくださるお地蔵さんに首がないのは、かわいそうだ。」
と、村の人たちが川原で丸い石を探して首を作ってあげたそうです。