海丸の穴

かいまるのあな


伝承地 瀬戸市内田町1丁目
 時代背景 荏坪古墳のこと。荏坪古墳は、6世紀中葉の横穴式円墳。
 水野の八幡社というお宮の裏へ行きますと、岩や石で積み上げられた洞穴があります。穴の上には木が茂っています。穴の中をのぞいてみますと、中は薄暗くひんやりとしています。広さは、畳七、八枚くらいあり、天井は大人が手を伸ばしたくらいあります。
 この穴には、むかし海丸というお坊さんがひとり住んでいました。それで、人々はこの岩穴を、このお坊さんの名前から「海丸の穴」と呼んでいました。
 海丸については、どこの生まれか、どこから来た人なのか、だれも知りませんでした。しかし、このお坊さんは和歌をよむのが大変じょうずで、しかも広い知識を身につけた人でした。そして、村人との付き合いをさけ、気ままな暮らしをしていました。それでも、たまには村人のところへ行って、米や野菜をわけてもらい、その場で和歌をすらすらと短冊(たんざく)に書いて渡し、お礼のしるしとしていました。
 このお坊さんについては、その後、どうなったのかはよくわかりません。また、このお話とは別に、この穴はむかしの人の墓(古墳、こふん)の跡だとも言われていますし、むかしの人の住まいの跡だともいわれています。本当のことはよく分かっていませんが、大きな石でつくられた穴が、今でもあることだけは確かなことです。