万徳寺太子堂

まんとくじたいしどう

所在地:塩草町93番地 万徳寺境内

太子山万徳寺は浄土真宗高田派の寺院で、創建は鎌倉時代、正応元(1288)年、創建当時は「関尾山・萬徳寺」であった。

承久元(1219)年(安貞2(1228)年ともされる)に武蔵国荒木(現埼玉県行他市付近)に創建された「満福寺」は僧源海はじめ浄土真宗門徒(荒木門徒)の本寺であったが、天福元(1233)年三河で説法したさい弟子海円が越戸村( 現豊田市越戸町)に留まり、文永3(1266)年に「萬福寺」(別に「満福寺」とも伝えられる)を建立、その後正応元(1288) 年、当地に移転してきたものと伝えられる。そのときすでに小さな帝子堂(太子堂) があったとされている。

浄土真宗開祖親鸞聖人は聖徳太子に深く帰依され、浄土真宗寺院に多く太子堂が造られた。今村城主・松原広長が太子の縁により寺に帰依し、寛正5(1464)年に万徳寺太子堂が建立された。

元和2年(1616年)7月22日、尾張藩初代源敬公(徳川義直)がご参詣になり大法会がとり行われ、これが縁となり以後旧暦の7月22日太子堂にて聖徳太子御會式(お太子まつり)が行われてきた。(現在は8月第4日曜日)

太子堂は、享保2(1717) 年に改築され、江戸時代後期の尾張名所図会によると本堂の横に茅葺とみられる小さな太子堂が描かれているが、大正年間に写されたといわれる改築前の写真には参拝用の堂が手前に写っている。現在の太子堂は、古建築研究で著名な浅野清氏の設計により、地元大工の山田鉄次郎が中心となって施工した。昭和元年から10年にかけて造られた(起工昭和10年、落慶昭和15年)。

本尊は秘仏・聖徳太子孝養像(16歳像)で、重要時に御開扉されている。近年では2011年東日本大震災の復興祈願や、2023年の「聖徳太子1400年遠忌法要」の機に行われた。本尊右脇には松原広長が四天王寺よりもたらしたとされる聖徳太子南無仏像(2歳像)、左脇には松原広長公位牌(昭和43年作成)が安置されている。

昭和10年に建てられた現在の太子堂

 

 

 

 

 

尾張名所図会に描かれた万徳寺本堂と太子堂(左手)
絵葉書に写された改築前の太子堂(左端)
松原広長寄進状(瀬戸市指定文化財)
聖徳太子1400遠忌法要 舞楽奉納
太子まつり(8月第4日曜日開催)の様子(画像:万徳寺 提供)