無風庵

むふうあん


日本工芸の発展に多大な功績を残した藤井達吉(1881~1964)が、昭和20年(1945)3月頃から昭和25年(1950)12月頃まで西加茂郡小原村大野鳥屋平(とやがひら)(現豊田市)で生活しながら、若手作家育成のために私財を投じて、芸術家村で共同工房として使用していた建物。
無風庵の名称は、藤井の雅号「無風」に由来するもの。
藤井は工芸を職人的な世界から芸術の領域に高めることを主張。染色、七宝、金工、木工、陶磁、絵画等多彩な創作活動を展開し、その特有のスタイルから次第に美術界から孤立し、しばしば「孤高の芸術家」と呼ばれた。
戦中から戦後にかけて、瀬戸地域の若手を指導し、本市の陶芸や小原村の和紙工芸の発展に大きな影響を与えた。
草葺入母屋造りの建物は、かつて藤井に師事した陶芸家、亀井清市、栗木伎茶夫、水野双鶴、鈴木八郎らの尽力により昭和27年(1952)頃に小原村から現在の市街地を見下ろす御亭山に移築された。
平成13年(2001)に「陶の路」(小狭間坂)散策路整備事業の核施設として、大規模な建物の修復と周辺整備を行い、無風庵ゆかりの作家の作品を常設展示しているほか、お茶室、ギャラリー、休憩所として利用されている。
開館時間:午前10時~午後3時(水曜日休館)

無風庵

やきもの長屋

やきものながや


瀬戸市湯之根町68
敷地約4,000㎡。1978年(昭和53年)6月開始。陶芸を志す若者達が陶房として利用。大半は県立窯業高等技術専門学校の卒業生。在校生の出身地は愛知、岐阜はもちろん、北海道から沖縄まで全国にわたる。ここは、もともとは大家の加藤正敏氏が経営するタイル工場だった。その跡に自分の窯や作業場を求めて集まった自然発生的な集団が「やきもの長屋」。20に仕切られた陶房で20才前後から40才代までの男女約30人が集まり、22基の窯がある。多彩な顔ぶれで、焼き物と言っても伝統工芸から前衛のオブジェまで、また染付あり、楽茶碗あり、さまざまである。瀬戸には伝統のある陶磁器産地にありがちな新しい試みに対する有形、無形のプレッシャーがあまりなく、有田焼、備前焼などの他の作風を取り入れて、自由に創作できる。また、よそ者を受け入れ、互いの陶房を尊重し合い、刺激し合う、自由な雰囲気がある。作品を買おうとするとき、作者が誰なのかにも関心がある。その点、ここ長屋に来れば大勢の作者とその作品が目の前で結び付く。同敷地内には入居者たちの作品を扱う「GALLERY 湯之根68番地」や「ギャラリーくれい」があり、作者とユーザーが出会う場となった。(現在、両ギャラリーは閉鎖している。)

やきもの長屋

案内処・集い所 らくちん(楽椿)

あんないどころ・つどいじょ らくちん(らくつばき)


瀬戸市末広町1丁目3番地
昭和14年(1939)に建てられた木造交番である「旧蔵所交番」を移設し、観光協会事務所として使われていたが、平成20年(2008)4月に瀬戸まちづくり株式会社が観光協会から委託を受け、観光案内所として、また瀬戸のお土産品などを扱う店舗としてオープンした。
交番にしては全国でも珍しい神社仏閣のような和風のデザインで、むくり屋根がつき瀬戸らしく全面陶器タイル貼りになっている。
瀬戸市内の案内所として、また市民の憩いの場として親しまれている。
瀬戸陶芸協会、著名作家の作品を中心に「ぐい呑み」100点以上を常時取り揃えている。また、瀬戸のお土産推奨品のコーナーもある。
2階はギャラリー、会議室として利用が可能である。
営業時間:午前10時30分から午後4時まで(土・日・祝は午前10時から午後4時30分まで)
定休日:火曜日、年末年始

らくちん

おもてなしボランティア

おもてなしぼらんてぃあ


瀬戸市おもてなしボランティアは、愛・地球博が開催された2005年に、世界中から瀬戸を訪れる人たちを温かくおもてなしをしながら、瀬戸のまちをPRするボランティアとして活動した。「広がれ、つながれ、おもてなし」を合言葉に、結団式が2003年2月1日(日)午後1時半から瀬戸市文化センターで盛大に開催された。この結団式には名誉リーダーに就任した俳優の藤岡弘さんも東京からかけつけ、熱いメッセージを参加者に発信した。当日はおもてなしボランティアをはじめ一般市民などおよそ800人が参加した。
愛・地球博開催期間中には、多くのお客様を温かいおもてなしの心でお迎えしてきた。(登録者数は2,590人)
その経験や市民参加の成果を生かして、瀬戸市の観光PRを主な目的として、来訪者をおもてなしする活動を継続している。
主な活動は
・パルティせと観光インフォメーションでのご案内活動
・瀬戸蔵ミュージアム内の展示案内活動
・せと魅力発信広報活動
・イベントちょこっとお手伝い活動
・瀬戸蔵まるっとシアターお手伝い活動

定光寺ほたるの里の会

じょうこうじほたるのさとのかい


ほたるの里作りは、もともと市民ボランティアが実践する里山保全活動のモデル事業としてスタートした。平成9年(1997)、「市民による里山の保線と活用」の研究を、2005年日本国際博覧会協会から瀬戸市の市民団体「水野地域まちづくり協議会」が委嘱され、ホタルの復活に取り組み始めたのがスタート。その翌年の平成10年(1998)10月に整備が始まり、希少生物の調査や水路の整備に取り掛かった。もともとあった棚田を生かしたジグザグの水路も酸素補給用の水車もすべてボランティアの手作り。下流に水質浄化用のセラミック多孔体を設置し、ポンプで水を再び上流に運んでリサイクルする水路が平成11年(1999)の3月に完成。ホタルの幼虫と、その餌となるカワニナ(貝の一種)を放流したところ、その年の6月にホタルの飛翔が初めて確認された。平成12年(2000)にはホタルが飛び交う様子が確認され、一般公開もされるようになった。その後もバリアフリー化、新しい棚田の造成など、地元企業の協力もあり、その規模は次第に大きくなり、テレビや新聞などでも大きく取り上げられたことから、毎年の一般開放には多くの人が訪れるようになった。
平成12年4月、「定光寺ほたるの里の会」がまちづくり協議会から独立して発足した。その後も、地域の枠を超えた市民を対象に、ほたるの里やその隣の稲込の郷で、ホタルの幼虫の放流やホタルの鑑賞会、里山体験、稲作体験など、年間を通じてさまざまなイベントを行ってきた。イベントがなくても、週末になるとボランティア数名が集まり、ほたるの里の整備など、自然に囲まれての作業を楽しんでいる。

ギャラリーもゆ

ぎゃらりーもゆ


瀬戸市朝日町48番地の1  85-8100
瀬戸まちづくり株式会社が行う中心市街地の活性化事業のひとつで、直営事業として「商店街ギャラリー・かわらばん家」「案内処・集い処らくちん(楽椿)」「ギャラリーもゆ」があり、「ギャラリーもゆ」は平成22年(2010)9月23日にオープンした。
築100年の古民家を改築した素敵な空間で、女性のやさしい感性を活かしたお店。
1階は、瀬戸市にゆかりのある若手作家の作品を中心に販売。2階は、陶芸家の野村晃子氏のギャラリー「ペロブランコ」になっており、絵付体験教室も開催されている。
営業時間:午前10時から午後6時まで(水曜日が定休日)

ギャラリーもゆ

EXPO100万本の森基金

えきすぽひゃくまんぼんのもりききん


国際博覧会愛・地球博のテーマは「自然の叡智」。環境と密接な関わりがあるこのテーマにちなみ、一人ひとりの気持ちのこもった木を植え、やがて大きな森に育てていこうという運動で、国際ソロプチミスト瀬戸が認証10周年を迎え、継続的な社会貢献活動として提唱し活動を展開した。その活動は博覧会推進のなかで、2005年日本国際博覧会推進瀬戸地区協議会へと引き継がれ、さらにせと・まるっとミュージアム推進会議、瀬戸市まるっとミュージアム・観光協会へと受け継がれた。この運動に参加した市民や企業などの寄附金に加え、「モリゾー・キッコロ森の精特別住民票」収入の繰り入れもあり基金は約3300万円にも達した。平成20年(2008)このうち約2000万円が取り崩され、瀬戸万博記念公園「愛・パーク」の環境整備のなかで植樹費用として活用された。なお、当基金は平成27年(2015)愛・地球博開幕10周年を区切りに「瀬戸市緑化基金」へ寄附された。

定光寺ほたるの里

じょうこうじほたるのさと 


瀬戸市川平町79番地
定光寺ホタルの里は瀬戸市の北部にあり、定光寺自然休養林の豊かな自然に囲まれている。
ホタルの里は、地域の住民らでつくる「定光寺ほたるの里の会」が管理する。もともとは、「水野地域まちづくり協議会」がほたるが生息できる自然環境を市民の手でつくっていこうと平成10年(1998)から整備を開始、平成12年(2000)にほたるの里の会として独立した。
毎年、飛翔期(6月中旬)にあわせて一般公開している。
ほたるの里の会では会員を募り、1家族1年間2,000円の会費により運営している。会員はほたるの優先鑑賞ができ、棚田管理、里山体験学習、炭焼き・陶芸品焼きやほたる鑑賞会といった各種行事に参加できる。

定光寺ほたるの里

愛・地球博

あい・ちきゅうはく


愛知県瀬戸市、長久手町(現長久手市)および豊田市において、愛・地球博(「2005年日本国際博覧会」)が、平成17年(2005)3月25日から9月25日までの185日間、121カ国と4つの国際機関の参加により開催された。この国際博覧会は、「自然の叡智」をテーマに、21世紀の自然と人間との関わりを探求し、提案するものであった。開催までにはいろいろ紆余曲折もあり、メイン会場であった瀬戸市海上の森が長久手町の青少年公園に移り、自然を守るために瀬戸会場が大幅に縮小されたが、入場者が目標の1500万人を大きく上回り、約2200万人もの入場者が来場して大盛況のうちに閉幕できたことは、開催地である瀬戸市としても大いに誇れることである。
 長久手会場:地球の過去と未来、伝統の技と最先端技術、世界の文化とまつり、その豊かな地球交流を体感。地球大交流を実現する「グローバル・コモン(外国館)」と「グローバル・ループ(空中回廊)」を基本に会場が構成された。
瀬戸会場:海上の森を背景に持つ、愛・地球博の誕生の地。ここから21世紀万博の発想が生まれた。

EXPO市民サロン

えきすぽしみんさろん


2005年日本国際博覧会推進瀬戸地区協議会は、博覧会に関する情報提供の場、市民や市民団体の方々の交流の場として、平成13年(2001)6月23日、銀座通り商店街に「EXPO市民サロン」をオープンした。
「EXPO市民サロン」は、博覧会のPRに留まらず、瀬戸市の観光やまちづくりの情報提供、インターネットの無料体験、会議スペースの貸し出しなど、博覧会開催に向けた市民の方々の活動拠点、交流の場として利用することができた。このサロンは、中心市街地活性化を推進する瀬戸まちづくり株式会社が実施している空き店舗対策事業を活用しており、まちなかのにぎわいの拠点としての役割も果たしたが、博覧会の閉幕にともない役割を終え閉所した。