瀬戸市落合町47
龍洞山 久雲寺。曹洞宗。本尊は釈迦牟尼如来、脇仏として薬師如来、阿弥陀如来を祀る。開創は奈良時代(神亀2年)に行基によってなされたと伝わる。室町時代初期、応永8年(1420)5月に吉野朝の忠臣戸田彈正宗忠が香華院長寿寺を開基し雲興寺開山天鷹祖祐禅師を招じて開山とし曹洞宗教に帰入した。また永禄年間には織田信長の部将であった林三郎兵衛によって長寿寺末寺として久龍庵を建立し、薬師如来を祀った。元和6年(1621)に雲興寺14世居雲宗準大和尚によって久龍庵の遺仏を長寿寺に合わせて、寺号を龍洞山久雲寺と改め開山した。享和2年(1802)、雲興寺31世太謙遜翁大和尚、法地再興し、中興開山となり、現在に至る。寺宝としては足利義継筆による和歌軸一巻、横井金谷筆の十六羅漢図がある。年中行事としては大槃若会、涅槃会、花祭り等の他戦沒者供養、無縁塔供養がある。
カテゴリー: 寺院
全宝寺
ぜんぽうじ
瀬戸市品野町2-40
大松山 全宝寺。曹洞宗。曹洞宗本尊は阿弥陀如来。年中行事としては大般若会、施餓鬼会、地蔵祭などがある。天平6年(735)に天台宗の寺として創設されたが、その後廃寺なったが、雲興寺十四世居雲宗準によって再興 曹洞宗に帰入した。永禄3年(1561)に品野城主戸田直光が尾州井田(現尾張旭市)の城主林三郎兵衛にせめ落とされた際に城跡に地蔵を祀るように言い残した。その城跡が「阿弥陀ヶ峰とりで跡」であり現在の全宝寺である。この時祀られたのは坐像石仏の地蔵尊であり、昔、村の子供がいたずらに地蔵尊にお粂をすえたところ、その年の夏村中の子供が疫病にかかったと伝えられている。以来夏の命日8月24日には老若男女総出のお祭をして村中の安全を祈ったと伝えられる。


弘誓寺
ぐぜいじ
宗林寺
そうりんじ
慶昌院
けいしょういん
瀬戸市城屋敷町34
医王山 慶昌院。曹洞宗。本尊は釈迦牟尼如来。文明5年(1474)旧今村城主松原広長公が城域守護のために八王子大明神並に薬師如来を祀り天台宗医王山八王子を開いた事に始まる。寛永8年(1631)、雲興寺15世興南義繁により曹洞宗に帰属、元禄4年(1691年)には雲興寺十九世玄峰伝旨によって開山され、将軍綱吉の生母と同名桂昌院の名を付した。また寛延元年(1748)太初逸元の時法地開闢され、本堂開山堂庫裡等一新した。現在の本堂、納骨堂、葬祭場等は、16世宏嶽浄天代秋葉神殿は、18世天中正美代に再建されている。現在、19世寧菴正康により、庫裡、書院、山門、鐘楼等の諸堂を建設中、平成3年(1992年)度各々完成の見込みである。年中行事は年礼、秋葉火まつり、観音夏まつり等、夏休み子供禅の集いがある。寺宝としては伝行基の作である、地蔵菩薩立像等がある。本堂内陣天井には伊藤清永作の天女の舞天井絵がよく知られている。また境内は市内の桜の名所としてよく知られ、春になると全山が桜につつまれる。

長慶寺
ちょうけいじ
光國寺
こうこくじ
天晴寺
てんせいじ
瀬戸市東長根町205
大正6年(1917)10月東春日井郡品野村中品野に天晴山地明閣として建立発足、その後布教の至便と諸事情により大正10年(1921)5月に東印所町31番地に移転、大正15年(1926)12月付で教会設立願が認可され地明閣は日蓮正宗瀬戸教会と公称するに至った。戦後宗教法人令が交付され昭和27年7月15日付にて宗教法人地明山天晴寺と公称するに至った。その後急速な信徒増大と堂宇の老朽化が一段と目立つようになり、昭和45年(1970)12月現在地に移転新築現在に至る。当寺の山号と寺号の由来は、宗祖日蓮大聖人の著作観心本尊抄の「天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得べきか」に由る。当寺は宗祖日蓮大聖人を未法の本佛と仰ぎ所顕の十界互具の大曼茶羅を本尊として二祖日與上人が謗厳誡を守って宗祖日蓮大聖人に仕えて証得したすべてを基範として包括法人たる日蓮正宗の教義を広め、儀式行事を行い広宣伝流布の為、信者を教化育成し、その他正法興隆、衆生済変の浄業に精進する為の業務及び事業を行っている。
