石田 武至

いしだ たけし


日展評議員。昭和7年(1932)に名古屋に生まれ、愛知県立瀬戸窯業高等学校を卒業後、父であり当時を代表する彫刻家であった石田清氏に師事し、彫刻家への道を歩む。昭和32年(1957)に日展初入選、昭和38年(1963)には日展で特選を受賞するなど、若い頃からその作品は高い評価を得ている。その後、日展の審査員、文部科学大臣表彰を受けるなど、日本を代表する彫刻家として活躍していく。
作品は、女性像が多いのが特徴で、女性の外観の美しさだけを表現するのではなく、その内面をも表現されており、そのシャープで洗練された彫刻表現は「石田彫刻」として独特なものとなっている。作品は多くのファンを有しており、ハワイや東京そして愛知県内など国内外各地に数多くの作品が設置されている。
平成16年(2004)まで、名古屋芸術大学の教授として後進の指導にあたる。

加藤 昭男

かとう あきお


 新制作協会会員。昭和2年(1927)に瀬戸に生まれる。父加藤華仙(鶴一)は陶土採掘・販売を生業としながら陶芸家としても帝展、文展等に出品しており、そういう環境の中で物心つく頃から粘土を身近な遊び道具として育った。愛知県立窯業学校、京都工業専門学校を卒業、昭和30年(1955)に東京芸術大学彫刻専攻科を修了。昭和49年(1974)中原悌二郎賞「月に飛ぶ」、同年長野市野外彫刻賞「母と子」、昭和57年(1982)高村光太郎大賞展優秀賞、平成14年(2002)円空大賞を受賞。瀬戸市美術館をはじめ全国にパブリックアートとして作品が設置される。平成26年に瀬戸市の依頼で「陶祖800年祭記念事業」を記念して「陶祖像」を制作、陶祖公園に設置された。
また、平成10年まで武蔵野美術大学彫刻科教授として後進の指導にあたる。

加藤 顕清

かとう けんせい


日本芸術院会員、日展常任理事、日本彫塑会会長、昭和41年(1966)11月11日歿。
明治27年(1894)12月19日生まれ。両親は岐阜県出身で、北海道に移住して間もなく生まれ(本名鬼頭太)、幼少年時代を過ごした。上京して大正4年(1915)東京美術学校彫刻科に入学、高村光雲教授、白井雨山教授の教えを受ける。同9年(1922)3月同科塑造部本科を卒業、12年同研究科を修業した。引続いて西洋画科本科に再入学して、藤島武二教授、長原孝太郎教授の教を受け、油絵を修め昭和3年(1928)3月卒業した。彫刻科在学中の大正10年第3回帝展に「静寂」が初入選し、以後毎年入選した。昭和3年第9回帝展で「女人像」が特選に挙げられ、第10回「群像」・11回「立像」と連続して特選を受賞した。その後長年に亙って、帝展、文展、日展等の審査員をつとめるなど、終始官展系の有力作家として活躍し、また後進の指導育成に尽した。
窯神神社境内に磁祖加藤民吉翁の銅像及び頌徳碑を建設し、永久に翁の遺業を伝え、益々の陶磁器の発展に資せんと陶磁器関係者が中心となって発起し、その銅像の製作者には加藤顕清に依頼した。昭和12年(1937)9月のせともの祭当日、盛大に竣工式が行われた。また、終戦直後、西古瀬戸町にあった「オリエンタルデコラティブ陶磁彫刻研究所」の所長を務めるなど、沼田一雅、笠置季雄、赤塚幹也らと共に陶彫を中心として多くの作家が集う半工半農の工芸家村建設構想の推進に携わった。

亀谷 政代司

かめたに まさよし


日展会員、 日本彫刻会員、 筑波大学芸術学群彫塑領域非常勤講師、アトリエ・カメタニ代表。
昭和27年(1952)愛知県名古屋市に生まれる。昭和47年(1972)、長江録弥日本芸術院会員に師事。亀谷政代司の世界では奈良時代に栄えた漆の彫刻や土の風合を活かしたテラコッタ、金属固有の堅牢さを持つブロンズなど、様々な材質と技法により作品を製作、またテーマも、神話の世界からモチーフを得たり、動物たちの野性味や愛嬌のある一面などを捕らえ、多様な表情を追い求めている。昭和57年(1982)第11回「眠りの形態」、翌年12回日彫展「エヴァの日々」にて日彫賞受賞。昭和60年(1988)第17回「夢もう一杯」、昭和63年20回日展「The Man」にて特選受賞。平成9年(1997)第27回日彫展「ダナエ」にて西望賞を受賞。日彫展3回、日展3回の審査員をつとめる。
 また、全国の各寺院の依頼に応じて仏像を納仏しているが、九州博多区の聖福寺に阿弥陀如来・釈迦如来坐像等を納仏したことにより、平成21年(2009)には第百三十三世白峰宗慧老師より雲岫斎慧慶(うんしゅうさいえきょう)の大佛師号を拝受している。
また、後進の指導に当たる一方、公共施設等への作品の設置や、瀬戸市文化協会会長、公益財団法人瀬戸市文化振興財団理事などをとおして、文化・芸術の振興に努めている。