加藤 顕清

かとう けんせい


日本芸術院会員、日展常任理事、日本彫塑会会長、昭和41年(1966)11月11日歿。
明治27年(1894)12月19日生まれ。両親は岐阜県出身で、北海道に移住して間もなく生まれ(本名鬼頭太)、幼少年時代を過ごした。上京して大正4年(1915)東京美術学校彫刻科に入学、高村光雲教授、白井雨山教授の教えを受ける。同9年(1922)3月同科塑造部本科を卒業、12年同研究科を修業した。引続いて西洋画科本科に再入学して、藤島武二教授、長原孝太郎教授の教を受け、油絵を修め昭和3年(1928)3月卒業した。彫刻科在学中の大正10年第3回帝展に「静寂」が初入選し、以後毎年入選した。昭和3年第9回帝展で「女人像」が特選に挙げられ、第10回「群像」・11回「立像」と連続して特選を受賞した。その後長年に亙って、帝展、文展、日展等の審査員をつとめるなど、終始官展系の有力作家として活躍し、また後進の指導育成に尽した。
窯神神社境内に磁祖加藤民吉翁の銅像及び頌徳碑を建設し、永久に翁の遺業を伝え、益々の陶磁器の発展に資せんと陶磁器関係者が中心となって発起し、その銅像の製作者には加藤顕清に依頼した。昭和12年(1937)9月のせともの祭当日、盛大に竣工式が行われた。また、終戦直後、西古瀬戸町にあった「オリエンタルデコラティブ陶磁彫刻研究所」の所長を務めるなど、沼田一雅、笠置季雄、赤塚幹也らと共に陶彫を中心として多くの作家が集う半工半農の工芸家村建設構想の推進に携わった。