イサム・ノグチ

いさむ・のぐち


明治37年(1904)11月17日~昭和63年(1988)12月30日
ロサンゼルス生まれ。英文学者で詩人の野口米次郎を父に、アメリカ人の作家レオニー・ギルモアを母に持ち、幼少期を神奈川県茅ケ崎で過す。大正7年(1918)、単身で渡米して彫刻家を志す。大正13年(1924)レオナルド・ダ ・ヴィンチ・スクールに入学、彫刻を学ぶ。昭和2年(1927)渡仏し、パリに留学し彫刻家ブランクーシに師事する。昭和6年(1931)、東京を訪れ父米次郎と再会。京都に滞在し陶芸を学ぶ。ノグチは1930年代のほとんどをアジア・メキシコ・ヨーロッパを旅して過ごす。ノグチは生涯を通じて各国を旅しつづけた国際人である(晩年には日本とニューヨークの双方にアトリエを構える。)。メキシコにて大規模な公共作品から強烈な影響を受け、日本では素朴で滋味あふれる陶磁器と静謐な庭園に触れ、中国では洗練された水墨画の技術を習い、イタリアでは大理石の真の美しさを見出した。ステンレス鋼、大理石、鋳鉄、バルサ角材、青銅、アルミニウム板、玄武岩、花崗岩、そして水にいたるまで多種多様な材質を操り、ノグチは世界各地で得たありとあらゆる経験や影響を自身の作品の中に融合させている。
生涯を芸術表現の実験的試作に捧げ、彫刻、庭園、家具と照明デザイン、陶芸、建築および舞台美術など幅広い作品を残した。ノグチの作品は繊細でありながら大胆、伝統を踏まえつつモダンであり、多様な芸術分野を統合したあらたな表現方法を確立した。
瀬戸との関わりは、昭和25年(1950)北川民次の招きにより瀬戸を訪れ、オリエンタルデコラティブ陶磁彫刻研究所でテラコッタを制作した。
昭和57年(1982)に芸術振興への貢献の功労としてエドワード・マクドウェル栄誉賞を受賞、昭和61年(1986)年に京都賞思想・芸術部門、62年(1987)に全米芸術栄誉賞、そして翌63年(1988)には日本政府から勲三等瑞宝章が送られた。同年、ニューヨークで永眠。

加藤 雅巳

かとう まさみ


大正2年(1913)12月10日~平成23年1月6日
瀬戸市に生まれる。昭和6年(1931)名古屋中学校卒業。(株)中日本陶器会長。

50年余にわたり八ミリ映画の制作に情熱を燃やし続けた八ミリ作家で、企画・公正・撮影・編集・音楽を一人で行い、国際的水準の芸術性豊かな作品を数多く世に送り出した。「映画人」虹の会会長、全日本アマチュア映画コンクール審査員、日本アマチュア映像作家連盟会長を歴任。昭和23年(1948)CBC全日本アマチュア映画コンテスト文部大臣賞「ある陶工」、昭和42年(1967)パリ国際八ミリ映画祭入賞「無限」、昭和46年(1971)カナダ国際コンテストグランプリ賞・カンヌ国際コンテスト入賞「王子窯」などがある。

栗木 しげる

くりき しげる


二科展のデザイン部において活躍した作家で、瀬戸市中央公民館館長、瀬戸市文化センター館長を歴任、瀬戸市市民展(瀬戸市美術展)の創設にも尽力するなど、当地域の文化振興に多大な寄与をした。瀬戸市秋葉町、平成21年1月没・享年82歳

北川 民次

きたがわ たみじ


明治27年(1894)1月27日~平成元年(1989)4月26日
静岡県榛原郡五和村(現金谷町五和)にて生まれる。大正2年(1913)早稲田大学予科を中退後、翌年渡米、ニューヨークの美術学校に学ぶ。その後メキシコに渡り画学生として勉強後、昭和7年(1932)メキシコ・タスコの野外美術学校校長となる。帰国後二科会の会員となりメキシコの人物・風俗を題材とした作品を制作する。昭和18年(1943)瀬戸市安戸町に疎開、尾張旭市に移るまでの35年間、「やきもののまち」瀬戸をテーマにした作品を数多く残した。また、昭和24年(1949)名古屋市東山動物園に夏休み期間にあわせて「夏期児童美術学校」を開き、小学校生に絵画指導。昭和34年(1959)名古屋CBC会館、瀬戸市民会館のモザイク壁画を完成し、後に数多くの壁画を制作するなど日本の陶壁ブームのさきがけとなった。昭和61年(1986)メキシコと日本の友好親善に寄与した功績に対し、メキシコ政府から外国人に贈られる最高の勲章である“アギラ・アステカ勲章”が授与された。平成元年(1989)永眠する。