令和2年(2020)4月1日より開校予定。名称は公募で決定した。
教育環境の向上と児童生徒数の減少による課題解決を目指し、7つの小中学校(道泉小、深川小、古瀬戸小、東明小、祖母懐小、本山中、祖東中)を一貫校として統合するもの。
詳しくは瀬戸市役所ホームページ該当ページへ(外部リンクへ飛びます)
令和2年(2020)4月1日より開校予定。名称は公募で決定した。
教育環境の向上と児童生徒数の減少による課題解決を目指し、7つの小中学校(道泉小、深川小、古瀬戸小、東明小、祖母懐小、本山中、祖東中)を一貫校として統合するもの。
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瀬戸市と近隣の6大学(愛知工業大学、金城学院大学、中部大学、名古屋学院大学、名古屋産業大学、南山大学)が協働して、新しい文化活動を創成していくための組織。平成15年6月3日、瀬戸市と6大学が「大学コンソーシアムせとに関する包括協定書」および「大学コンソーシアムせとに関する包括協定のための覚書」に調印する。 市民が自ら学ぶ生涯学習の支援、市民と学生の交流、小中高教育との連携・支援、まちづくりのお手伝いなど、加盟大学がそれぞれの特色を活かした活動を展開している。文化創造プロジェクト、カレッジ講座、講演会、まちづくり施策協働プログラムなどを実施している。
昭和21年に朝鮮人連盟瀬戸学院として創立。学校法人愛知朝鮮学園が運営。
昭和20年、尾張旭市に服装を中心に女子教育の学園「あさひ学園」開設。昭和27年、教育施設の改善と女子の職業教育の充実を図り、名鉄瀬戸線水野駅北、当時は閑静な丘の上であった(現在地)に新校舎建設。緑ヶ丘文化学園と改名。昭和39年、学校法人緑史学園設置認可となり、緑史学園緑ヶ丘服装女学院と改名。昭和51年、家政専門学校に認可。専門課程(高卒)、高等課程、夜間課程を設置、中学卒には文部省技能連携校の指定を受け、東海工業高校(普通科)の併修により高等学校卒業資格を取得することになり、専門学校卒業資格と高等学校卒業の二重ライセンスを得ることになる。愛知県知事より特色教育認定校の表彰を受け、昭和60年、現在地に鉄骨耐火構造832㎡の新校舎を建設した。平成25年4月、専門学校緑ヶ丘女学院に改称。平成29年度以降の募集は停止となった。
愛知県瀬戸実科専修女学校を母体として、大正13年4月、瀬戸町立高等女学校として東春日井郡水野村(現在の愛知環状鉄道瀬戸市駅近辺)に開校。昭和4年4月に県立に移管。昭和23年、愛知県立瀬戸高等学校に改称。昭和38年4月に現在地へ移転。
明治39年6月、現瀬戸蔵の地にあった旧役場2階に仮校舎を造り、町立瀬戸裁縫女学校を開校。大正12年3月、愛知県瀬戸専修女学校となる。大正13年3月、町立愛知県瀬戸高等女学校。昭和4年4月、愛知県立瀬戸高等女学校となる。昭和23年4月、愛知県立瀬戸高等学校となる。
昭和53年4月に6学級で開校。「知・情・意の備わった教育を目指し、国際社会に活躍できる人材の育成」が教育目標。やきものの窯があった高台に位置し、学校の敷地が周辺よりも1段高いところにある。
明治28年瀬戸陶器学校の名で瀬戸の地にふさわしい学校として設立され、窯業界で活躍する人々を送り出している。また、昭和39年から専攻科が併設、平成2年から「窯業科」が「セラミック科」に改称された。
ローマに本部を置くカトリック系聖霊会によって、昭和23年、名古屋市中区三の丸に名古屋聖霊学園が創立され、昭和24年に中学が、昭和27年に高校が開校された。昭和45年3月に、短期大学の開学に伴い、将来の発展を期して、名古屋市の郊外である瀬戸市へ移転した。平成7年6月1日、学校法人南山学園と法人合併を行った。短期大学は南山大学との統合により、平成17年に廃止されている。
創立者は、バルトロメア・カピタニオという、イタリア人の女性。貧困と道徳的荒廃の中にあって1828年に、女性こそ次の世代を築く存在になってほしいとの願いをもって最初のカピタニオ学校が創立された。日本におけるカピタニオ校は当時の瀬戸市長およびカトリック教会名古屋教区長の強い要請により、昭和38年に設立された。学校法人 幼きマリア女子学園。