福元町

ふくもとちょう


昭和53年12月26日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。昭和60年赤重町・菱野の各一部を編入。

洞町

ほらまち


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、西洞町は明治期の瀬戸村大字瀬戸字東郷・仲洞・一里塚の一部、仲洞町は同東郷・仲洞の一部、東洞町は同東洞・仲洞の一部。山地の谷が行きづまる所を洞と呼び、瀬戸村東部にある宝泉寺の南方を通称洞と呼んでいた。町名設定の際、この地を西、仲、東と三つに分けて町名にしたものである。
西洞町
仲洞町
東洞町

弁天町

べんてんちょう


昭和54年12月1日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。幡山中学校の正門横に池があり、これを昔から弁天池と呼んでいる。この池のほとりに弁天様が祀ってあるところから、弁天池と呼ばれている。この池の北側の地を弁天町と呼ぶようになった。

東松山町

ひがしまつやまちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上水野の一部。
→松山町
→マメナシ・瀬戸市指定天然記念物

東吉田町

ひがしよしだちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。昭和41年からは1~3丁目がある。昭和41年田端町・川北町・效範町・南山町と境界変更、同43年横山町の一部を編入。

東横山町

ひがしよこやまちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中水野の一部。水野村の時はこの地を南山と呼んでいたが、同26年に瀬戸市と合併することとなり、町名設定の際、名鉄線路をはさんで北側を北横山町、南側を南横山町とした。現在の名鉄新瀬戸駅は当時横山駅と呼んでいた。その後、南北が合併することとなり、東横山町と名付けられた。同59年西松山町・小田妻町1~2丁目の各一部を編入。

東赤重町

ひがしあかしげちょう


昭和60年4月27日、町名の設定。1~2丁目がある。もとは瀬戸市赤重・幡野町・菱野の各一部。
→古窯・釜ヶ洞古窯跡群