北脇町

きたわきちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。昔、瀬戸川を中心として、この地は四つの嶋に分かれた。川の北側は北脇嶋、川の西側は川西嶋、慶昌院付近は寺山嶋と呼ばれていた。その後町名設定により、北脇嶋は北脇町になった。昭和59年小田妻町1~2丁目の一部を編入。

品野町

しなのちょう


昭和40年5月1日、大字名を廃止し、町名を設定。もとは下品野の一部。1~8丁目がある。
→品野→品野祇園祭の神武天皇像および従者像・瀬戸市指定民俗文化財
→山崎城→阿弥陀ヶ峰城
→集落跡・品野西遺跡

效範町

こうはんちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。昭和41年からは1・2丁目がある。「效」は「効」の本字で、さずける・習うの意味を表わし、語源は曲がった矢を正す。また、「範」は、きまり・手本の意味を表わす。このことから「手本をならう」「きまりを授ける」という意味が込められて、明治6年5月「小学校效範学校」として開設された。町名設定の際、この小学校名をとって名付けられた。

新道町

しんどうちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字宮脇・刎田の一部。五代目の加藤偉兵衛町長は、宮前の神明橋より瀬戸公園の北岸を広げ新道町と名付け、公園より1丁目、2丁目、3丁目、4丁目とした。大正3年1丁目と2丁目を昔の八子田(開墾地、現在の刎田)に戻し3・4丁目は宮町としたが、現在の新道町となった。

熊野町

くまのちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字西犬塚・森の一部。町名は熊野神社があることによる。

蔵所町

くらしょちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字蔵所。町名は江戸期に御蔵会所が設けられていたことによる。
→蔵所町
→西蔵所町
→古跡・御蔵会所
→古跡・旧瀬戸村(町)役場
→瀬戸陶器館(舜陶館)
→陶磁器陳列館(参考館)

北松山町

きたまつやまちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。昭和59年5月1日から1・2丁目がある。もとは西松山町・小田妻町Ⅰ~2丁目・さつき台Ⅰ~5丁目の各一部。
→松山町

さつき台

さつきだい


昭和49年4月1日、町名を設定。もとは小田妻町の一部。水野団地の一部で1~5丁目がある。
→水野団地