京町

きょうまち


昭和17年2月1日大字名を廃止し、町名を設定。1~2丁目がある。もとは瀬戸の一部で、明治期1丁目は瀬戸村大字瀬戸字山脇の一部、2丁目は十三塚の一部であった。名古屋の出入り口として、瀬戸の玄関として賑やかになりたいという思いが京町という名前となった。

米泉町

こめいずみちょう


昭和53年12月26日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。昔このあたりには清水が沸き、また近くの釜ヶ洞地からはきれいな水が流れてきて、米作りに適した水が豊富であったところから米泉と呼ばれるようになったと伝えられる。
→東米泉町
→西米泉町

下半田川町

しもはだがわちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。戦国期に見える地名。尾張国春日部郡のうち。「信雄分限帳」に「一、弐百参拾貫文<下はた川,定光寺,くツかけ>尾塞次兵衛」と見える。なお、同時期の史料に「半田川」と見えるのは上半田川を含めた総称か、上半田川のみを称したものか明確でない。
→半田川→木造阿弥陀如来立像・県指定彫刻1躯
→木造十一面観音菩薩立像・県指定彫刻1躯
→オオサンショウウオ・国指定特別天然記念物
→笠原村・両半田川村国境争論絵図・瀬戸市指定歴史資料1枚
→秦川城

坂上町

さかうえちょう


昭和45年4月15日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部で、瀬戸市大字本地字坂上・大湫・小坂・坊金の一部。寛政5年の本地村村絵図には、「大坂・小坂」の地名や農屋が描かれており、自然地形に由来する地名と思われる。
→小坂町

定光寺町

じょうこうじちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは沓掛の一部。昭和35年瀬戸市に合併するまでは、東春日井郡品野町沓掛といっていた。瀬戸市に合併する際に、名の知れた「定光寺」にするか、旧来の「沓掛」にするか地元民の賛否をとったところ、65%の賛同を得て「定光寺」に町名変更された。
定光寺本堂・国指定建造物1棟
源敬公廟・国指定建造物7棟
太刀銘助重・国指定工芸品1口
太刀銘守家・国指定工芸品1口
直入橋・瀬戸市指定建造物1橋
祠堂帳・瀬戸市指定歴史資料1巻

新田町

しんでんちょう


昭和54年12月1日、大字名を廃止し町名を設置。もとは菱野の一部。江戸期の村絵図は、松入洞の弁天池用水からの引水で「卯新田」が開かれた開かれたことを物語り、「諸砂」と記載されている地域。

陣屋町

じんやちょう


昭和32年7月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは上水野の一部。文明14年、今村の松原下総守広長と品野の長江民部少輔が争い、松原軍は安土川に陣を張り、長江軍は品野村大松戸阿弥陀が峰,(品野陶磁器センター東、全宝寺)に,陣を張った。戦は松原軍が破れ敗走、城主松原氏は赤津万徳寺に逃げ自刃。後に敗者を偲び安土川,(砂取川),を陣屋河原と呼ぶ様になったと伝えられる。
上陣屋町
下陣屋町

小坂町

こさかちょう


昭和45年4月15日、大字名を廃止し町名を設定。もとは本地の一部で、瀬戸市大字本地字大湫・小坂・坂上の一部。寛政5年の本地村村絵図には隣接する岩作村、稲葉村との境で、「大坂・小坂」の地名・集落が描かれ、自然地形に由来する町名と思われる。
→坂上町の項