効範西部商店街振興組合

こうはんせいぶしょうてんがいしんこうくみあい


設立は昭和46年(1971)、業種構成としては、最寄品20店、買回品26店、その他が48店となっている。地区としては効範町・北脇町・松原町・北山町・南山町・平町とその外近隣の町内で水野駅を中心とした地区である。市内の一番西方に位置し、街区の広さは2番目である。1店当たりの店の広さは80㎡と1番広い。商店街の休日は決められてはいないが日曜日が目立っている。商店街の活動は広く地域に街路燈が設置され地域消費者の安全性に大きく貢献している。また、若手後継者で組織している青年部は組織造りに、地域の活性化に、地域の人口の増加への対応・水野駅利用客への対応・商店経営の勉強などに活躍している。商圏としては効範・西陵連区である。歴史として、自然発生的な形成された商店は、1955年(昭和30年)頃より名鉄瀬戸線を境に、南側を効範商店街・北側を西部商店街として活動し、(後にそれぞれが商店街振興組合組織にする。)2つの商店街が昭和46年(1971)に合併し現在の組織となる。

效範西部商店街

新瀬戸商店街振興組合

しんせとしょうてんがいしんこうくみあい


設立は昭和60年(1985)。地区としては東横山町、孫田町、水南町(新瀬戸駅、瀬戸市駅周辺)である。瀬戸市で1番新しく設立された商店街で、それぞれの店の業歴も比較的新しい。名鉄瀬戸線、愛知環状鉄道の交差する鉄道路線で重要な拠点に位置し、鉄道の乗り換え・高等学校・陶生病院などの利用者が在り人通りは年々増加している。活動は、瀬戸市駅駐車場で夏祭りの盆踊りや、また、地域消費者のための街路燈は防犯上からも効果を上げている。商圏としては水北・水南・效範・西陵連区である。歴史としては、昭和30年代に孫田町・東横山町は発展会として活躍、昭和40年代初期より組織なく休止、昭和46年(1971)名鉄ストアーがオープンし、昭和56年(1981)頃東横山町を中心とする商店主より組織化の動きがあり昭和60年(1985)法人を設立した。

新瀬戸商店街

瀬戸商店街連合会

せとしょうてんがいれんごうかい


設立は昭和25年(1950)。主な事業として、各組合運営に必要な資料収集。各団体での共通したテーマの研究。国・県・市に商業環境に対する要望をしている。今年度平成元年(1989)の定時総会で名称を“瀬戸商店街連合会”からあらためられた。全国的な組織としては、市内9団体で当連合会を構成、愛知県商店街振興組合、全国商店街連合会と全国組織の一部になっている。沿革は設立当時は商店街組織は発展会であり、事務所は市役所の中にあった。昭和30年(1955)に入り、事務所を現在の商工会議所に移す。商店街振興組合の設立、事業運営の指導育成指導を行っている。

瀬戸新開地商店街振興組合

せとしんかいちしょうてんがいしんこうくみあい


設立は昭和39年(1964)。地区としては陶原町1~6丁目(新開地交差点を中心とした地域)である。もともと碁盤目状にきちんと整備されている地域を国道363号線が斜めに切断している都市計画上奇妙な構図となっている。一方、歩道には市内では唯一の街路樹が生え街路燈とマッチしている。街区の要所には若手後継者の発想でイルミネーションを設置するなど快適な街路空間と潤いのある商店街造りを目指している。地区内は、尾張瀬戸税務所・県税事務所・法務局・病院また、近くには瀬戸市役所・警察署があり交通量も多くまた、市内住民の多くが往来している。商圏としては陶原連区である。歴史としては国道363号線と県道大府線沿いに商店が自然発生的に立地した。この地の国道西方には飲食店が軒を連らねていた。名称の新開地は、市内中心部より開発が新しい事からこの名称が付けられた。

瀬戸新開地商店街

瀬戸南西部商業協同組合

せとなんせいぶしょうぎょうきょうどうくみあい


設立は昭和61年(1986)。業種構成としては、買い回り品業種が中心である。地区としては幡野町・赤重町・新郷町・追分町・高根町松山町の市内南西部を中心とする地区である。特色としては、幡山・長根連区を中心として協同組合を設立し、商店街振興組合とは設立条件を異にしているが、「商店が消費者にサービスする」ことについては同一である。事業目的は“せとカード”として買物の便利性を顧客に提供している。カードの内容は、年々改善され顧客サービスに努めている。沿革は昭和57年頃より未組織である地域に商業団体としての事業活動をするために設立の動きが始まった。消費者の便利性・固定客の確保としてクレジットカードを主力事業としている、当時は愛知県内での事業はなく注目を浴びた。

中央通商店街振興組合

ちゅうおうどおりしょうてんがいしんこうくみあい


設立は昭和39年(1964)。地区としては栄町・蔵所町・新道町・刎田町・杉塚町・薬師町(尾張瀬戸駅より瀬戸公園まで)である。瀬戸市の中心に位置し、瀬戸川の両側の商店で街区の延長は東西1㎞に及んでいる。北側には銀座商店街・南には末広町商店街があり、この3商店街と主要銀行も加わり中心商店街として顧客の吸引に相乗効果を高めている。業種では陶磁器の卸・小売業者が多く市内外からの人通りが増えている。商圏としては全国・市内一円・深川連区と業種により3分類される。豊田方面、多治見方面、名古屋方面の道路網の中心(記念橋)に、瀬戸川をはさんで商店が自然発生的に立地している。市内で最初に商店街振興組合の法人格を設立した。約1㎞の瀬戸川両岸に街路燈を設置している。

中央通商店街

追分商店街振興組合

おいわけしょうてんがいしんこうくみあい


設立は昭和42年(1967)。組合員は38店。業種構成としては、最寄品10店、買回品8店、その他が20店となっている。地区としては今池町、追分町、汗干町の瀬戸市役所の周辺を中心とする地域である。市役所、公立陶生病院が近くにあることから、食料品店、飲食・サービス業が増加傾向にある商店街である。現状の営業は日曜日を定休日とする店が多い。また、飲食・サービス業は水曜日が目立つ。現在の活動はあまりはっきりした事業はないが、不動山通りの拡張計画と市役所駅前の整備計画があり立地条件が良いので将来明かるい。商圏としては、水南、道泉、西陵連区である。歴史としては国道155号線と旧道の新居線の分岐点となって追分の地名があり、この地名を使って商店街の名前としている。追分の道路拠点から自然発生的に商店が集まり、昭和30年代には孫田町、横山町を含めて商店街活動を行なっていた。昭和42年(1967年)、現在の地区で法人組織とした。

追分商店街

品野商店街振興組合

しなのしょうてんがいしんこうくみあい


設立は昭和43年(1968)。地区としては品野地区一円(品野本町を中心として国・県道沿い)である。特色としては市の北端に位置し、地区の広さは市内で最大である。従って店密度は低くなっている。道路の交通量は非常に多く(10、000/1日・12時間)消費者の安全性には乏しいが、地域消費者からは愛好され親近感をもたれている。地区内には大学・ゴルフ場・岩屋堂・陶磁器センターがあり市内はもとより、市外からの吸引施設がある。商圏としては品野連区一円である。歴史としては、国道248、363号線の道路沿いに商店が自然発生的に立地し、昭和23年(1948)、品野本町を中心に商店街活動を行う。昭和43年(1968)12月組織を法人化し消費者保護の街路燈を始めとして、地域密着の祇園祭に協賛行事を開催する。

品野商店街

末広町商店街振興組合

すえひろちょうしょうてんがいしんこうくみあい


設立は昭和43年(1968)。地区としては末広町1・2・3丁目(尾張瀬戸駅より東へ300mの川南)である。市内で一番規模の大きい商店街である。街区の延長は270m、市内で最初に設置されたアーケード、のちにカラー舗装もされた。車両を通行止めとして来街者の安全性は保たれており、明るい雰囲気の店舗造りと専門店化を促進して楽しみながら買い物の出来る中心商店街を目標に会員は研究・勉強に努力している。それぞれの店は火曜日を定休日としているところが多い。商圏としては深川・古瀬戸・東明・祖母懐連区である。歴史は、昭和初期には、陶磁器の販売店の中に数点の小売店があったに過ぎなかったが、昭和10年(1935)頃より呉服・洋品店が近隣から移転、昭和12年(1937)には発展会が発足され当時としては珍しい鈴蘭燈が設置された。昭和38年(1963)アーケードが完成し、昭和43年(1968)に現在の組織となる。
昔ながらの商店だけでなく、NPOや市民団体の出店、老人福祉施設などもあり、暮らしに密着した商店街となっている。また空き店舗を活用して、賑わいと交流の場「せと末広亭」があり、貸しギャラリーとして、また起業道場などの試みがされており平成18年度には「愛知県ブランド商店街」にも認定されている。また、せと末広亭では定期的に落語の会が開催されている。
平成26年8月30・31日、アーケードの全面改装を記念したイベントが開催された。

末広町商店街