瀬戸染付焼工業協同組合

せとそめつけやきこうぎょうきょうどうくみあい


瀬戸市陶原町1-8(愛知県陶磁器工業協同組合内)
 瀬戸染付焼工業協同組合の業者数は25事業所である。
19世紀初め、加藤民吉等が磁器の焼成技術を瀬戸の地で広めたことが起源となっている。その後、絵師から絵付の指導を受け、南宋風の絵画を施す技術などが加わって急速に発展し、今日の瀬戸染付焼の基礎が確立された。特徴は、白地の素地に絵付を行い、施釉後焼成したものが染付で、藍色を基調とした色彩で繊細な自然画や鳥、花などを筆で描く技術と、潤いを持った仕上がりにするため、本焼成時に「ねらし(一定時間窯の温度を高温のまま維持)」を行い釉薬を熟成させるところに特徴がある。製造工程は、ろくろ成形、手ひねり成形等で成形し、表面をなめらかに仕上げ、乾燥後に素焼をした素地の表面に、直接筆で呉須絵具等を用いて下絵付を行う。その後紬薬を施し、本焼成して完成となる。瀬戸染付は平成9年5月14日、国の伝統的工芸品に指定された。主な製品は茶器、花器、室内装飾品、食卓用品である。
平成26年年2月1日、瀬戸市の窯神橋(南北の長さ22.5m、橋の幅41.8m)の四隅に伝統工芸の瀬戸染付焼で制作された親柱(高さ2m、上半分は空洞でLED照明が施されている)が一本ずつ設置された。瀬戸染付焼工業協同組合の伝統工芸士21人が制作したものである。

社団法人 瀬戸建設業協会

せとけんせつぎょうきょうかい


昭和25年(1950)11月名古屋市において尾北建設業協会が設立されたのを機に、当瀬戸市においても建設業者間の親睦と業界の発展に寄与することを目的とする協会の設立についての機運が高まり、関係者の努力により、昭和29年(1954)3月会員17名で東日建設業協会が瀬戸市南之切町(祖母懐連区」)において、発足をした。その沿革については次の通りである。昭和29年(1954)3月、東日建設協会発足(事務は現在の消防署東分署の南側)。昭和32年(1957)3月、協会事務所を現在の今池町(效範連区)に移転。昭和48年(1968)11月1日、社団法人東に本建設業会設立。昭和46年(1971)10月20日、社団法人瀬戸建設業協会に名称を変更、現在に至る。
 平成18年に摘発された瀬戸市の郵便入札をめぐる談合事件で、建設業協会が事件の舞台の一つでもあった。その後、協会の存続が困難となり平成22年3月末で解散した。

瀬戸陶磁器卸商業協同組合

せととうじきおろししょうぎょうきょうどうくみあい


瀬戸市見付町38-3
昭和7年(1932)12月28日設立。主として内地向け陶磁器を取扱う産地卸商社を組合員とする協同組合である。主な事業としては組合員企業の繁栄に資しすべく市場開拓、商品開発、情報提供などを行うほか、地場産業振興のためPR活動、瀬戸焼総合カタログの協同利用等をおこなっている。更に瀬戸の一大イベントであるせともの祭大廉売市を主管し街の活性化を積極的に推進している。

瀬戸歯科医師会

せとしかいしかい


昭和22年(1947)12月設立。社団法人愛知県歯科医師会の支部としての活動の他に、会員の学術研修事業。地域の歯科保健向上の為の公衆衛生事業を行っている。その中でも休日の当直医制度は歴史が古く、他地区ではみられないものとして評価が高い。

瀬戸歯科医師会

瀬戸陶磁器工業協同組合

せととうじきこうぎょうきょうどうくみあい


瀬戸市陶原町1丁目8
昭和32年(1957)5月輸出振興と、同業者の団結、組織の強化を目的として、瀬戸輸出陶磁器工業完成協同組合を設立、初代理事長に名誉市民(元市長)加藤繁太郎氏が就任した。その後、昭和54年(1979)6月瀬戸陶磁器工業組合と名称を変更、瀬戸地域の陶磁器生産額の70%強を輸出品として米国、ヨーロッパを中心に展開し瀬戸のやきものとして、全世界にその名声を博した。特にノベルティ生産については、瀬戸地方の長い伝統と技術に育まれて、我が国唯一の産地となり、他地域の追従を許さない技術、技能を持っている。
 平成9年8月、瀬戸陶磁器工業協同組合に名称変更。組合員数35事業所で、組合員の取り扱う陶磁器製品の共同販売、市場開拓事業を行っている。

公益財団法人 瀬戸市開発公社

こうえきざいだんほうじん せとしかいはつこうしゃ


瀬戸市追分町64-1  82-4193
瀬戸市開発公社は、瀬戸市の発展を図るため、高齢者の親睦、様々な野外活動、やきもの文化との触れ合い、市民等の文化活動に対する場及び機会の提供に関する事業等を行い、市政の振興と市民の福祉増進に寄与することを目的とする公益財団法人。
主な業務内容は、指定管理者として受託した老人憩いの家、定光寺野外活動センター、瀬戸蔵・瀬戸蔵ミュージアム、都市公園の施設管理事業を、鉱山事業として国有鉱山の公社新瀬戸鉱山、直営鉱山の瀬戸水野鉱山、公社北丘鉱山、公社上本町鉱山の事業を行っている。

公益社団法人 瀬戸市シルバー人材センター

こうえしゃだんほうじん せとしるばーじんざいせんたー


瀬戸市東権現町51  84-2090
瀬戸市シルバー人材センターは、昭和58年(1983)10月に社団法人瀬戸市シルバー人材センター瀬戸市高齢者能力活用協会として産声をあげた。現在は、「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」に基づき、国、愛知県、瀬戸市からの支援を受けて運営がされている公益社団法人である。シルバー人材センターは、「自主・自立・協働・共助」を基本理念とし、定年などの理由により社会の第一線を退かれた、おゝむね60才以上で健康で働く意欲のある方の就業斡旋機関として、昭和58年(1983)10月に現在地の東権現町51番地で産声を上げた
シルバー世代に突入した団塊世代への対応、さらには高齢者の多様なニーズに応えるための就業支援など、シルバー人材センターの役割は益々重要性が増している。平成24年度、会員登録数374人、受注件数2788件

瀬戸市シルバー人材センター

瀬戸クラフト協会

せとくらふときょうかい


昭和41年(1966)設立。会は「会員相互の協力により生活工芸(クラフト)という視点から創作活動を通し、社会に文化的寄与をすると共に、会員の社会的地位の向上と人間生活の未来に関わる問題提起を行う」ことを目的としている。また研究会、交流会などを開いて会員の意識向上を計っている。交流の一つとして、内外の陶業地やイベントを視察し研修に努めている。昭和53年(1978)愛知県立三好学園に会員が中心となり、「ふれあいの塔」を焼き上げた。現在は、せともの祭りに「クラフトの社フェスティバル」展を開催し、会員の新作発表と共に他ジャンルのクラフト作家を招聘し、作品展示による交流を深めている。また会員は各地で個展、グループ展等を積極的に開催している。
 平成28年に協会が設立50周年を迎えるのを前に、平成24年から3年にわたり、クラフト協会に所属する陶芸家らによる企画展「瀬戸のクラフトの系譜-昨日、今日、明日へ-」が新世紀工芸館で開かれた。

瀬戸市農業協同組合

せとしのうぎょうきょうどうくみあい


昭和52年(1977)3月31日瀬戸市内の3農協(幡山・水野・品野)が合併し設立された。都市近郊農協であり、最近農地の宅宅化が顕著にみられる中で地域の農業生産振興を行政と連携をとりながら押し進めている。特に瀬戸市との共済で毎年11月に開催しているせと農業展は、出品物の即売等好評である。近年家庭菜園の人気が高まっている中で、健康で明るい豊かな地域社会の発展に貢献するため市民菜園管理組合を設立し、一般市民に場を提供し家庭菜園の指導と管理を行っている。平成11年4月、瀬戸市農業協同組合、尾張旭市農業協同組合、豊明農業協同組合、愛知東郷農業協同組合、日進農業協同組合、長久手農業協同組合が合併してあいち尾東農業協同組合になる。

あいち尾東 品野支店