オリエンタルデコラティブ陶磁彫刻研究所 1946年(昭和21年)10月に瀬戸市西古瀬戸町に北海道興農公社(現・雪印乳業)の社長の支援を受けて設立されたもの。10年間ほど陶彫制作の研究活動が陶彫の第一人者である福井出身の沼田一雅(初代所長)を中心に、磁祖民吉像を製作した日本彫刻家協会(創設会長)の加藤顕清、沼田喜代子、船津英治、笠置李男、田沼起八郎、八井孝ニらによって行なわれた。瀬戸の作家では加藤華仙(春陶会創設会長)が開設準備に尽力したが直前に急逝。その後、その息子加藤政良と鈴木青々が運営に力を尽くしたという。北川民次やイサム・ノグチも1950年(昭和25年)に同研究所でテラコッタを制作したりして、瀬戸の現代陶芸に陶彫という新しい息吹きを送り込んだ、意義深い活動として再評価され、1989年(平成元年)4月から9月まで愛知県陶磁資料館にて展示。同研究所はアカシヤの木と牧場風柵に囲まれ、暖炉のある洋館とフランスのセーブル窯があり、当時としてはしゃれた建物で瀬戸市東古瀬戸町の郷土史家の浜島芳夫により景観絵図が復元されたが、なぜこの研究所が戦後まもなくこの瀬戸に開設されたかは不明で幻の研究所といわれている。
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赤十字希望の家
せきじゅうじきぼうのいえ
日本赤十字社 愛知県支部所管。日本赤十字社はベトナム難民援護の一環として、昭和52年(1977)8月以降、国連高等弁務官事務所の要請を受け、人道的見地から、我が国に上陸する難民の一時収容と生活援護を行ってきた。昭和55年(1980)5月、全国で11番目に愛知県、瀬戸市、地域の住民の方々のご理解のもとに、愛知県窯業技術高等専門校の寄宿舎の提供を受け開所した。
所在地:瀬戸市南山町538。当施設に収容されてきた難民の多くは、ベトナム戦争終結後、政変により、決死の覚悟でベトナムから小型船で脱出し、海難、飢餓と闘いながら漂流しているところを他国船に救助され、日本に上陸した人達であった。現在、当施設は当初の役割を終え平成3年に閉所した。閉所までの入所者は累計330人出生者は12人であった。