南白坂町

みなみしらさかちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは赤津の一部。鎌倉期~室町期の古窯址が分布するが、江戸期の村絵図には「センケハタ加藤唐四郎ヤシキ跡」とある。この加藤唐四郎は瀬戸焼を起こした陶祖藤四郎ともいわれ、「尾張徇行記」にも「加藤唐四郎宅址ハ此村ノゼンケ畠ト云所ニアリ」と記されている。
→白坂町

南東町

みなみあずまちょう


昭和17年2月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは瀬戸の一部で、明治期の瀬戸村大字瀬戸字仲洞の一部。

水無瀬町

みなせちょう


昭和18年8月9日、大字名を廃止し町名を設定。もとは今の一部。大雨が降らぬ限り水の流れがほとんどないところから、水無瀬川と呼ばれるようになったといわれる。町名設定の際、この水無瀬川北岸地区がこの川の名をとって町名にした。

緑町

みどりまち


昭和38年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは菱野の一部。昭和60年からはⅠ~2丁目がある。菱野団地の南西に隣接し、今は住宅地域となっているが昔は小松がうっそうと茂り、溜池(青池)などもあり、緑地であったそうで、そこから緑町と名付けられたと伝わる。一部が昭和53年原山台1~8丁目、同55年八幡台1~9丁目、同60年白山町1~2丁目となり、同年赤重町・幡野町・山口と境界変更。
→古窯・釜ヶ洞古窯跡群

三沢町

みさわちょう


昭和39年10月1日、大字名を廃止し町名を設定。もとは中水野の一部。1~3丁目がある。昭和56年一部を川平町・内田町に編入。

松山町

まつやまちょう


昔、このあたりに大きな松山があったので、この松山の東側を東松山町、西側を西松山町と名付けた。ところが、西松山町が急激に発展してきたため、昭和58年にこの町をそのまま西松山町として残し、中央部は旧西松山町の北側に当たるため北松山町と名付け、残りの一町は、この町内に国鉄バスの停留所「上松山」があったため、これをとって上松山町と名付けたといわれる。
上松山町:昭和59年5月1日~現在。もとは西松山町・小田妻町Ⅰ~2丁目の各一部
北松山町:昭和59年5月1日~現在。もとは西松山町・小田妻町Ⅰ~2丁目・さつき台Ⅰ~5丁目の各一部
西松山町:昭和32年7月1日~現在。昭和59年からはⅠ~4丁目がある。
同年一部が北松山町1~2丁目・上松山町1~2丁目・東横山町・さつき台Ⅰ~5丁目となり、山手町の一部を編入。
東松山町:昭和32年7月1日~現在。→上松山町→東松山町→西松山町→北松山町