磁祖公園

じそこうえん


瀬戸市東安戸町、道泉町、西谷町、窯神町  地区公園 1.50ha
都市計画決定の面積は12.1haであるが、供用開始しているのは窯神グランドの1.5haである。公園全体の整備計画は今後の検討となっている。

窯神神社(磁祖 加藤民吉像)

さくら公園

さくらこうえん


瀬戸市宮地町地内にある公園で、広さは1.3ha。近所の子供たちに人気があり、春にはきれいな桜が咲く。

さくら公園

岩屋堂公園

いわやどうこうえん


瀬戸市岩屋町
岩屋堂とは、天然の大きな岩の祠(ほこら)のこと。約1200年前に、時の聖武天皇の病の平癒を祈願し、この岩窟内で名僧「行基」が彫刻した仏像のうち、薬師仏を本尊とした岩屋山薬師堂に由来していると言われている。
緑いっぱいの渓谷の中を清流の鳥原川が流れる岩屋堂公園は、愛知高原国定公園に位置し、桜、ほたる、水遊び、紅葉、東海自然歩道の自然散策など1年を通じて豊かな自然と遊ぶことができる愛知県内でも有数の人気スポットとなっている。
○岩屋堂公園の夏の見どころ・魅力。
夏には、川をせき止めた水遊び場が造られ、バンガロー村ではバーベキューが楽しめる。
・バンガロー村(日帰りのみ)
園内には、氷やジュース、五平餅、みたらし団子などの軽食を販売する売店も期間限定でオープンし、ファミリー層を中心に賑わう。展望台からの眺望、奇岩や滝など雄大で迫力ある自然の景観を楽しむことができる。
・川をせき止めた水遊び場(天然プール)
地元の岩屋堂観光協会が鳥原川をせき止めてつくる水遊び場は、昔から「天然プール」の愛称で広く親しまれている。川幅は15mほど、全長40mにわたって川底にコンクリートが敷かれており、自然の河原と異なりデコボコが少ないので、比較的小さなお子様でもお父さん、お母さんと一緒に気軽に入ることができる。水深は、通常浅いところで大人の足首程度から深いところで膝下ぐらい、水温は20~23℃で心地よい冷たさを実感できる温度である。
・瀬戸大滝
川沿いを公園の奥に向かって歩いてゆくと舗装道路が青い欄干の「かじか橋」を通って続いていく。この橋を渡らずに未舗装の遊歩道をまっすぐ進むと瀬戸大滝に到着する(天然プールからは15分ほどの距離)。落差17mで川床に下りてしぶきを浴びるぐらいの距離まで近づくことができる。

岩屋堂
瀬戸大滝

愛・パーク(瀬戸万博記念公園)

あい・ぱーく(せとばんぱくこうえん)


瀬戸市上之山町2丁目、吉野町  街区公園  0.79ha
平成21年(2009)3月20日、愛・地球博の開催成果である「市民参加」、「交流」、「環境」の理念を未来へ繋げるため、愛・地球博瀬戸会場の跡地を瀬戸市の新たなシンボルエリアとして瀬戸万博記念公園「愛・パーク」としてオープンした。
公園内には国内外20の陶磁器産地から集まった皿や子供たちがワークショップで描いた皿30,000枚で制作された愛・地球博瀬戸会場のシンボルモニュメント「天水皿n」がある。
また、会場には国際ソロプチミスト瀬戸が提唱した「百万本の森基金」による植樹も行われている。

愛・パーク(瀬戸万博記念公園)
天水皿n
モリゾー・キッコロ

鹿乗橋

かのりばし


瀬戸市鹿乗町~春日井市高蔵寺町2に架橋
旧下水野村入尾(鹿乗町)と対岸玉野村(春日井)の間には玉野川(庄内川)が流れ、現在の鹿乗橋のやや下流を「モトハシバ」といい簡単な板橋が架かっていた。昔は渓谷美あふれた景勝地で文人墨客が遊ぶ「白鹿館」や「三宅邸」などの瀟洒な料亭が在った。
明治43(1910)年に鉄のアーチ橋が架けられた。明治期に架設された13橋の鋼アーチ橋の一つで現存するものが殆ど無い貴重なものである。昭和23(1948)年に元橋を骨組にしてコンクリートを巻いた、要するに鉄骨鉄筋コンクリートの橋に造り替えた。その時斜材(ラチス)を撤去しており、現在は垂直材のみとなっている。その際の工事について銘板に「架設後四十年以上になり、鉄骨が腐食し、強度が半分の五十五%までに低下した。そのため、鉄筋コンクリートにて被覆し補強した」とあり、工事は愛知県直営で行われた。景勝地の橋であったために、橋面上に構造部材が突出していない上路式のアーチタイプにしたこともうなずける。(『保存情報Ⅰ』)

鹿乗橋

城嶺橋

しろがねばし


瀬戸市定光寺町~春日井市玉野町に架橋
定光寺は玉野川の景勝地で名古屋の嵐山と呼ばれた景勝地であった。初代城嶺橋は名古屋開府250年を記念し、明治42(1909)年3月に着工、翌年完成した木橋である。当時対岸には中央本線が開通していたが、高蔵寺―多治見間には駅舎はなかった。定光寺駅の開設は大正13(1924)年のことである。ところが、初代の木橋は完成の翌年に大水で流出してしまい、大正元(1912)年に吊橋で復旧した。昭和11(1936)年、2代目橋の下流側に併行して3代目の京都四条大橋を模してコンクリートアーチ橋建設に着工、翌年完成した。尾張徳川家19代義親氏による「城嶺橋」の揮毫を親柱に持つ。大正期の水平線。垂直線を強調する「セセッション」風デザインであった「まぼろしの四条大橋」の面影を残した橋は貴重である。(『愛知県の近代化遺産』)

城嶺橋

窯神橋

かまがみばし


瀬戸公園が開園したころ、陶祖加藤藤四郎だけではなく磁器の製法を瀬戸に伝えた加藤民吉の顕彰を行おうという機運が高まり、大正天皇の大礼記念事業がきっかけとなって、記念碑建立に動き出した。愛知県では記念事業として県内の名所史跡に記念標柱を建立していった。その一環として、民吉の業績を顕彰するために記念碑を建立するとともに、毎年九月十六日に祭典を実施することを決議した。
大正11年(1922)11月16日窯神神社の社殿改築記念祭典が実施され、この日にあわせて瀬戸川に新しく窯神橋が竣工し、渡り初めの式典も挙行された。
橋梁は戦後再築され、さらに瀬戸川文化プロムナード線整備、瀬戸川河川整備事業に伴う橋梁改築により、交通機能の更新と「せともの文化」イメージを高める整備を図るものとして、橋長22.5m、全幅員41mの橋梁が3年かけて整備され、2005年日本国際博覧会開催時には瀬戸の玄関口としての役割を果たした。
平成27年1月、瀬戸染付焼が全体にあしらわれた親柱が完成した。染付による橋名板は柴田恵水が揮毫したもの。

瀬戸大橋

せとおおはし


大正14年(1925)8月、瀬戸地方を襲った未曾有の集中豪雨で、瀬戸川にかかる橋はことごとく流されてしまった。それ以後、主要な橋のコンクリート橋化が進められた。瀬戸橋もこの大洪水で流れたため、架け替えられた。かつては「瀬戸橋」と呼ばれ、橋の左岸側は「大橋町」の町名がみえる。
橋梁は「講和記念」(1951年サンフランシスコ平和条約)として再築され、鉄骨による補強されて現在に至る。
瀬戸川文化プロムナード線整備、瀬戸川河川整備事業に伴う橋梁改築により、交通機能の更新と「せともの文化」イメージを高める整備を図るものとして、橋長24m、全幅員48mの橋梁が平成26年度から整備されている。 

吉田橋

よしだばし


市役所前に架かる橋で、昭和63年(1988)4月14日にやきものの橋として生まれ変わった。
高欄には、陶芸家二代加藤春鼎のデザイン・製作による青織部の陶柱307本が用いられている。

吉田橋

山脇橋

やまわきばし


瀬戸川を基軸に周辺市街地の再開発等の街づくりと河川や道路等の公共施設の整備を一体的に行い、新しい観光資源の創出、にぎわいのある街づくりを推進する瀬戸川文化プロムナード計画として、平成4年(1992)11月5日に完成した。
高欄部をコバルト色の陶器で装飾するとともに、橋梁の形状や照明等のデザインに工夫を凝らしている。

山脇橋